緊張するのはいいことだ

 「ミツキ、リラックス。笑って」

 頼もしい6年生たちが引退し、今度はミツキたち3人が最高学年となり、チームを引っ張っていく時期がやってきた。野島くんがキャプテンで10番、ミツキは8番、もう1人の6年生はエースで1番の背番号を引き継いだ。

 毎回スタメンで出場させてもらうものの、守備も打席もぱっとしなかった。入部したてのころ打てたのは、ビギナーズラックだったのだろうか。素振りを欠かさずやっていたが、結果に結びつかなかった。
 過度の緊張が原因のようだった。バッターボックスに入ると、ミツキの緊張がベンチにも伝わった。リラックスと言われてもどうしていいのか分からない。笑えと言われて無理やり笑っても、表情筋を動かしているだけだった。

 緊張しやすい体質なのだと諦めてしまっては改善できない。緊張の正体は何なのか調べた。

 人が緊張すると、脳がストレスを感じ、体内でノルアドレナリンという物質が分泌される。これは、ストレスに反応して出てくる神経伝達物質で、緊張したときに起こる身体のさまざまな症状の原因である。ノルアドレナリンが原因で起きる症状や作用は以下の通り

①心拍数が上がる

②消化器系の活動の抑制

③瞳孔が開く

④痛覚が遮断される

⑤集中力・判断力・注意力の向上

⑥筋肉の機能向上

 このような症状や作用は、大昔から人間に備わっている防衛本能で、「外敵から身を守るための準備をしろ」と脳が指令を出すために起こる。防衛本能とは、大事なときに自分を守り生き延びるための体と心の知恵である。
 つまり、緊張するのは、人の防衛本能が機能している証拠である。現代社会で命の危険を感じる事はほとんどないが、重要な場面や決断の時に、緊張状態が集中力の手助けとなる。緊張することが悪いことではないのだと分かった。

 自分が経験した中で1番緊張をした日のことを思い出した。私は、以前ダンスを習っていた。年に1度の発表会で、いつもは舞台の袖で心地いい緊張感を感じていたが、ある年だけ違った。自分の出番の直前に急に指先が震え、脚が立っていられないほど震えだした。出番が終わり楽屋に戻ると、モニター越しでも緊張しているのが見えたと言われ、一緒に出演した仲間にも迷惑をかけた。

 その年だけなぜそんなに緊張したのだろうかと、自分の行動を振り返った。その年の私はいつもより真剣にレッスンに励んでいた。もっと上達したい、評価されたいと思っていた。なぜなら、下の世代の子たちが成長し始め、追いつかれる恐怖を抱いていたからだった。結果を残して下の世代と引離したい。そう思うほど余分な力が入り、発表会を全く楽しむことができなかった。

「レッスンのときは、自分が1番下手だと思って励みなさい。本番では、自分が1番上手だと思って楽しみなさい」

 ダンスの先生の言葉を思い出した。レッスンの成果を出したいと思うがあまり、楽しむことを忘れ、過度の緊張を招いてしまったのだと思った。それ以降は緊張し始めると、次のように口に出して自分に言いきかせた。

「緊張してきたぞ。でも十分レッスンしていたのだから、誰よりも自分が上手だと思って、楽しむぞ。この緊張感が舞台の醍醐味だ。この感覚が心地いいんだ」

 ミツキの状態も以前の私と同じだ。6年生が引退し、5年生は3人だけなのでスタメンにしてもらってはいるものの、4年生も力をつけている。結果を残さないと使ってもらえない。入部したばかりの何も野球を知らなかったころとは違い、フォームなども考えすぎてしまう。考えれば考えるほど過度に緊張するのだった。

 私はミツキに、緊張とは何かを説明し、緊張は悪いことではない、むしろ緊張することにより瞬発的に集中力・判断力・注意力を向上させ、筋肉の機能を向上させることができるのだと言い聞かせた。

「ミツキ、緊張することは悪いことじゃないんだよ。緊張するのはミツキがいつも一生懸命がんばっていて、チームの力になりたい気持ちが強いからなんだよ。そんな風に思えるようになって立派だね。緊張は大昔から人間に備わっていた防衛本能で、むしろなくてはいけないものなのだから、味方に付けるのが一番なんだよ。緊張が瞬発的に人間の持っている機能を向上させるんだよ。これからミツキの脳にインプットしてほしい言葉を言うから続いて言ってみてね」

「うん」ミツキがいぶかしげに私を見る。

「では、ご唱和ください。緊張するのはいいことだ」

「緊張するのはいいことだ」

 こうして朝晩10回唱和するようになった。

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