【こぼれ話】自主性⑤

 子どもたちが小学生になってから、私が望んでいる手伝いの内容は以下の通りだ。

  • 週3~4の朝のゴミ捨て
  • 毎日の風呂洗いとお湯張り
  • 食器洗いと部屋掃除(私が頼んだときのみ)

 私はこれだけしか望んでいない。しかし、スムーズにいかない。

 

 ミツキは、ゴミ捨てに関しては、中学までは全く問題なくこなしていた。学校に遅刻ギリギリであっても自分の仕事としてまっとうしていた。しかし、高校に入ってからは少し変わってきた。

 ミツキに強迫性障害のような症状が目立ち始め、集積所へのゴミの出し方がぞんざいになったのだ。

 燃やすゴミの場合は、黄色い網の下にゴミを入れるのがマナーだが、網に触らないように無理矢理足で押し込んだ。網の下には入るが、足でやるとは酷い。

 燃やさないゴミの場合は、大きな巾着型の網にゴミを入れるのだが、ミツキは自転車から降りもせず、巾着の口めがけてゴミを放り投げた。既にたくさんゴミは詰まっており、投げて入る訳がない。そのまま走り去るミツキ。

 そんなゴミ出し風景を偶然ベランダから見たときは、とても悲しかった。もちろん、そんな心ないやり方ではいけないと注意したが、その後信用できなくなった。

 

 そこでリオに頼む頻度が多くなった。小さいころは何か頼むと「リオちゃんはまだちっちゃいから」と言って手伝いを逃れようとしていたが、小3辺りから責任感が増してきて安心して頼めるようになった。時間も正確だし、ゴミ出しマナーや管理さんとのコミュニケーションも良好だ。

 ところが、中学生になった途端、ゴミ出しを疎むようになった。玄関のゴミに気付かないふりして出かけようとする。自分のゴミでもあるのに、つまらない演技をして良心が痛まないのだろうか。

 

 風呂洗いに関しては、ミツキは丁寧だった。ただし、決められた時間に遅れるので、何度も促す必要があった。

 ミツキは、時間の感覚に大きな問題を抱えている。

  • 5時少し前に声を掛ける→返事はいい
  • 5時過ぎにも声を掛ける→返事はいい
  • 5時半過ぎ重い腰を上げて浴室方面へ
  • 浴室前でスマホを見続ける
  • 声を掛ける→ようやく洗い始める
  • 風呂洗いに水を使いすぎる
  • 6時過ぎに湯が沸く

 たかが一般家庭の湯船を洗うだけなのに、1時間以上も掛かるのだ。ミツキの時間感覚が、私には理解できない。しかも、水も使い過ぎる。何度注意しても、話し合っても、諭しても、一向に変わらない。

 

 その点、リオはスムーズだった。夕方帰宅すると、さっと洗い始める。少し残念なのは、洗い方が雑な点だった。洗い方の見本を見せると次からはきれいにできた。しかし、不機嫌な表情をしているときは、雑な状態に戻った。掃除と自分の感情とは別にする必要があると何度か諭した。

 

 今年は新型コロナウィルスにより、私と子どもたちは常に在宅していた。当たり前なことだが、自粛期間中も私はずっと家事をこなす。

(朝)朝食作り→洗濯→食器洗い→掃除機→

   洗濯物干し→棚の拭き掃除

(昼)昼食作り→食器洗い

(夕)夕食作り→洗濯物たたみ→食器洗い

 以上がデイリーの家事。これにトイレと風呂場の徹底掃除、シーツなどの大物洗濯、気になった部分の片付けなどの家事が日替わりで入る。

 これらを私がしている間、ミツキとリオは、大抵寝ているか、スマホを見ている。

 ふと、これでいいのだろうかと思った。自主的に手伝おうという気持ちならない我が子たちの将来が、不安になったのだ。

 そこで、洗濯物が多い日やトイレと風呂の徹底掃除の日には、声を掛けるようにした。

 食器洗いを頼むと、リオは食器の量が少なければ機嫌良く引き受けた。ミツキは、とても丁寧だったが、やり出すと止まらない過集中状態となり、泡と水の量が尋常ではなかった。

 掃除機かけを頼むと、リオはあからさまに嫌な態度をした。80平米に満たない我が家でも、心を込めて掃除すると25分は掛かる。それをリオは、10分程度で終わらせた。明らかに、おざなりだ。

 ミツキは、その逆。40分掛かった。一生懸命やってくれるのはいいのだが、その時間の内訳が気になった。ミツキの部屋のみに20分、それ以外の部屋に20分だ。ミツキは、自分の部屋を掃除し始まると過集中状態になった。すさまじい掃除機音が響き渡る。掃除機ヘッドを床に押しつけて、同じ場所を何度もゴリゴリする音。掃除機ヘッドが壁にゴンゴン激突する音。何度注意しても直らない。

