【こぼれ話】リオ

 ミツキには4つ年下の妹のリオがいる。存在感たっぷりのミツキのことばかり書いてきたが、これからはリオについても書いていこうと思う。

 リオは4月に生まれた。ミツキの出産のときに帝王切開だったので、リオも自動的に帝王切開となった。

 2,694グラムと小さめではあるが、ミツキの2,230グラムに比べるとしっかりしていた。

 リオの産声はなんとも美しかった。

「こんなにきれいな声の赤ちゃん初めてだわ」

 看護師さんがそう言うほど透き通った声で、まるで天使がハミングしているようだった。この子はきっと天使か妖精の出身に違いない。私はそう思った。

 初めて抱き上げたリオは、ふんわりしていた。肉のないゴツゴツしたミツキとは全然違った抱き心地で、ふわふわのクッションのようだった。肌感も男女でここまで違うものかと驚いた。

 5日の入院期間を問題なく過ごし、予定通りの退院となった。退院の日、入院費などの精算を終えて、リオを抱いて病院の外に出た。自動ドアが開いた瞬間、オオムラサキツツジの香りが私たちを包み込んだ。

『やっぱりこの子は春の妖精だ。妖精たちが祝福してくれている』

 私はリオが春の妖精の出身だと確信した。

 リオはよく泣く赤ちゃんだった。布団に寝かされるのが嫌なようで、抱かない限りはずっと泣いていた。

 リオが生まれてからの3か月間は、私たちは実家にお世話になっていて、ミツキは実家から車でプレ幼稚園に通っていた。実家にいる間は、私と父母の3人交代でリオを抱き続けた。抱いていて寝たなと思って布団に下ろすと目を覚まして激しく泣いた。夜中でさえも布団で寝ないので、私はリオを抱いたまま壁により掛かって寝ていた。

「昔は抱き癖を付けるとよくないなんて言ったけど、本当はいっぱい抱いてやった方がいいらしいよ。大人が3人もいるんだからいっぱい抱いてあげましょう」

 母は孫にはめっぽう優しい。

 実家から戻ると交代で抱いてあげることができず、激しく泣かせることとなった。食事を作るときはおんぶをするのだが、激しく脚を動かして、私の背中を登っておんぶ紐から脱出してしまった。

 リオを昼寝布団に寝かせておくしか手立てがなかった。もちろん、リオは一層激しく泣いた。初めは「エーン」だった鳴き声が、「ギャー」となり、そのうち「シャー」になった。まるでアブラゼミの大群の鳴き声のようだった。

 潮騒、川のせせらぎ、蝉の声。3大「初めは聞こえているが、慣れると聞こえなくなる音」だ。

 初め妖精出身だったリオは、いつしかリオ蝉になっていた。私はリオ蝉の泣き声に慣れて、さほど気にならなくなった。抱いてあげられないときは仕方ないのだ。

「ああ、またリオ蝉が泣き始めた。急いでごはん作るから待っててね」

 そのうち疲れて寝てしまうだろうと思うのだが、リオ蝉はしつこく泣き続ける。作り終わって抱き上げると、すぐに泣き止んだ。

 慣れたと言えども、いつまでこんな生活が続くのかと思うこともあった。こちらは日々寝不足なのだ。

 9か月で歩き始めると、体力消耗が激しいのか徐々に夜は布団で寝るようになり、10か月以降は、昼寝も布団で寝るようになった。

 今思うと、リオは体力が有り余っている赤ちゃんだったのかもしれない。

 生後3か月のころ、友だちから譲ってもらったバウンシングシートにリオを寝かせていたときのこと。脚をばたつかせて激しくバウンドして楽しんでいると思ったその次の瞬間、腹筋で起き上がり自力でシートから這い出てしまった。画期的と思われたバウンシングシートは、使用開始1週間でお蔵入りとなってしまった。

 そんな元気なリオを寝かせよう寝かせようとする私への反逆だっただろう。

 よく遊び、よく寝るようになると、次第に激しく泣くことはなくなり、リオは元の愛らしい妖精へと戻っていった。

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