【家族の話】父が怒った日①
父は、まるで歌を歌うように語尾を伸ばし、おどけたしゃべり方をした。
そんないつも穏やかで優しい父が怒ったところを、私は3回だけ見たことがある。
そのうちの1回は、私に対してだ。
幼少時代に千葉県の佐原に疎開していた父は、きのこや山菜について詳しかった。おばあさんに連れられて、山へ食料調達をしに行っていたらしい。
その名残で父は大人になっても散歩がてら山菜採りをした。おかげで我が家の食卓にはスーパーで売っていない食材が豊富に並んだ。
春には私と母も父と一緒に土手に行き、ヨモギやタンポポなどを摘んだ。タンポポの天ぷらは、苦っぽろいがおいしかった。ヨモギは、餅にしても天ぷらにしても最高の食材だ。
父は仕事の都合で地方に行くと、空いた時間に山へ入ってはふきやきのこを採ってきた。
山菜は安心して食べられるのだが、きのこはどうしても不安が付きまとう。父は自信をもって薦めてくるが、受入れがたかった。父の食べる姿を見て、安全を確認してから私たちも恐る恐る口にした。事故を起こさず、おいしくいただくことができてよかったとつくづく思う。
土手へ家族で野草を採りに行くと、大抵私がすぐに飽きるので、ほどよい量を採って終了となる。ところが、父が1人で山に入るときは、黙々と採り続けるので大量に採ってくる。この大量のふきが母と私の悩みの種。
母は、ふきの下処理に悩まされた。もちろん父も一緒に下処理をするのだが、とにかく大量なのだ。塩をなじませ、茹でたあと、ひたすら無言で皮を剥き続ける。剥いても、剥いても終わらない。
「パパ、なんでこんなに採ってくるのよ! 」
母は毎回激怒りだった。
下処理が終わったら5センチ程に切り揃え、やっと調理にかかる。そして、おでん用の大きな鍋二つ分のふきの煮物が出来上がる。
母は、家にあるタッパーを全部出し、均等に詰め、ご近所さんに配り歩く。これでやっと鍋1つ半が消費されたが、まだ半分は残っている。
大きな鍋に半分入っているふきの煮物を家族4人で消費しなくてはいけないのだ。これに私は悩まされた。
私が唯一嫌いな食べ物。それが、ふきの煮物だった。見た目も食感も謎の苦味もすべてイヤ。
それが朝夕と毎度5本ずつ食卓に上がった。ちなみに我が家の朝食は、パン。トースト、ベーコンエッグ、サラダ、フルーツ、紅茶、そして小付にふきの煮物5本。
これが毎春2週間続く。晩酌の酒のあてでは消費しきれないので、全員参加。連帯責任。
幼稚園生や小学生がふきの煮物を好んで食べるわけがない。ずっと文句を言いたかったが、食事にケチを付けるのは御法度だった。採ってきてくれた人、作ってくれた人、食材その物への感謝。子どもながらに重々承知していた。だから、ひたすらぐっと堪えて我慢していた。
だが、高校1年生のとき、ついに爆発してしまったのだ。高校生になり、お弁当の生活となった。お弁当の蓋を開けて絶句。お弁当にまで入っていた。しかも、母は、ふきを白米の上に乗せていた。白米までも、あのイヤな味に漬っていた。せめて、アルミケースに入れて端の方に入れてくれればよかったのに。
「もう、ふきは食べたくない」
夕食のふき5本を見た途端にうんざりした。
「あら、なによ。おいしいじゃない」
「子どもにはおいしくない」
「あら、もう大人じゃない」
こういうときだけ大人扱いしないでほしい。
「せめて、お弁当は勘弁してよ」
「早く食べないと、悪くなっちゃうから」
「じゃあ、せめて、白米の上には乗せないで欲しいよ。お母さん、甘い煮豆も白米に乗せるんだもん」
「なに? あんた偉そうに。明日から自分でお弁当詰めなさい!!」
バシン!!!
大きな音が食卓に響き渡った。全員一斉に音の方向を見る。視線の先には、お誕生日席に座る父がいた。それは、父が箸を食卓に叩き付けて置いた音だった。父は一言も言葉を発しなかった。でも、全身からメラメラと怒りの炎が上がっている。
私は固まった。普段まったく怒らない父が怒った恐怖に動くことが出来なかった。
恐怖の中、一瞬で感謝と配慮が足りなかったと、反省した。
「はい。文句言わずに食べます。明日からは自分でお弁当詰めます。ごめんなさい」
今思い出しても、恐ろしい。そして、ふきの煮物は今でも苦手だ。
最後まで読んでいただき
ありがとうございます。
次回も父が怒ったことの話。