小学生時代をふり返る

 三者面談で見たミツキの中学生男子らしからぬ態度に不安を覚えた私は、小学6年生のころの様子を改めて確認したいと思った。5・6年時担任の松本先生は、ミツキの4つ下の妹リオの担任となっていたので、連絡が取りやすかった。

「兄のミツキのことで相談をしたい」と連絡すると、何事かと驚きながらもすぐに面談を受け入れてくれた。

 三者面談の様子を話すと、松本先生は「分かる」といった様子でうなずいた。

「5・6年のころも授業中によく口を挟みました。でも、全部が全部無駄なことではなかった。ミツキ君の発言によって、全体の理解が深まるということも多かったので、私はあえて注意をしませんでした。ただ、クラスや担任への慣れからでしょうか、5年生に比べると6年生の方が、無用な発言の割合が増えてきたことは確かです。そういった発言を減らさせるために、ミツキくんに発言カードというものを渡したことがあります。そのカードを持たせることによって、無用な発言を減らせました。ただ、手いたずらが多いので、すぐにカードがボロボロになりましたけどね。

 遅刻ギリギリというのは、小学校は早めの時間に集団登校ですからないですよね。次の授業の準備が遅いということは、ありました。

 ミツキ君が入ると三者面談の話が進まないのも分かる気がします。おしゃべりが大好きな子ですからね。でも、これから少しずつ変わっていくと思いますよ。

 成績のことですが、ミツキ君は勉強ができないということはないと思いますよ。特に理科と社会はとても得意でした」

 松本先生のお話は、当然ながら小学生のころの面談で聞いていたものと同じだった。そこで、もう少し踏み込んだ話をすることにした。

 松本先生に今まで伝えていなかったこと。

 ミツキは小学2年生の秋、教育センターでWISC-Ⅲを受けたことがあった。

 WISC-Ⅲとは、5~16歳を対象とした子どもの知能検査のことだ。知能発達の状態をプロフィールで表示し、個人内差(個人の中での得手不得手)を知ることができる。

 ミツキは、得手不得手のバランスにばらつきがあるとの結果が出た。各検査の折れ線グラフは、上下に大きく波打っていた。

「2歳くらいからミツキを育てにくい子だなと感じていました。小学1・2年のころの担任の先生も他のお子さんと違うと心配していましたので、検査を受けることにしました。

 結果が出たあと、発達障害について本やインターネットで調べましたが、私はあまり当てはまらないと感じたんです。そこで、私は苦手なことが人よりも多い子だという認識だけを受け入れて、それ以上の療育などは受けさせませんでした。

 小学3年生になり、担任が代わりました。最初の面談で、WISC-Ⅲの結果を伝えたところ、先生は、『そんなのまったく関係ない。大丈夫だから心配しなくていい』と言いました。そして、不思議なことに、その言葉通り、ミツキの行動が気にならなくなりました。

 5・6年生のころには、常に私の頭の片隅にあった発達障害という言葉さえも消えつつありました。ですから、松本先生にも発達障害のことをお話しなかったのです」

 松本先生は何度もうなずいた。

「確かにそういった傾向は少しありました。5年生でクラス替えをしたてのころは、ミツキくんの言動に苦言を呈する生徒もいました。ですから、私はなるべくミツキ君を注意しないようにしました。あまりみんなの前で注意をすると、ミツキ君が発言することを臆してしまい、良い発言までも奪ってしまうと思ったからです。しばらくすると、ミツキ君はクラスのムードメーカー的存在となり、多少のミスは周りの友達がフォローするようになりました。

 中学校では、授業ごとに先生が違います。各教科の先生の考え方もあるでしょうから、小学校より難しさを感じるのだと思います。担任の先生にWISC-Ⅲの結果は伝えた方がいいと思いますよ」

 感謝。松本先生の話は感謝の一言に尽きた。

 松本先生に感謝。クラスの友達に感謝。ミツキは周りのみんなに支えられて、幸せな日々を送らせてもらっていたのだと改めて思った。

 私の頭の片隅から発達障害という言葉が消えつつあったのも、すべてミツキの周りのみなさんのおかげだった。

 さあ、次は中学校の担任の持田先生にもう一度会わなくては。

にほんブログ村 子育てブログへ
にほんブログ村