パパの英語教室

 6月下旬に初めての中間試験が控えていた。中学入学以来、勉強しているミツキの姿を見たことがなく、中旬辺りから私は毎日苛立っていた。

 とりわけ、小学生から続けている通信教材に全く手を付けていないことを、私は残念に思った。通信教材を子どもが溜めてしまって困るというのはよくある話だが、小学時代のミツキは6年間ずっと期限内にやっていた。そんなミツキを私は高く評価していた。
 中学生以降は自主的に学習できるようにと、学習方法や時間管理方法を指導してきた。取りかかりに時間がかかっても、始めてしまえばそれなりに自分自身で学習を進められるようになったと思っていた。それなのに、中学生になった途端、まったく勉強しなくなってしまったのだ。

 せめて、英語と国語の教科書の音読くらいはして欲しかったが、何度声を掛けてもミツキは聞く耳を持たなかった。

 もう中学生なのだから付きっきりで学習をさせるのはよくない。自立させなければと、自分に言い聞かせた。

 私がミツキの自立を願って口出しするのを我慢している中、突如夫が張り切りだした。

 数字やひらがなが覚えられない。手を使って計算する。学習障害かもしれない。幼児期から小学校低学年まで、私はミツキの学習についてたくさん悩んできた。夫にも相談してきた。

「まだまだこれからだよ。きっと大丈夫だよ」

 どんなに深刻に具体的に相談しようとも、夫の答はいつも同じだった。そのうち、どうせ同じ答えが返ってくると思うと、私は夫に相談しなくなった。

 それなのに、中学生になった途端に「勉強勉強」と騒ぎ出した。特に英語にロックオン。

「ミツキ、毎日10分でいいからお父さんと英語をやろう」

「あ?やらなくていいよ」

 そりゃそうだ。勘違いしまくりの思春期中学生が、いきなりしゃしゃり出てきた父親の話をまともに聞くわけない。それじゃなくたってミツキをその気にさせるのは大変なのだ。熟練の私でさえ、押したり引いたり微調整に苦労しているのだから。

 夫は顔を会わせるたびにミツキに声を掛けたが、進展しなかった。私は、初めのうちは放っておいたが、後押しすることにした。

「ミツキ、パパは英語得意だし、一緒にやってみたら? 1日10分でいいから。パパも仕事が忙しいから毎日って訳にはいかないだろうし」

 こうして夫とミツキの英語教室が始まったのだが、その学習内容を聞いていると不安になってきた。中間試験が迫っているのだから、試験勉強に向けて直接的な内容を期待していた。ところが、夫の英語教室は、本気で外国人になりたい人のスタンスの内容だった。決して間違ってはいない。長い目でみたら大正解の内容だ。だが、相手はミツキだ。飽きさせたら終わりだ。中間試験だって迫っている。

 夫は、ことさら発音にこだわった。特に「THE」の発音が気になるようで、ひたすら「ダ」「ダ」「ダ」と発声させた。当然、あっという間にミツキは飽きた。

 ある晩事件が起きた。

「おう、ミツキ。英語やるぞ」

「うん」

 テレビ画面に顔を向けたまま、嫌々答えるミツキ。

「今日は10分長くやるから、あと10分ビデオを観せてよ」

「いいだろう」

 

 私がお風呂をあがり、リビングに戻ると、2人が激しい言い争いをしていた。言い争いの内容から、ミツキが10分経ってもビデオを観続けていたようだと分かった。夫は殴りかからんばかりの勢いだ。ミツキも目が釣り上がり、今まで私が見たことのない表情だった。

『やっぱりこうなるよね。こうなったら終わりじゃん。ミツキの時間を守らない癖は、今始まったことじゃない。ミツキだけじゃない。子ども全般そんなものだ。たった1回でそんなに怒っていたら、身が持たないよ。パパ、ミツキは自分の理想通りにはいかないのよ』

 私は心の中でそうつぶやきながら、2人の激突を眺めていた。2人がどんどんヒートアップしていくので、仕方なく間に入った。

「ミツキ、約束は守らないといけないよ。試験が直前に迫っているという自覚もなさすぎだよ。今日は自分で試験勉強しな」

 夫とミツキを強引に引離した。ミツキはそのまま部屋に入り、しばらく無駄にガタガタと音を立てていたが、そのうち静まった。

「はあ? なんだよアイツ。俺、ママの気持ちがやっと分かったよ。今までよくやってくれていたね」

「ミツキは、やりたくないことからはとことん逃げる子だからね。英語を教えるのなら、興味を持つやり方を考えないとね。パパの思い通りにしようと思ったら、パパ自身がしんどくなるだけよ」

 ミツキの部屋の電気が消えた。しばらくして、そっと部屋に入った。ミツキはすでに熟睡していた。タオルケットを掛け直してやろうと手を伸ばした先に、不自然な物があった。

「うわ、ハンマー持ってる。反抗期っぽいことするな」

 私は小声でつぶやき、そのまま部屋を出た。私がリビングでテレビを観ていると、風呂上がりの夫が慌てて私のところにやってきた。

「ママ、大変だ。ミツキがハンマー抱えて寝てる。アイツ、めちゃくちゃ俺に反抗してたから俺を殺そうとしてるんだ」

「んー。ミツキはそんな大それたことする子じゃないよ。持っていたいんだから、持たせておこうよ」

 

 翌朝、ミツキに聞いてみた。

「パパがあまりにも怒っていたから、殺されると思って用心のために持って寝たんだよ」

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