【家族の話】禁断の窓拭き

 父の人となりをもう少し詳しく説明しておこうと思う。

 まずは見た目。158㎝と小柄だが細マッチョ。

 顔は20代の写真では藤井フミヤ風だったが、30代からあれよあれよという間に髪が薄くなり、若いころの面影はなくなった。でも、元藤井フミヤ風なのだから、髪が薄かろうと私的にはイケメン寄りと思っている。

 母はお得意の冗談というやつで「おハゲちゃん」と言って父の頭をなでた。

 父はと言うと「髪が乱れるだろ」と言って、笑いながら母の手を払う。

 それに対して母が「乱れる髪なんてないじゃない!ガハハハ」となる。

 父の神対応ぶりに感服だ。ちなみに、母には冗談は通じないので、誰も母をイジることはない。

 性格はおとなしく、基本1人でいることを好んだ。だから、父の友だちの名前を聞いたことがない。聞いたことがあるのは、会社の同僚の名前くらいだ。人付き合いが悪くて嫌われているということは一切ない。父は人当たりがいいので、どこに行っても人に好かれるタイプだ。ただ、その場以上の付き合いをしないだけだ。

 釣りをしたり、散歩(運動)をしたり、山菜を採ったり、日曜大工をしたり、日曜大工の工具を買いに行ったり。1人で過ごす時間を大切にして楽しんでいた。

 友だちと深く付き合わない代わりに、父は家族を心から大切にした。父は言葉には出さないが、家族のためだけを思って生きている人だった。

 日曜大工をするくらいなので、父はとても手先が器用。母と私は、生活の中で欲しいものがあると、まず父に相談した。

「この細い隙間に3段の棚」「6畳間を2部屋に分けたい」

「床を10㎝底上げして欲しい」

「コンセントを隠して、その上に台も欲しい」

 父に頼むと、たった一言「はいよ」と言って作業が始まり、あっという間に希望通り、いやそれ以上の品物が出来上がった。

 父の凄さは、私がニュアンスでしか伝えられない場合でも、私の理想形に作り上げてしまうところだった。

 それから、父は運動神経がとてもいい。足が速くて、走る姿が格好良かった。また、海水浴では、私たちが浜辺で食事をし始めると1人でズンズン海に入り、少し沖の波と波の隙間をクロールで横切って泳いだ。大抵の人は浮き輪でプカプカ浮いているだけなのに、プールのようにクロールで泳ぐ父の姿を眩しく見ていた。

 器用であり運動神経がいい父、そして家族の要望に応えたい父だからこそのエピソードがある。

 母はとてもきれい好きだ。センスはないので、素敵な部屋ではなかったが、埃はなく、窓もきれいだった。

 我が家は団地の角部屋で、東の寝室2部屋と南のリビングに窓があった。寝室の1つはベランダがあるので、母が内も外も拭いた。もう1つの寝室は、母が内側を拭き、外側は父が2枚の窓を交差させて少しずつずらしながらなんとか全面きれいに拭けた。

 問題はリビングの窓だった。リビングの窓は他の部屋と同様にガラスは2枚分だが、開閉できるのは左側のガラスだけ。右側ははめ殺し窓だった。

「ああ、せっかくの南の窓が汚れていると気分が台無し」

 暖かい季節がやってくると母は必ずそう言った。父に窓の汚れをなんとかしろと言うのだ。

 私が小学生のとき、母は恐ろしい提案を父にした。

「ロープを体に巻いて外に出て拭くことはできないかしら?」

 窓の外には30㎝程コンクリートがせり出していて、母はそれを足場にすれば大丈夫だと言うのだ。

 さすがに父も初めは断った。

「そんな言うほど汚れてないよ」

「いいや、汚い。あの窓を見る度に嫌な気分になる」

 母は引かなかった。

 ついに、禁断の窓拭きが決行されたのだ。左側の窓を右側にスライドさせて全開し、窓から一直線の場所にある太い柱と父の腰をロープで繋いだ。もし足を滑らせたら、こんなロープ何の役にも立たないことは、子どもでも分かる。落ちたら完全にグッチャグチャの即死の高さなのだ。それをいい大人がやらせようとしている。私は見ていられなかった。

 結果は無事に成功した。それにより、毎年父は渋り、私が止めるも毎年決行。5年ほど続くことになる。

 そしてあるとき、急に過ちに気付いた母により、禁断の窓拭きは記憶の奥に封印された。

 

最期まで読んでくださり

ありがとうございます。

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