努力賞授与式

 小学校では、各行事でさまざまな選出がある。例えば、夏休みの宿題や俳句、読書感想文などの優秀作品の代表。入学式や卒業式やその他学校行事のスピーチの代表。皆勤賞など。細かいものを入れればもっとある。ミツキは、そういったものに全く縁がない。しかし、何にも引っかからなくても、彼なりにがんばっているのだ。
 その証を私が残してやろうと思い、1年間の成長をまとめた手紙付き表彰状をパソコンで毎年自主作成していた。学年末の修了式の日に、ビデオ撮影をしながら家で授与式を行った。ミツキもうれしそうで、私も手紙を読みながら涙ぐんでしまうほど、感動的な家族の行事だった。
 何かと表彰される機会のあるリオにとってはただの茶番に感じるようで不評だったが・・・

 そんなミツキに茶番でない本当の表彰式がやってきた。

 秋季大会表彰式には、上位3チームと各チームから1名ずつ努力賞受賞者が集っていた。大会本部長や区議会委員の激励の言葉のあと、表彰式が始まった。レッドウィングスが25点差で負けたあのチームは、惜しくも準優勝だった。上位3チームの表彰はチーム全員が来ているし、応援の母たちも来ているので大いに盛り上がっていた。
 努力賞受賞者は30名以上いるので流れ作業的かと思いきや、数名ずつ前に出て横1列に並び、名前が呼ばれたら1人ずつ表彰状を受け取りに行く。厳かに式が進んでいくので感動的だった。
 ミツキは、表彰状を受取って列に戻ると気が抜けたのか、おもむろに手をポケットに突っ込んだ。『てめーこのやろー。ポケットから手を出しやがれ!』とガン見でテレパシーを送っていたら出した。滅多にない機会を台無しにしてはいけない。

 ミツキたち6年生にとって、残された公式試合はあと2大会のみ。ひとつは、総当たりして勝利数を競う地区大会で、あと1戦残っていた。もうひとつは、トーナメント戦の送別大会だった。

 地区大会のあと、あるコーチからメールが入った。

「ミツキが公式試合においてのリーディングヒッターになりました。これからもがんばれ」

 野球用語の分からない私は、すぐに検索。「打撃率が1位の打者。首位打者」と出てきてひっくり返った。うそだろー!驚き過ぎて初めのうちは無駄にバタバタしていたが、落ち着いてくると一気に監督・コーチへの感謝の気持ちが込みあがってきた。

 ミツキに伝えると、驚きながら照れた。褒められ慣れていないのだ。

「公式試合はあと送別大会だけだから、気合入れてがんばるんだよ」

「わかってるよ」

 一応そう返事をするものの、ミツキの場合、素振りの回数を増やすとかの変化はない。うまくいかないときは、うまくいくように努力するとか。うまくいったときは、更に高みを目指して努力するとか。そういう考えは一切ない男。それが、ミツキ。
 小さな失敗や成功の体験、誰かから何気なく誉められたことをきっかけに、現在の成功を掴んだというサクセスストリーをよく耳にするが、ミツキの場合は、ただ単に事象として受け入れるだけなのだ。実にもったいない。傍で見ていて歯がゆくて仕方ない。

 11月下旬の土曜日、送別大会第1回戦。ここで負けたら、6年生は事実上の引退となる。1回の裏先取点を取られたものの、2回3回と互いに譲らず、4回表ミツキのセーフティーバントで試合の流れが一気に変わった。結果は、12対3でレッドウィングスの勝利。

 翌日の日曜日、第2回戦。前日とは打って変わって寒い。11月下旬ということもあるが、海が近いので風が強いのだ。こんなとき、ライトは体が冷えてしまう。ミツキは縮こまりそうな体を大きく動かし、打球に備える。
 2日連続での試合につき、この日の先発投手は野島くんだった。応援席の野島さんに緊張がはしる。
 野島くんは、キャプテンとして5,6年生をまとめ、安定のショートの守備、リリーフ投手としても存在感があった。4回までに3点先取されたものの、野島くんは必死で耐えていた。レッドウィングスの攻撃は塁には出るものの、残念ながら得点にはならなかった。
 送別大会は、0対3で惜しくも2回戦目で敗退した。

 試合後のミーティングで、蝶野監督が「思い入れのある3人だった」と言って目頭を押さえた。元々この学年は、1人もいなかったのだ。ミツキと野島くんが入部する直前にエースが入部した。3人は、Cチームからではなく、Aチームから蝶野監督の下で育ってきたのだ。
 ミツキは、最後まで打率を伸ばし、今期のチーム内リーディングヒッターとなった。監督・コーチに感謝の気持ちいっぱいだった。

 ミーティング直後、ミツキは早くも引退後の遊びの予定を野島くんにもう持ちかけていた。
 なんだかなあ・・・

にほんブログ村 子育てブログへ
にほんブログ村