運動会と音楽会

 運動会シーズン到来。プレ幼稚園での悪夢が甦る。

 入園して半年。ミツキは幼稚園生活にすっかり慣れて、親と離れての活動はもちろん、友だちとの活動が当たり前になっていた。周りと協力して活動する点は今後の課題として残るが、周りに迷惑をかけない程度に、悪目立ちしない程度にはできるようになってきた。そう信じていても実際に運動会を目にするまでは不安だった。

 年少・年長組の計4組140人が、園庭に整列。準備体操が始まった。ミツキは、音楽に合わせてちゃんと体操していた。指先までピンと伸ばし、左右の手を斜めに上げるときは視線を指先に向けている。とても上手だった。

「先生がね、手をあげるときは指先を見ましょうって教えてくれたんだよ」とあとで教えてくれた。

 こうした子どもたちの発表の場で、親として恥ずかしい思い、残念な思いをしなかったのは、この運動会が初めてだった。がんばるミツキを見て目頭が熱くなった。そうか、他の親たちはこんな気持ちでわが子の活躍に感動しているのかと初めて知ることができた。

 年少の運動会で大成功を修めたので、年長の運動会も楽しみにしていた。しかし、大流行した新型インフルエンザに親子でかかり、残念ながら欠席となってしまった。

 幼稚園では、音楽会もあった。

 ミツキは興味のないことはやらない子だ。たくさんある興味のないことの中で最もやりたくないことは歌だった。

 思い返してみると、ミツキから園で習った歌を聞いたことはない。あまりにも歌わないので、園のカリキュラムに歌はあまり組み込まれていないのだと思っていたほどだ。数年後リオが入園して初めて、それが私の勝手な都合のいい思い違いだったと知った。

 保護者会に行くと、最後に園児が歌を披露してくれたが、ミツキはいつも口パクだった。いや、口パクまでもいかない。虚ろな目、半開きの口。斜め右下に視線を落とし、サーッと目の下にクマが浮き出る。見るに堪えない表情だった。歌が終わると、パッと明るい表情になり、目の下のクマもスーッと消える。

 2年間ずっとそんな状態だったので、園での最後の行事である音楽会は、観に行く気になれない。

「ミッちゃん、明日の音楽会で木琴をやるんですよ。一生懸命練習しているんだけど、なかなかみんなと合わないの。だから、そのつもりで観てくださいね」

 音楽会前日の園庭開放中、先生に声をかけられた。木琴とは驚いた。その他大勢の楽器を選べばいいものを、なぜ少人数の木琴を選んだのか。困ったものだ。先生もきっとそう思っているに違いない。

「木琴の音が好きだから」

 木琴を選んだ理由を聞くと、ミツキは屈託のない笑顔で答えた。

 木製の音板をピアノの鍵盤と同じ順番に並べた打楽器。鍵盤を操作することがミツキに出来るとは思えない。不安が募る。

 音楽会当日。最前列に並べられた木琴に、ミツキを含め4名の園児が着いた。他は全員女の子。ミツキの緊張が伝わってくる。

 ばちは、右手の1本のみ。曲が始まった。鍵盤を巧みに操作するのかと思いきや、叩く音はひとつだけで、他の打楽器と変わらなかった。左右の女の子の手の動きを目の端で感じながら、音がずれないように気を付けている。しっかり演奏していた。

 とても上手だった。がんばっていた。一生懸命さが伝わってきた。いじらしいミツキの必死さが愛おしかった。

 一生懸命合奏するかわいらしい園児たちを、保護者は皆微笑ましい表情で見守っていた。そんな中、私は周りのママたちがザワつくほど、嗚咽を堪えながらも号泣してしまった。

 他の保護者にとっては、極日常の当たり前のことかもしれない。しかし、私にとっては、初めての経験。いけないことと分かっていても、つい周りと比べては悲観してしまう。けれども、だからこそ、他のママたちには当たり前と見過ごしてしまうようなことに、ここまで感激できるのだ。なんて幸せなことなのだろう。

「ミッちゃんのおかげで、ママとっても幸せだよ」と大声で叫びたかった。

 合奏が終わった。次は合唱だ。

 ミツキの集中力が途切れことがすぐに見て取れた。歌はいつもの口パクに違いない。ところが、合唱が始まると歌っているようだ。表情も悪くない。でも、集中力が限界を超えているのは確かだ。どうする、ミツキ。

 初めは直立して歌っていたミツキだったが、しばらくすると右手で頭を掻き始めた。そのうち左足が痒くなり、背中もムズムズし始め、全身がどうしようもなく痒くなったようだ。歌うのを忘れて前進を掻きむしる。

 木琴演奏の緊張の副反応が激しく出たようだ。

 私は号泣から、今度は笑いが止まらない。

 ミッちゃんは、やっぱりおもしろいなあ。

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