【こぼれ話】強情リオ

 ミツキ5歳、リオ1歳6か月のこと。

 ある秋晴れの気分のいい日の午後。リオの手をひいて、ミツキの幼稚園まで歩いてお迎えに行った。いつもなら玄関先でリオをベビーカーに乗せて、幼稚園まで続く川沿いの緑道を急ぎ足で歩いて行く。この日は時間に余裕もあり、リオと手をつないで散歩をしたい気分だった。つないだリオの小さな手が、赤ん坊から幼児の手に成長していることに気付いていとおしく思う。

 リオは生後9か月で歩き始めたとはいえ、まだ1歳6か月だ。すぐに疲れるだろうと思い、片手でベビーカーを押して行った。大人の足でズンズンと歩いて10分のところ、のんびり40分かけて歩いてようやく到着。予想外にすべて歩ききったリオの爽快な笑顔はまるで晴れた空のようだった。

 園児の母親たちに「リオちゃん歩いてきたの? すごいね」とほめられ、リオの気分は上々。このときの私は、こらから試練が始まるなどと思いもしなかった。

 試練は翌朝から始まった。幼稚園の登園の際、いつものようにリオをベビーカーに乗せようとすると、体をのけ反らせ激しく抵抗した。玄関先で揉めているうちに遅刻ぎりぎりの時間になってしまった。何が何でも乗りたくないリオと、何が何でも乗せたい私との戦いの火ぶたが切って落とされた。

 根負けした私はリオの手をぎゅっと握り、無言でグイグイと引っ張って歩いて行く。リオの足が、もつれるギリギリのところで回転しているのがわかる。気の優しいミツキが心配そうに見ている。ときどき立ち止まっては、ベビーカーに乗せようとするが、リオも相当な頑固者である。

 登園後の帰り道には時間にも余裕があるので、そっと手をつなぎ、歩調を合わせて歩いてあげたいと思う。しかし、そのころにはリオは疲れてベビーカーで寝てしまうのである。

 この戦いは、朝の登園と午後のお迎えのときに毎日続いた。次第にリオは体力がついてきて、日によっては全行程を楽に歩ききるようになった。そうなると、ベビーカーは邪魔になるのだが、うまくいけば乗ってくれることもあるので手放せない。かといって、持っていっても乗らず仕舞いということもある。

 ひどいときには乗るのも歩くのも嫌がり、ベビーカーを押しながら抱っこということもある。こんなとき、気を利かせたミツキが、私の代わりにベビーカーを押してくれた。

 心の中で「早く乗れ」と念じている自分に嫌気がさし、思い切ってベビーカーを持って行くのをやめてみると、かなり気持ちが楽になった。

 一方リオは、歩くことに慣れてきたのだろう。感性の赴くままに遊び歩きをするようになった。すぐに座り込み、遊び始めるので前に進まない。「おいて行くよ」と言って私が歩き出すと、半ベソをかいて追いかけてくる。こうするとある程度距離が稼げた。

 しかしこれを許さなかったのが、ヘンなところで生真面目なミツキだった。「かわいそう」と言ってリオにかけ寄り、手をつないで連れてくる。

「ママはすぐにリオちゃんを置き去りにする。パパはママを怒った方がいいと思う」

 ついには夫に報告されてしまった。

 少しずつ春を感じるようになると、雨の日が増えてきた。初めての雨の日、レインコート、長靴、傘の雨具フルセットを身にまとう自分の姿に、リオは酔いしれていた。カバーをかけたベビーカーを持って行ったが、結局は邪魔になるだけだった。雨が降ってもしっかりと歩く娘をえらいとも思ったが、小雨ならともかく、大雨の日は無理があるだろうと先が思いやられた。

 大雨の日の朝。

「今日は歩くのはナシだよ。ベビーカーに乗ってね。雨ザーザーで大変。わかったね」

 朝起きてから、家を出るまで家族総出でリオを説得した。リオも窓から外を眺めながら、ウンウンとうなずいていた。

 ところが、いざ出かける準備を始めると、結局リオは雨具フルセットを身にまとった。

 傘はぶら下げて歩いているだけなので、フードをかぶっていても顔はビショビショ。レインコートを伝って雨が長靴の中に入ってくるので足もグショグショ。

「なんでここまでして歩きたいのかね。ミっちゃん方が乗りたいぐらいだよ」

 総領の甚六ともいえるミツキの一言である。

 普段と違う状況で疲れの限界に達したのだろうか、急にリオの足元がふらつきだした。ベビーカーは置いてきたので、リオを抱きかかえるより他ない。レインコートが突っ張って抱きづらい。

「ママ、大変な思いをさせてごめんね」

 私がよほどつらそうに見えたようだ。なぜかミツキが涙ぐんだ。優しい子だ。

 翌日は青空が広がっていた。リオは自らそそくさとベビーカーに乗った。

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