結果を受け止める⑤

 発達障害についての本を数冊読み、すべきことを実践していくうちに心が落ち着いていった。

 ミツキが幸せを感じる生活環境にするには、ありのままのミツキを認めてあげることが必要だ。今までミツキを認めていなかったわけではない。しかし、もう少しがんばれるだろう、あと少しがんばりが足りないと思っていた。結局は、ミツキのがんばりを認めていなかったのだ。

 ある日、勉強を終えたミツキに「がんばったね」というと、とても晴れやかな笑顔で「ありがとう」と言った。まさか「ありがとう」と返事が返ってくるとは思わなかった。それ以来「がんばったね」「ありがとう」が続き、今まで私は何を苦労していたのだろうかと思うほどに日常生活がスムーズに進むようになった。

 10月7日の笹本先生のカウンセリングで、この1ヶ月間の報告をしたあと、医学相談の予約を申し込みをした。

 臨床心理士は検査内容の説明はできるが、発達障害のどのタイプであり、今後どのような療育があるかなどは、小児科の医師の判断が必要だった。

 しかし、医師との医学相談は、6か月後まで予約がいっぱいだった。私は、とんとん拍子に話が進んでくれないと困ると思った。今回の検査でさえミツキを連れ出すのは、とても大変だった。

 抱っこ法のカウンセリング以来、ミツキは私の提案に対して、かまってくれるなと言わんばかりに身構えるようになっていた。抱っこ法や教育センターの施設内で他の子どもに会うと、ひどく反応した。

「学校にいる友だちとは雰囲気が違う。どうして、おれをこんなところに連れてくるんだ。もうおれは、二度とここには来ないからな」

 ミツキの嫌がるところに私も連れて行きたくはない。それが必要ならば、検査を受けた直後のタイミングであれば連れ出しやすい。しかし、半年先に何か療養が始まったとして、ミツキは素直に応じるだろうか。

 そのことを笹本先生に伝えると、小児科医でないと結果の詳細や今後の方向性を伝えることはできないと前置きした上で、意外な答えが返ってきた。

「成長の過程で状態が落ち着いて、数値が上がることもあります。今は、この結果の表から分かる得手不得手を踏まえながら、生活に役立ててはいかがでしょうか」

 発達障害との境界児であるということ。言語は発達しているが、ものごとを推理する力や短期記憶が苦手だということ。これを踏まえてミツキと接していきましょう、ということだ。

 私はそれで十分だと思った。

 次は石倉先生と今後について話す必要があったが、少し気が重かった。私は石倉先生のストレートな物言いが苦手で、できるだけ接することを避けていたのだ。そんな気持ちを吹き飛ばしたのは、ミツキの様子だった。

「おれ、最近先生にあんまり怒られないの。先生の言っていることが、よく分かるんだ。友だちとも楽しく遊べるし、ママもうれしいだろ」

 ミツキの屈託のない明るい笑顔を見たのは、幼稚園ぶりだった。

 笹本先生と石倉先生とで相談をして、ミツキのできないことには目をつむり、適正な対処をしてくれていたからにちがいなかった。

「検査結果を受けて、初めはショックを受けましたが、今はミツキの表情の変化を感じてうれしく思っています。石倉先生のご配慮のおかげです。ありがとうございます」

 石倉先生も、ミツキに積極性を感じるようになったと、安堵の表情を浮かべた。

「せっかく良い方向へ向かい始めたところで、来年はクラス替えと担任の先生も変わるので不安です」

 私が、今後の不安をもらすと

「この学校には、ベテランの先生方がたくさんいらっしゃるから、私よりも安心ですよ」

 石倉先生は首を振って謙遜した。

発達障害というのは、当事者家族でないとなかなか理解のできないものだと思います。それに対応できるかはベテランの先生だからというものでもないと思います。ミツキには、周りの人の理解が必要で、私は親だから当然のことですが、それを学校の先生にも、理解しサポートしてもらえることは本当にありがたいことです。石倉先生には、本当に感謝しています」

 突然、石倉先生の目に涙が溢れたので驚いてしまった。

 ミツキも先生も、みんなそれぞれがんばっているのだ。誰だって自分のがんばりを認めてもらえたら嬉しいのだなと思った。

 算数の長文応用問題を前にしてミツキが暴れていても、冷静に対応できるようになった。暴れている姿をかわいいやつだ思える心の余裕もできた。8年かかったが、やっと子育ての極意を得ることができたように思う。

 できないことには目をつむり、できたことをともに喜び、がんばりを認める。それをできるようになったのは、ミツキのおかげ。

 私は、ミツキに人間を学ばせてもらっている。

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