タイムカプセル③
ついに「1998.5 → 2021まで封印」と書かれたグレーの社用封筒を開封する日がやってきた。この封筒の中には、27歳の私が50歳の私に宛てた手紙が入っている。
封筒から便せんを取り出す。
うわー!質素な便せん。
縦書き、且つ鉛筆書き。
思った通りだ。ダサすぎる。
気を取り直して、3つ折りの便せんを開いた。
50歳を過ぎた私がこれを読むとき、どんな気持ちなのだろう。23年間この手紙の存在を忘れることなくいられるだろうか?読み返すことなく、内容をスラスラと言うことができるのだろうか?それとも意外と引越しや何かで、あっさりと無くしてしまっているかな?
できることなら、これを読むシチュエーションとしては、ある日何かの偶然で突如見付けた。そして、この存在をすっかり忘れていた。という具合がベストだ。
では、この存在をすっかり忘れていた50歳過ぎの私へ過去(いま)の私のことを教えてあげよう。
27歳の私が予想し願っていた状況通りになっていることにワクワクした。
過去(いま)は、1998年5月10日(日)。
私は27歳。急に文字の線が細くなったのは、この家にはシャーペンなんて物はなく、あったのは丸まった鉛筆だけ。初めのうちは丸まっていてもガマンしようと思ったけど、やっぱり許せなくなって家中を探したら、私が小学生のころ使っていた赤い鉛筆削りが出てきた。小学生以来使っていなかったから、少し懐かしい気持ちだね。
この家っていうのは、○○の団地。ずっと住んできた家だから一生忘れないだろうね。あっ、でもきっとお父さんとお母さんが未来でも住んでいるだろうね。私も一緒に住んでたらちょっと怖いなぁ。
過去(いま)の私は、昨年の冬から練馬区で1人暮らしをしているんだけど、ここのところ貧乏なので実家に戻ってくることが多い。
私にとって実家は、単に「実の家」ではなく「実に楽できる家」だ。なんて、お母さんに言ったら殴られるだろうな。
練馬の家は駅から遠いけれど、家賃の割には広いし、ある程度満足している。1DK・ガスキッチン・バス、トイレ別・追い炊き機能付バス・窓からの眺めもいい(モクレン、キンモクセイなど季節の花が咲く)。春先から初夏にかけて、爽やかな風が流れてまことに気分がいい。まるでちょっとした高原のペンションに来た気分になることもできるのだ。
次に引っ越ししたとしても、もう実家に戻ることはないと思う。
ありがたいことに鉛筆書きの謎回収をしている。実家帰省中に突発的に書いたようだ。
確かに実家の電話台の上にあるペンスタンドにはボールペン数本と丸まった鉛筆しかなかった。修正液がないので、鉛筆を選んだのだろう。
両親と暮らした団地はその後引き払い、当時は元気だった父も2年前に他界した。
気になったのは「実家」を「実に楽できる家」と表現していることだ。「お母さんに言ったら殴られるだろうな」と言っているが、母でなく現在の私でも、なんと図々しい娘なのだろうと腹が立つ。今や私の思考は、母の立場になった。
26歳のとき、母の爆ギレの末1人暮らしを始めた。母は私が本当に出て行くとは思っていなかったようだ。
1人で契約や支払を済ませて帰宅した私は、父に保証人を頼んだ。それを見た母は、突然私に対して優しくなった。
1人暮らし開始後は、実家に帰ると母は私を大歓迎した。母は、近所の人に「うちの娘は、年中うちに帰ってくるのよ」と困った表情をしながら満足そうに言う。
そこにつけ込んだ私は、給料日前になると実家に1週間近く滞在し、母と衝突しそうになると、自分のアパートに逃げ帰った。
27歳の私はクズだった。
練馬の家は、練馬駅と豊島園駅の中間辺りにあった。部屋は2階で、北の窓の前にはモクレン、東の窓の前にはキンモクセイがあった。窓を明けて花を間近に眺めていたことを思い出した。
次回に続く