 

 過集中人間のミツキとおざなり人間のリオ。

 両極端な2人だが、共通点がある。どちらも、自分本位なのだ。人を思いやることなく、自分にばかり心が向いている。

 約3か月間の在宅期間中、私はモヤモヤし続けていた。

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【こぼれ話】自主性④

 子どもたちのお手伝いの第一歩として、1歳半くらいからは、おもちゃで遊んだ後は一緒に片付けをした。

 おもちゃ箱は全部で3つ。初めての片付けなので、箱の中身がぐちゃぐちゃでも箱に入れればOK。

 ミツキは、雑だがテキパキ片付けた。ところが、リオは動きが止まった。3つの箱を前にして、どうしたらよいか分からず固まっている。とにかく箱に入れればいいと促しても動かない。「このおもちゃは、この箱に入れよう」と言うと、それに従った。次第におもちゃの定位置が決まり、繰り返すうちにリオも覚えていった。

 3歳のある日、リオに1人で片付けるよう頼んだ。最後まで1人でがんばったのだが、そのあとすぐに知恵熱が出て3時間ほど死んだように眠った。リオにとって片付けはよっぽど頭を使い、疲労を伴うことだったのだろう。その日以来、リオは目的のおもちゃ以外は出さなくなった。

 

 暑い時期、子どもたちは氷枕を使った。朝起きたら各自冷凍庫に戻す約束だったが、2人とも毎日忘れた。促されて慌てて戻す。あまりにもできないので、敢えて声をかけるのを止めた。寝る間際に気付いても、時既に遅し。「暑い、暑い」と文句タラタラで眠る。これで少しは懲りたかと思いきや、次も忘れるので呆れた。

 そんな夏を何年も続けていると、兄妹で方向性が固まった。ミツキは、冷蔵庫に戻す習慣が付いた。そして、リオはどんなに暑かろうが氷枕を使わなくなった。

「片付けは面倒。暑い方がまだマシ」

 リオは、面倒を排除していくタイプのようだ。多少面倒でも習慣化してしまえば快適が手に入るのだが……

 

 小1になったミツキに、毎朝の新聞取りとゴミ捨てと風呂掃除を任せた。

 このときリオは3歳。リオには、朝のカーテン開けを任せた。

 ミツキの働きぶりは、大方良好だった。朝食の前に新聞を取りに行き、登校時にゴミを持って家を出た。私がゴミ出しの日に玄関に出し忘れていると「今日はゴミの日だよ」と教えてくれたり、マンションの下に降りてからでも「ゴミを忘れてるよ」とわざわざ戻ってきてくれたりした。

 しかし、風呂掃除は毎日声をかける必要があった。残念なことに、10年経った今でも状態は変わっていない。

 

 リオの毎朝のカーテン開けは、手伝いとは言いがたいほど当たり前のことだ。ところが、この当たり前のことができない。

 情けないことに、中1になった今でも忘れる。カーテンも窓も開けずにベッドメイキングをして、暗いままの部屋から出てくる。忘れない方法を考えるように促すと、部屋の壁に大きな貼紙をした。効果があるようだ。

 

 出来具合は関係なく、自主的に行動できることを目標にしていたが、それがなかなか難しかった。

 もっと言うと、習慣化して欲しいのは、手伝いだけではない。

  • 食事の準備が整ったらすぐに着席する
  • ゴミは、すぐにゴミ箱に捨てる
  • 脱いだ靴は、上がり口の「脇」に揃える
  • 洗面台使用後の周辺の水濡れや髪の毛を処理する
  • 風呂上がりに、浴室の台や湯船の蓋の水気を切る
  • 使ったものは、すぐに片付ける

 日常の些細なことばかりだ。当たり前のことを当たり前にやることで、家族みんなが気持ちよく生活できるのだ。

 しかし、それが一向に身につかない。いったい何回言ったら分かるのだろう。

 以前、子育てにおける「何回言ったら分かるの!」の回数は500回だと、何かの本で読んだ記憶がある。1日に1回言ったとして、1年4か月かかる計算だが、我が子たちは10年以上同じことを言われ続けている。残念でならない。

 

 手伝ってもらったら労い感謝し、失敗しても怒らないなど、子育ての基本だそうだ。

 そんなこと、子育てでなくとも人としての基本なので、初めからやっている。それなのに上手くいかないのはなぜ? 他に何をしたらいい?

