倉山先生との面談①

 面談当日。ミツキを虜にした倉山先生と初対面。

 倉山先生は、アナウンサーの福澤朗さんに似ている。額が広くて頭のはちが張っているところなんかそっくりだ。髪型も似ている。この頭の骨格にベストの髪型なのだろう。
 柔らかい口調に落ち着いた雰囲気で「ワシ」というので、50代の貫禄を醸し出しているが、30代半ばだ。

 面談が始まり、掃除の一件を聞きたくてウズウズしていたが、まずはミツキ自身の話から始めた。1,2年時の様子や教育センターで受けたWISC-Ⅲの結果について、ひと通り話した。

「今のミツキの様子はどうでしょうか」

「石倉先生からそういった話も聞いていました。でも、見る限りまったくそれは感じないです。境界線のところを指摘されたのかもしれないけど、感じないですねぇ。全体でも指示は通りますし、こちらの言わんとすることも理解しています。発言もできます。この子困ったなというのも、今のところ感じられないですねぇ。
 逆に言えば、ばか正直、くそ真面目。これがんばってみようと言ったところは、すごくがんばってやってくれますね。漢字も間違うことはあっても、丁寧に書こうとする。時間をかけてゆっくりやってくれるし、分からないことがあったら、必ず質問に来ます」

「1,2年のころは、あまりにも質問が多くて先生を困らせていたようなのですが」

「ううん、いいよ、いいよ、そんなの」

「周りの子が普通に分かることを質問してくるんです。例えば、家でも、かき回すってなに? とか聞いてきて。そんなことも分からないの? と言いたくなるんですよね」

「よく言葉の意味は聞いてきますね。でも、いいよ、いいよ。心配しなくていい」

 倉山先生の寛大さに、喜びと驚きが一気に押し寄せていた。入学以来2年間、不真面目と言われ続けたミツキが、ばか正直、くそ真面目とは。

「確かにね、他のお子さんとはちょっと違う、個性的ではある。でも、いい味出してると思う。今までワシもいろいろな子どもたちを見てきましたが、ランクを付けるわけじゃないが、葉野くんをできないと感じたことはない。逆に言えば、この子鍛えがいがあるって感じ。なんでそう思うかというと、やっぱりばか正直、くそ真面目。そこが、この子できるなと思うところです。確かにちょっと生活力というか、そういうところで疎いところはある。でも、それぐらいだし、そんなのいいよ。それより、学習面や自分の自立の面では、よくできてると思います」

 なんだ、この温かい気持ちは。ミツキのことを相談していて、こんなにも温かい気持ちになったことはなかった。許されるって、なんて素敵なことなのだろうか。

 ひとりの人間が、不真面目とくそ真面目という対極的な表現となるなんて。もちろん、くそ真面目は、あくまでも真面目とは違う。悪い意味で捉えることもできる。だが、倉山先生は、いい意味でのくそ真面目と親しみをこめて言ってくれた。不真面目は、どこをどう捉えようとも悪い意味にしかならないのだ。

 石倉先生を責めるつもりはない。私も同じだからだ。ミツキの行動が遅いと、つい「ノロノロやってないでさっさと終わらせなさい」と声をかけてしまう。倉山先生のような寛大な心でよく見たら、ノロノロやっているのではなく、間違えないように丁寧に一生懸命やっていると思えたかもしれない。

 1年生の面談のとき、石倉先生が指摘した整列の話を思い出した。整列のとき、背の順と名前順の指示を出すと、ミツキはどちらの並び順のときも指示自体で動くのではなく、野島くんを探して野島くんの後ろに並ぶ。なぜなら、どちらの並び順でもミツキは、野島くんの後ろだから、というもの。

 後になってミツキにこのことを聞くと、納得の答えが返ってきた。

「並び順はちゃんと分かっているよ。先生の話も聞いている。でも、野島を探して後ろに付けば、絶対に間違いがないじゃん」

 これこそ、倉山先生の言うところの、くそ真面目なのだろう。たとえ、一見ふざけているように見えても、ミツキ自身は大真面目なのだ。

 くそ真面目に取り組んでいるうちに集中力が切れてしまって、いつの間にか別のことに興味が移り、結果、まったく指示と違うことをやっていることが多々ある。それを見た私が「何やってんの。今はそれじゃないでしょう。真面目にやれ」なんてことは、ミツキあるあるだ。

 私も倉山先生と同じ寛大な心の目を持たなくてはいけない、と思った。

 広い広い心のフィールドでミツキをのびのびと過ごさせてあげたら、きっと大変身を遂げるに違いない。

にほんブログ村 子育てブログへ
にほんブログ村