【家族の話】中学受験記②

 ミナコはつくづく優しい子で、その後も遊べない理由を一切聞いてこなかった。休み時間は遊び、しゃべりながら下校して、塾のない日は遊んだ。ミナコと過ごす時間だけが、唯一リラックスできる時間だった。

 1つ困ったのは私が塾の日のテレビの話で、当時は欽ちゃんの全盛期。『欽ドン』『欽どこ』『週間欽曜日』を観ていないと学校で話には入れなかった。当時はビデオデッキはなかったので観られないのだ。

 みんなが盛り上がる中、観ている雰囲気を醸しだすことに徹していた。今思うと、つまらないことに神経を使っていたと思う。

 新しい塾は、とても楽しかった。前の塾は私の他に男子が1人だけだったが、今度は女子3人(私含め)と男子5人だった。8人ですぐに仲良くなり、塾の前後に公園や工場の跡地のような場所で遊んだ。

 塾に入ってすぐのころ、母に塾の友だちのことを話した。

「女子の1人は同じ学校のNさんだよ。もう1人は違う学校。で、その女子はなんと男女の双子で、男子の方も同じ塾にいるんだよ。それからね……」

 私の話を聞かずに、母は考え事をしている。

「その同じ学校のNさんには気をつけなさい。その子、評判良くないから」

(出た、また私の友だちの批判)

「そうなの? いい子だよ。3人で気が合うし」

 その後も問題なく楽しい日々は続いた。イヤだった塾も遊ぶ時間があれば楽しい。学校の友だちとはまた違う楽しさがあった。おかげで自然と成績も上がっていった。

 小6になってすぐのこと。私が数回連続で塾を休んだあと塾に行くと、教室の空気がとても冷たく感じた。そして、仲が良かったはずの女子2人がヒソヒソと話している。ときおり「誰かさんがさあ、ボソボソボソ

 私は話しかけることができなくなってしまった。そして、一緒に遊んでいた男子5人は、関わらないようにしていることが窺えた。

 2か月間は何も言わずにジッと耐えた。無視されていると母に知られたくなかった。

 そんな日々のせいか、胃の痛みを感じるようになった。初めは気のせいかと思っていたが、そのうち差し込むように痛むようになり、油汗が出ることもあった。

「塾を辞めたい。受験もしたくない」

 母にそう言うと、いきなり母は核心を突いてきた。

「もしかして、Nさんにいじめられているの?」

 私は泣きながら、ただうなずいた。

「やっぱりそうなったか。あの子、評判悪いのよ」

 そういうわけで、あっという間に塾が変わって、中学受験は続行。

 ある日、父が白地に青い模様の缶に入った粉を飲んでいた。

「お父さん、それなに? 」

「おぉたいさんだよ。これのむと胃がスッキリするんだ」

(山の名前みたいなやつ、飲んでみたい)

 誰もいないのを見計らって飲んでみた。爽やかな味で本当に胃がスッキリするような気がした。私は、そのスッキリする白い粉の虜となった。ことあるごとに引出しをそっと開け、サッと流し込んだ。お菓子感覚だった。

「あれ? どうした? 薬なんか飲んで」

 数か月後、父に見つかった。

「どうもなくなるのが早いと思ったら、勝手に飲んでたな?」

「うん、まあ」

「子どもが勝手に飲むもんじゃないぞ。太田胃散ていう胃の薬だ」

「分かった。もう飲まない」

 父が気付いてくれたおかげでやめたが、薬を飲むのが癖になるなんて、つくづく最近の自分はおかしいと思った。

 受入れようと思った中学受験だったが、なかなか思うようにいかない。私は度重なるショックなできごとに、受験から逃れる方法ばかりを考えるようになっていった。

 夏から冬にかけて受験のラストスパートになると思うと気が重かった。

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございます。

次回も、中学受験記の続きです。

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