 

 習慣化させたい項目を表に書き出して、できた項目の数だけ毎日瓶にビー玉を入れていくというポイント加算制度を取り入れてみた。ポイントが貯まったらうれしいご褒美が待っている。何度か試してみたが、毎回初日は喜んでも3日で飽きてしまうのがオチだった。

 

 やはり、やさしく諭しているだけではダメなのだろうか。私の母方式の罰を与える方法が、結局は有効なのだろうか。

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【こぼれ話】自主性③

 私が小3ときの国語の教科書には「走れメロス」が収録されていたと記憶しているのだが、定かではない。というのも、ネット検索した原文を読んでみると、小3で習うには難しすぎる気がするのだ。更に、記憶している内容と少し違う。カメレオンのように、人の顔色をうかがっては意見を変える少尉が出てきたような気がするのだ。

 結局何の物語かは不明だが、その文章中にあった「理不尽」という言葉の意味を辞書で引いたことにより、当時の私は心のモヤモヤが一気に晴れた。

 

 その日の国語の授業は、2時間連続だった。1時間目は教科書を使った物語の読解授業で、2時間目は辞書引き学習だった。辞書の引き方を教わったあと、1時間目の物語の中から各自調べたい言葉を引くよう指示された。私は「理不尽」という言葉を選んだ。

 

理不尽 道理にあわないことを無理に押しつけること

道理  正しい筋道。もっともなこと。

               (小学館常用国語辞典)

 

 道理の意味もよく分からないので併せて引いてみたが、すぐにはピンとこなかった。しかし、教科書の文章の前後と読み併せるうちに、自分に頻繁に起こる感情と合致していることに気付いた。

 母に叱られるたびに私の心にモヤモヤするこの感情。それこそが「理不尽」なことが起きたときの感情なのだ。

 初めは具体的に母の言動のどの辺りが、ということまでは分からなかったが、年齢を重ねるごとに私なりの考えを深めていった。

 母はいつでも一生懸命に生きている。それは良いことなのだが、その一生懸命さが独りよがりなのだ。自分が良いと思ったことは、何が何でも押し通す。それが、子どもの年齢や持って生まれた資質とかけ離れていてもだ。

 そして、思うようにいかなければ、怒鳴り、手を上げ、追い出し、無視をする。

 子どもを諭す言葉をかけることはない。だから、私は母が何を怒っているのかよく分からなかった。

 母の怒り方のパターンは大体決まっていて、まずは「ピシャンだよ」と怒鳴りながら頬を叩いたあと、体中を叩き続ける。「痛いよぉ」と言って泣くと、「こっちの手だって痛いんだ」と言う。そして家から追い出し、夜まで放置。家に入れてもらえたあとは、無限ループ説教が始まる。ここで終わる日はラッキーで、下手すると1週間から最大で1か月間の無視の刑に処されることもしばしば。そして最後に、とにかく過呼吸になるまで泣いて謝っていると、突然母の機嫌がよくなり、やさしく抱きしめられる。そして、決まってこう言うのだ。

「怒られているうちが華だよ」

 そう言われると、私は愛されているのかなと思うのだが、なんだかモヤモヤした。

 3つ上の兄のこともよく観察するようになった。兄も私と同じだったが、兄が叩かれた記憶はあまりない。それは、私が気にとめるようになったころには、兄はもう中学生だったからだと思う。母は私のことも中学生になってからは叩かなくなった。

 その理由は後に分かった。ニュースで家庭内暴力を取り上げていたときのこと。

「小さいときは猫かわいがりして、大きくなってから叱っても、子どもは親の言うことはもう聞かない。子どもが小さいうちは叩いて親の言うことを聞かさないと。子どもの体が大きくなってからでは危ない」

 母は私に子育ての極意と言わんばかりの勢いで言ってきたが、私には理解できなかった。

 叩かずに言葉で諭すことはできないのだろうか。

 私は母に、問題点をピンポイントで諭して欲しかった。いろいろと怒鳴り散らすので、何を叱られているのか分からないのだ。

 そんな母を見て、自分は人に伝わる話し方ができる大人にならなくてはと思った。私はできるだけ読書を心がけた。

 「理不尽」の意味を知ってからは、心のモヤモヤが晴れた。辛いときは「なるほど今私に理不尽なことが起きているのだ」と客観視するとで気が楽になった。

 この言葉が存在するということは、昔から世の中で頻繁にあるということだ。逆らわずに受け流そう。私は養育されている立場なのだ。逃げだそうにも逃げ出せない。今はじっと我慢のときだ。小学6年生になるころには、そう思えるようになった。

