父の車で通学

 高校の3年間、私は父の運転する高級社用車で途中まで送ってもらおうと常に狙っていた。

 1,2年生のころは部活の朝練があり、父とは時間が合わなかった。狙いは定期試験1週間前。部活が休みになる期間のみだった。

 学校は8時40分までに登校なので、本来なら7時半に家を出れば十分間に合う。起床時刻は6時半で十分だ。しかし、私は6時には起床し、父の様子を窺っていた。

 

 某自動車メーカーで役員付のドライバーをしている父が家を出る時間は、基本は2パターンだった。ゴルフ場などの遠方送迎で早朝に家を出るか、近場送迎で7時に家を出るか。私は、父が家を7時に出る日を狙っていた。

 父が7時に家を出ると分かると、私も身支度を進め、しれーっと父と一緒に家を出た。

 

「あんたって図々しい子だね」と母は言った。

 

「遅刻回避のために乗るのは教育上良くないけど、私の場合は車に乗るためにわざわざ早く家を出るのだから問題ないね」と言い返す。

 

 今思うと、本来ならばそもそも論点はそこではないはず。社用車に勝手に乗ること事態が良くないのだが、その点は父母共に緩かった。

 

 高校までの路線経路は、1回乗換えて2路線使用。乗換駅で友だちと待ち合わせて登校。

 車で行く場合は、乗換駅で降ろしてもらった。

 

 車の方が早く、待合せ時間まで30分以上あった。ちょうど定期試験前ということもあり、私は駅のホームのベンチで試験勉強をした。

 たくさんの人の往来の中にもかかわらず、不思議なほど集中できた。満員電車で押し潰されることもなく、待ち時間に勉強も出来て、一石二鳥のお得感がうれしかった。

 

 

 朝の車中の思い出といえば、TBSラジオ大沢悠里のゆうゆうワイド』だ。父はいつもこれをかけていた。大沢悠里さんの声は、私のザワつく心を落ち着けてくれる作用があった。

 

 私の高校生活は、傍からしたら順調に見えたことだろう。しかし、本当の私の心の中は、3年間いつもザワついていた。

 共学ですぐに初の彼氏もできて、先生や先輩にも公認のカップルだった。1年ほどで別れてしまったが、その後も友だち関係は続き楽しかった。

 部活もマネージャーという仕事は学びが多く、刺激的で楽しかった。

 いつも行動を共にする気の合う友だちもいて、校内も放課後も楽しかった。

 

 それなのに、常に『高校の友だちとはこの3年間だけの付き合いかもしれない』という漠然とした思いがあった。

 自分とは何かが違う人の集まりに感じ、高校生活を楽しむために演じる必要があった。

 だから、心はザワつき、疲れていた。みんないい人ばかりなのに、なぜか疲れた。

 

 大沢悠里さんの声はそんな私の心を癒やしてくれたし、父はいつも通り無口で居心地がよかった。2人でただラジオを聞いて、おもしろい話に一緒にクスッと笑うだけだった。

 

 

 記憶を辿りながら書いているので、あれは本当に『大沢悠里のゆうゆうワイド』という番組だったのだろうかと、念のためウィキペディアを確認した。

大沢悠里のゆうゆうワイド

ジャンル       バラエティ・生活情報番組

放送方式       生放送

放送期間       1986年4月7日 - 2016年4月8日

放送時間       平日8:30 - 13:00(270分)

放送局     TBSラジオ

パーソナリティ   大沢悠里

         出典: フリー百科事典『ウィキペディア

 

  1986年から放送開始とある。正に私が高1のときなので間違いないと思った矢先、放送時間に驚いた。8時30分から。これでは私が車の中で聞けない。いったいどういうことだろうか。

 定期試験日は、登校時間が1時間遅かったたのだろうか。

 

 ラジオのタイトルコールが

『おーさわゆーりの♪ゆうーゆうーワイードー♪』

 という歌だったので間違いないはずなのだが。

 

 誰かに確認したいが、高校の友だちとの付合いはないし、父にももう確認できない。

 父との数ある思い出の中でも上位に入る思い出なのに、なんだか妙にモヤモヤしてしまった。

 

 

 

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