【家族の話】散歩中の会話③
高1の冬のある日曜日、朝から母と私は揉めた。原因は覚えていないが、私はそのとき初めて母に暴言を吐いた。母の仕返しが怖かったり、中学受験の失敗を引け目に感じたりしていた私の初の暴動だった。
私がいきなり激しく言い返し、反抗期(遅 ! )丸出しで怒鳴り散らしたので、母は少したじろいだ。母は急ぎの用で外出せねばならず、言い返す間もなく慌てて出かけていった。
(ついに言ってやった……)
私は気分が高揚した。
「海でも行くか?」突然父が言った。
「え? あ、うん……」
大抵前夜に声を掛けてくるが、その日は急に言うので少し驚いた。
いつも通り車の中は、AMラジオの音だけが鳴っている。車はコンビニの前で止まった。
「今日は朝飯まだだから、なんか買おう」
いつもなら8時半前後に帰宅後、母が作った朝食をいただくのだが、その日は母が外出のため朝食はなかった。
海に着いてから食べるのかと思いきや、コンビニの駐車場で即食べ始めた。
「血糖値が下がったら大変だぁ」
父は空腹を我慢出来ない。いつもおどけて糖尿病のせいにするが、本当だろうか。
「さっきは、がんばってたな」
あっという間にサンドウィッチを平らげた父が話し出した。
「え?」
「ママに、だよ」
「ああ……。まあね」
「で、どうだった?」
「どうって……。だってお母さんの言うことメチャクチャなんだもん。いつもそうだよ。世間体重視でさ」
「それを上手く伝えられた?」
「言えてない。でも今日は初めて私がムカついているんだってことは言えたよ」
「いちいちうるさいんだよ! っていうヤツ?」
「うん、まあ、他にもいろいろ言った」
「どんな気持ちになった?」
「ちょっとスッキリした……」
「ちょっとだけ? じゃあ、あとは?」
「なんか、あんなこと言わなきゃよかったなって、イヤな感じ」
「そうか……。なら、後でイヤな感じになるような言葉はやめた方がいいんじゃないか?」
父の言葉にいたく反省した。感情的になって声を荒げたところで何の解決にも至らないどころか、スッキリするのはほんの一瞬だけで、後味の悪さだけが残る。自分の主張を相手の耳に届かせるには冷静さが必要だ。
中学生までは母は絶対に逆らえない、怖い存在だった。どこの家も同じで、子どもは弱い立場なのだと思っていた。
ところが、高校生になり視野が広がると、どうやら母は友だちの母親とは違うと感じるようになった。母は考えを押しつける支配者だが、友だちの母親は子どもと共感し合う理解者にみえた。
私にとって最も尊敬できない人間、それが母だった。
19歳の秋のある晩、いつものように母が父の親族罵倒が始まった。その日に何かあったわけではない。昔のことを思い出してギャーギャーワーワー怒り狂うのだ。私はこの不毛な時間が、最も不愉快だった。
苛立ちながら寝たせいか夢見が悪く、早く目が覚めてしまった。リビングに行くと父も起きていて、急遽海岸堤防散歩に出かけた。
海に着き、しばらく歩いた後、私は昨晩寝ながら考えていたことを父に話した。
「お父さん、お母さんと離婚してもいいんだよ。あんなにおばあちゃんのこととか罵倒されたらイヤにならない?私はおばあちゃんの悪口とか言われたくない。昔何があったか知らないけど、お母さんしつこ過ぎるよ。今、問題が起きているわけでもないのに、おかしいよ。離婚したら、私がお父さんのご飯とか全部やるから。
私はお母さんみたいに、常に誰かを貶めようとしている人間と一緒に住むのはもうイヤなんだよ」
「そうか。うーん。ママはね、誰よりも人間らしい人間なんだよ。喜怒哀楽がむき出しなだけなんだ。怒りや悲しみのときに周りを巻き込んで大変だけど、その分喜んでるときや楽しんでるときのママは、周りも明るくするだろう。だからさ、ママのいい部分をもっと見てあげようよ」
「私にはお母さんのいい部分は見付けられない。お母さんは喜と楽より、怒と哀の方が多いし」
「そこにこだわらなくても他にいいところいっぱいあるだろう」
「いっぱい? え? どこ? なに?」
「ママの料理はおいしいだろ」
「あぁ……」
父は単に胃袋を捕まれた男だった。結婚生活とは案外そういうものなのだと知った。