カニの盗塁

 5年生に進級したミツキは、残念ながら野島くんとは違うクラスになってしまった。しかし、違うクラスといっても2クラスしかないので、5年生ともなるとクラスのくくりはあまり関係しないようだった。唯一のダメージは、倉山先生が転出したことだった。倉山先生の転出は、多くの子どもたちと保護者に惜しまれた。新しくミツキのクラスの担任になった松本先生は、初めのうちはやり難さを感じたのではないかと思う。

 倉山先生は、感覚で生きながら物事の良い面を捉えようとしている人。松本先生は、論理的に考えながら物事の良い面を引き出そうとする人。私はどちらも子どもたちを思う気持ちの強い、素晴らしい先生だと思っている。

 ミツキは、倉山先生に3,4年生で自信をつけてもらい、松本先生に要所要所で軌道修正をしてもらいながら、楽しい5,6年生を過ごしていった。

 5月の半ば、1日に野球の練習試合が3試合というハードスケジュールの日があった。第1試合はAチーム、第2試合はBチームの試合だった。4年から6年で構成されるAチームの試合には、ミツキの出番はなかった。ミツキはいつものように、ボール拾いとボール拭きをしていた。

 次は3,4で構成されたBチームの試合なので、5,6年生はベンチで応援していた。このときミツキの隣に6年生の声出し名人が座り、試合中の声出しの極意を叩きこんでくれた。

 午前中に2試合終了後、Aチームのみ別のグランドに移動し、お弁当を食べてから3試合目とのことだった。選手や監督コーチも疲れると思うが、2試合ずっと立って応援している母もかなり疲れる。移動先のグランドが遠いこともあり、野島さんと「シラーっと帰っちゃおう」と相談していると、ロバートダウニーjr似の蝶野監督に声を掛けられた。

「午後の試合でミツキをスタメンで使うから」

 うれしいのに辛い。私以上にうれしそうにしている野島さんを見て、なんていい人なんだろうと感動しつつ、コーチの車に子どもたちと一緒に同乗させてもらった。

 Aチームの試合にスタメンで出られるなんてすごいと単純に喜んでいたが、よくよく考えたら、4年生にはすでに午前中に2試合出場している選手がいる。6年生は1試合だけだがエースとキャプテンは、ピッチャーでお疲れだ。というわけで、ミツキにもチャンスが回ってきたのだった。

 ライト方面にボールが飛んできませんように。もし飛んできたら、どうか捕れますように。そう願いながら手に汗握る第3試合。

 ミツキはフライが大の苦手だ。ボールの落下地点を全く予測できないのだ。後ろに走って捕るのは距離感が掴みづらいとは思うが、前に落ちるボールも落下地点より前に行き過ぎたり、後ろ過ぎたりと全然捕れない。
 このことは、コーチにどんなに個人レッスンしてもらっても、中学生になっても替わり映えしなかった。WISC-Ⅲの検査結果で知覚推理指標の数値が低かった。知覚推理指標とは、視覚的な情報を取り込み、前後関係や全体を推測する能力の数値である。フライが捕れないことと何か関連しているのだろうかとも考えたが、打つことに関してはこれが当てはまらないようだった。

 試合終盤、ミツキはヒットを打ち塁に出た。初めての盗塁のチャンスが巡ってきた。盗塁練習はしているものの、試合本番は初めてだ。

「ミツキ、もっと出ろ!」

 蝶野監督やコーチ陣から激が飛ぶが、初心者且つ小心者にはそんな大それたことはできない。だってすでに2アウト。しかも、この回ミツキがホームインすれば逆転なのだ。

「お願い。ミツキ、無事に帰ってきて」

 手を合わせて無事を祈る。アイツならきっとやってくれる感が全くない。リードのフォームが不格好でぎこちない。もし両手をチョキにして顔の横にもってきたら、カニだ。相手ピッチャーもカニならすぐにアウトにできると思うから、牽制がエグイ。カニが相当な慌てっぷりでベースに戻る。ベースがずれる。膝をついてベースを丁寧に元の位置に戻す。これが延々と続いた。

「あいつ几帳面だな」

「あのフォーム直してやらないとな」

「がんばれ、早く帰ってこい」

 みんなが激を飛ばす中、ミツキはいまだかつて私が見たことのない真剣な表情をしていた。美しかった。

 その後ミツキは見事盗塁を重ね、命からがら、息も絶え絶え、ドロドロになってホームベースに帰還した。ベンチはまるで、アスリートの凱旋帰国のような盛り上がりだった。

 私はこの試合のことを一生忘れない。

にほんブログ村 子育てブログへ
にほんブログ村