おわりに

 中学校の三者面談でミツキに対して感じた違和感の話から始まり、出産時まで一気にさかのぼり、成長を振り返りながら、中学卒業までを記してきた。

 ミツキにキャッチフレーズを付けるとしたら「生まれたときから反抗期」だ。生後8か月で児童館デビューをし、社会とのつながりを持つようになってからずっと、子育ての悩みが尽きなかった。

 4年後リオが生まれると、リオの育てやすさに驚いた。勝手にすくすくと育ってくれた。それだけに幼いころのリオの思い出は薄い。ミツキの圧倒的存在感には誰も敵わない。

 本やインターネットで、子どもへの接し方について書かれたものを読みあさった。どれもとてもすてきな内容で、なるほどこんなときはこう対応するのかと納得する。だが、ミツキとの実生活では活用できない。本に載っている事例とは微妙に違うのだ。

 普通の子育て本で限界を感じた私は、ミツキの発達障害を疑い始めた。調べてみると今度は、そこまで困っていないと感じた。

 ミツキを病院に連れて行ったが、それで良かったのか今も分からない。連れて行って良かったという実感はないのだ。ADHDだと分かったところで、ミツキ自身の変化を感じなかった。検査したことに対して、ミツキがどんな風に感じたのかさえも、情けないことによく分からないのだ。

 唯一変わったことと言えば、私自身が「この子はADHDなのだから仕方ない」と思えるようになったことだ。しかし、そう言いつつも「これは本当にADHDの症状なのか?」と疑う気持ちも拭えなかった。

 どの本を読んでも当てはまらないので、ついには「葉野ミツキの育て方」という本はないのだろうかと本気で思うようになった。分かりきったことだが、そんな本はこの世に存在しない。だから、私はもう子育てに関する本を読むのをやめた。

  その代り、今後ミツキのような子どもを持ったお母さんのために、私の体験談を書いてみようと思った。共感してくれる人がいるかもしれない。もしかしたら、何かの参考になるかもしれない。

 「葉野ミツキの育て方」を書いていると、ミツキはその時々の私の対応をどんな風に思ったのだろうかと思うことが多々あった。

 私が中学生のころ、女子の間でコバルト文庫が流行っていた。当時の人気作品を次々と読破した。その中で最も興味深く読んだ作品が、氷室冴子著の『なぎさボーイ』と『多恵子ガール』だった。

 思春期の男女が、同時期の前後する出来事を、お互いの視点からみた語り口でつづられた甘酸っぱい恋愛物語だ。男子と女子の視点でこんなにも違うものかと驚いたものだ。

 これを読んで以来、全ての人間関係において同じことが起きていると思うようになった。1つの出来事でも、立場が違えば、感じ方も違うのだ。

 ミツキは私という人間を母親に持って、どう感じていたのだろうか。私の言動は、ミツキの目にどう映り、心でどう感じていたのだろうか。

 いつか「葉野ミツキの育て方」のミツキ視点バージョンを彼自身に書いてもらいたい。

 

 おわりのおわりに

143のミツキの話を書いてきました。最後まで読んでくださりありがとうございました。
ミツキの高校生活編は、高校を卒業してからにしたいと思っています。

次回からは、その他こぼれ話を書いていきたいと思っています。
引き続き読んでいただけたらうれしいです。

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