タイムカプセル④
手紙の続き
そろそろ私の過去(いま)の心境について書いておくことにする。
過去(いま)の私の生活は会社の仕事・ダンスレッスンの2つがメインで、その繰り返しだ。
仕事面は、地下街勤務で日が当たらないのが不満。仕事にも何の喜びも感じない。仕事に夢中になれた昔を懐かしく思う。
こんな毎日にヨロコビを与えてくれるのが、ダンスレッスンと読書とビールを飲むこと。それから、ときどき文を書くことだ。
ダンスは、昔のようにただ楽しいだけではなくなってきた。誰でもこういう気分を味わう日がやってくるのだろう。
19歳でやっとダンスに復帰して、運良くメインメンバーとして、ただ、ただ、楽しく踊ることができた。あれから8年。私なりには上達しているが、若手も急成長してきていて焦りを感じる。
こんなちっぽけな世界でも、私はもう限界を感じている。でも、負けたくない。
すっかり忘れていたが、27歳の私は、どうやらくすぶっていたようだ。
仕事面では、異動先事務所の立地に不満を感じ、また日々の業務の繰り返しに飽きてきたころだった。
ダンスでは、自分は下手の横好なのだとひしひしと感じていたころだった。
読書と文を書くのは、ダンスほどではないけど私の生活の大部分を占めている。
こうして、突然未来の私に手紙を書き始めたのも、椎名誠の「はるさきのへび」という本がきっかけだ。忘れていたらもう一度読んでみて欲しい。
ここでいきなりの伏線回収。手紙を書いたキッカケは、椎名誠の「はるさきのへび」だった。
私の本棚には、表紙にトレーシングペーパーをかけた椎名誠と村上春樹の本がズラッと並んでいる。
早速「はるさきのへび」を取り出し、読み返す。それは、文庫本250ページ「娘と私」の中にあった。
27歳の著者が1歳の娘にむかって独り言のように語りかけた手紙を、47歳の著者が見付けたという話。
書いたことはもうすっかり忘れてしまっているから、自分の書いたものでありながら、私はなんだかとんでもないヒミツの日記を見つけてしまい、すこしうろたえたような気分にもなっていた。
椎名誠著「はるせきのへび」より
おそらく当時の私は、著者のいう「すこしうろたえた気分」に憧れたのだと思う。しかも、ちょうど著者と同じ27歳なのだ。
書いたはいいが、数年で見つけて開封してしまわないように、区切りよく50歳になる年を記入したに違いない。
椎名誠は、妻と娘とのささやかな幸せを事細かに書いている。当時の私はまだ独身。だから、ありのままの現状を未来の自分に残そうとしたのだろう。
そうでなければ、開封前の私が想像していたように、未来の展望を書いたと思うのだ。なぜなら、私の性格だと、未来の自分に向けて、現状の自分の嘆きなど書き残さないと思うからだ。
更に手紙を読み進めていくと、この先の手紙の内容は、現在の私が完全に忘れていた27歳の私の感情で、椎名誠同様に「私はなんだかとんでもないヒミツの日記を見つけてしまい、すこしうろたえたような気分」となるのだった。
次回に続く