野球への誘い
「葉野くんは、最近では仲のいい友だちの間でリーダー的存在なんですよ。自立心も出てきているし。不器用なところもあるけど、リーダーになるのだから『何か持ってる子』ってことなんだろうな」
4年生の夏休み前の面談で、倉山先生は言った。思い起こせば幼稚園時代もミツキはリーダーだった。小学校にあがって心配な時期もあったが、ついにミツキの中でうまく回り始めたのだろう。
夏の4泊5日、秋の2泊3日のキャンプを体験し、ますます自立心が高まっていった。そんな折り、野島くんのお母さんから驚きの提案があった。
「うちの大地と一緒に野球チームに入らない?」
ミツキと野球チームがあまりにも結びつかなくて、一瞬全ての思考が止まってしまった。
「大地は、前の野球チームを辞めちゃったでしょ。あまりにも厳しくて心が折れちゃったんだよね。でも、野球をやりたいって気持ちはあるの。でも、一度心が折れてるから、なかなか踏み切れなくて。ミツキくんと一緒なら野球に行くのも楽しくなると思うの」
野島さんの勧めるレッドウィングスは、30年程の歴史のある軟式野球チームで、ミツキたちの通う小学校か近所の球場で、土日祝日に練習をしているのだという。
「私の弟も昔、レッドウィングスにいたの。大地の前のチームみたいには厳しくないと思うんだ。大地がミツキくんを誘っていると思うんだけど、聞いてないかな」
確かになにやら言っていた。しかし、私は遊びで野球をやるのだと思っていたのだ。その日の夕方、早速ミツキに聞いた。
「ああ、その話ね。考え中」
「考え中って、あなた野球やりたいの? チームに入りたいの? 」
「だからそこを考え中。オレは野球どうこうは考えたこともないよ。でも、ノジが野球始めたら、またノジと休みの日に遊べなくなるじゃん。だったら、一緒に野球に行った方がいいかなってね」
「つーか、どんだけノジが好きなんだよ」
「べつにいいだろ」
「そりゃあ、ノジが好きなのは分かるけど、野球チームに入るって、そんな風に決めていいことなのかね」
「えーダメなの?」
「毎週土日それから祝日も、朝から夕方までずっと練習するんだよ。夏は炎天下、冬はブルブル震えながら。よっぽど好きじゃなきゃできないド根性スポーツだと思うけど」
「やれるかどうかは、やってみないとわからないじゃん」
「おーっと出た。エピメテウス」
エピメテウスとはギリシャ神話に出てくる神で、人類に火を与えた神プロメテウスの弟である。プロメテウスが「先見の明を持つ者」「熟考する者」という意味に対して、エピメテウスは「後から考える者」という意味がある。
「なるほど、なるほど。プロメテウス的な考えを持つ私としましては、野球チームに入るのであれば、いくつかミツキにも知っておいてほしいことがあるよ」
予め考えるべきことを説明した。
①土日祝日、朝から夕方まで練習
②夏は炎天下、冬は極寒の中での練習
③野球用品の初期費用は、ばかにならない。
④休みの日に家族で出かけられなくなる
⑤お弁当が必要
⑥母のお茶当番がある
⑦試合の応援などで家族全員が野球方面に引っ張られる
可能性
③以降は、ミツキにとっては知ったこっちゃないとこかもしれないが、家族の一員として、家族に降りかかるリスクまで考えた上で、それでも自分は野球をやりたいのだという気持ちをしっかりと持ってほしかった。
リオが幼稚園の年長になり、活発に何でもこなすようになった今、我が家は頻繁にアスレチックや登山に出掛けるようになっていた。ミツキが野球を始めることによって、リオの楽しみを奪ってしまうことになる。ミツキが幼稚園のときは、いろいろな場所に遊びに連れて行ったことを思うと不公平に感じた。
10月の最後の日曜日、ミツキは初めて練習に参加した。私も野島さんと一緒に練習の様子を見に行った。野島くんは経験者なので、すぐに他の部員との練習に加わった。ミツキは、コーチに個人指導してもらっていた。
翌週は土曜日が雨で中止。日曜日はお弁当を作り終えたところで、体調不良のため野島くんがお休みすることを知った。すると、ミツキのやる気は一気に萎え、自分も休むと言い出した。
結局こうなるのだと、がっかりするような、ほっとするような気持ちになった。