いざ病院へ
12月上旬、中学校の三者面談があった。持田先生の生活面での指摘にミツキが無駄なしゃべりを入れるので、前回同様45分コースになってしまった。
「今日の面談でのミツキを見て、やっぱり検査を受けてみてはどうかなと思ったの。おしゃべりが自分中心的で、周りが見えていない感じだったから。ミツキはどう感じた?」
ミツキは何も答えない。
「今日の面談でのことだけを言うんじゃなくてね。今度、英語の復習のために塾の冬期講習を受けることになったよね? お金のことミツキに言うのは気が引けるけど、月謝とは別に冬期講習だけで13万円払うの。冬期講習の成果を出すためにも、集中力とかの改善に向けての行動って必要なんじゃないかな」
「分かったよ」うつむいたまま、ミツキは渋々頷いた。
気が変わらないうちにと思い、翌日部活終わりのミツキを連れて校医の木下医院を訪れた。受付で小児神経科への紹介状が欲しい旨を伝えると、看護士が出てきて「養護の宮本先生から話を聞いています」と言った。宮本先生が、話しを通してくれていたことを、とてもありがたく思った。
診察終了間際だからか、待合室には他に患者は1人もいなかった。ミツキは緊張しているのか一言も発せず、ソファーに浅く座り、息を止めているかのようにまったく動かなかった。名前を呼ばれて診察室に入ると、恰幅の良い優しそうな男の先生がいた。
「小児神経科を受診したいんだね。どうしてそう思ったの?」
先生は、穏やかな声でミツキに聞いた。
「ぼくは、はしゃぎすぎるとしゃべりが止まらなくなるんです。周りの人に迷惑かけちゃうから、何とかしたいと思って」
自分の問題点として言葉にするというのは辛かったに違いない。辛い気持ちを抑えて答えたミツキを抱きしめてあげたかった。
12月中旬、学校を休んで小児神経科のある大きな病院へ行った。初日は問診だけかと思いきや、心電図・採尿・採血・脳のMRI・脳波の検査をした。1日がかりだった。
ミツキの検査中、私は担当医の問診を受けた。小児科医というと、木下医院の先生のように穏やかに話す優しい人をイメージしていた。ところが、この医長である年配の担当医は、事務的で横柄な態度だった。
「なんで受診しようと思ったの?」
「学校での態度や成績に不安な点があって、学校で発達障害の検査を勧められました」
「お母さん、発達障害ってどういうことだか知ってるの?」
どういうことと聞かれると困ってしまう。
「得手不得手のバランスが悪いような状態のことでしょうか?」
あまりの威圧感にしどろもどろになる。
「は? 何言ってんの? 分かってないじゃない」
「発達障害には、自閉症スペクトラム障害・注意欠陥多動性障害・学習障害っていう3つのタイプがあるんだよ」
「はい」
私の相槌のあと、説明が続くかと思いきや、これにて終了だった。たったこれだけのことを言うのに、あんなに息巻いていたのかと不愉快に感じた。
「今日は体の検査をしたから、後日知能検査を受けてくださいね。その結果で、薬を出すかどうか決めるからね」
「治療方法とは、薬の服用だけですか?療育とかはないですか?」
「ここは病院なんだから、薬を出すだけ」
「薬の効果は高いのでしょうか?」
「そんなのやってみなきゃ分からないよ」
病院イコール投薬。その通りなのかもしれないが、気が進まなかった。
私は重い気持ちで病院を後にした。今後もこの医師と関わるのかと思うと気が重かった。
1週間後は、山崎先生のカウンセリングの予約日だった。病院で担当医とのやり取りを山崎先生に話した。
「不安な気持ちで病院に行っているのに、それは辛かったですね。でもね、医者の肩を持つわけじゃないけどね、小児神経科の先生になりたい医者って少ないんですよ。みんななりたがらない。でも、患者は増える一方だから、事務的な応対になるのかな。それから、患者さんは、病院だからって治ることを前提に来るから、予防線を張っているんだと思うんですよ。病院で出来ることは薬を出すことだけ。薬もその人に合う合わないがあって、はっきりと明言できないというわけです」
納得出来るような出来ないような、複雑な心境だった。
特効薬だと言い切れない薬を服用するのは、どうも気が進まなかった。知能検査の結果が出るまでに方向性を考えておかなければいけない。