 母が母なりに一生懸命だったことは理解しているし、心から感謝もしている。

 ただし、私が母にされて嫌だったことは、絶対に自分の子どもにはしない。これが私の子育てルールの根幹だ。

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【こぼれ話】自主性②

 自主性とは、他人から指示や援助を受けることなく、自ら率先してやるべきことを行う態度や性質のこと。

 自主性を育てるには家庭内でのお手伝いが有効なようで、幼稚園や小学校低学年のころは長期休暇の宿題として出される。

 お手伝いを任されれば『自分の仕事』として責任を持つようになる。自分がやらなければ家族が困るので、自主的にやるようになるのだろう。

 そして、お手伝いを進めるうちに、例えば、食器の水気を早く切るための食器の重ね方や、食器洗い後にはシンク掃除や作業台の上も拭くなどの作業の流れも考えるようになる。こうした自ら考える自主性が、後々勉強をしたり、将来を考えたりするのに役立つ。

 ちなみに私は、過去記事『門限』でも書いた通り、小学3年生からお手伝いが始まった。

 

ki3310.hatenablog.com

 

 母は『お手伝い』と言ったが、私にとっては『仕事』だった。

 私の主な仕事は以下の8項目。

①起床後、家族4人分のパジャマを畳む

②家族4人分の布団を押し入れにしまう

③朝食後、食器を洗い、寝室2部屋に掃除機

 をかけてから登校する

④4時半に帰宅後、洗濯物を畳む

⑤風呂場を洗い、風呂を沸かす

⑥バスタオル・足拭きタオルを準備する

⑦5時に4人分の布団を敷く

⑧食器ふき

 これを小学3年生から大人になって1人暮らしをするまで時間的に可能な限りずっと続けていた。

 これらの仕事には、さまざまな負荷が掛かった。

 例えば……

 母に早朝の用事があると、母に合わせて家族全員起床する。まだ眠いのに、パジャマを畳み、布団を片付ける。食器を洗い、掃除機をかけてから、登校時間まで待つ。文句を言ったらドえらいことになる。

 小3のころ、微妙な距離感の友だちが私の家に遊びに来たときのこと。4時半になり、もう帰って欲しいのだが、言い出せない。母の背中から怒りを感じて、完全なる板挟み状態。友だちに「もう今日は片付けよう」と言うも、友だちは生返事。5時になり母に呼ばれ、早く布団を敷くように言われる。母は「布団を敷きだしたら友だちは帰る」と言う。そんなことできるわけない。その後も何度も促すも一向に帰らず5時半。

「早く布団を敷きなさいって言ってるでしょ」

 母の激怒りに友だちは逃げるように帰って行き、その後私も家を出された。

 4時半の門限に間に合わなくても、家を出される。のんびり洗濯を畳んでいて、布団敷きが5時に間に合わなくても、怒鳴られる。

 試験勉強をしているとき、時間を計って模擬テストの最中にも食器ふきの依頼は来る。

「ごめん、今模擬テスト中」

 なんて言おうものなら、母は大激怒。

「家の手伝いもできないヤツが、勉強なんてできるか!」

 一時中断せざるをえない。

 夕食後の母は、しばし休憩する。私もリラックスし、ついウトウト。だが、母がキッチンに立ち、食器を洗い始めたら私もすぐさま立ち上がり、食器ふき用タオルを握りしめないとドえらいことになる。

 ドえらいこととは、以下の3パターン。

①家を出される

 父の救済がない限りは家に入れない

②ピシャン!

③終わりのない無限ループ説教

 過呼吸になるほどに泣くと終了

 

 説明しよう。ピシャンとは、頬を叩く行為のこと。母の得意技のひとつで、怒り出す開口一番に「言うこと聞かないとピシャンだよ」と言う。一般的には、これは脅し文句で、これ以上悪さをしたら頬を叩くハズなのだが、母の場合は、叩くのと同時。だから私は「もう、ぶってんじゃん」と心の中でいつも思っていた。ちなみにピシャンは、私が中学生になり、母の身長を超えてからなくなった。

 無限ループ説教とは、説教の内容がいつの間にかすり替えられて、何年前の出来事までも引き合いに出される説教のこと。説教の基本はいつもこれ。だから、私は何で叱られているのか分からなくなり、激しい頭痛と胃痛に襲われた。

 もっとも嫌だったのは、母が寝込んでいるときの仕事。母は毎月2~3日程連続で寝込んだ。学校から帰ると、家中の空気が淀んでいた。窓を開けて空気を入れ換え、洗濯に取り掛かる。母の部屋にベランダがあり、衣類を干し始めると、ダメ出しが始まる。正しいやり方を教えてくれているので、しおらしく聞いていたが、心の中では「黙って寝てろよ」と思っていた。

 母が寝込んでいたある日。食器を洗っていると、怒り狂った母がキッチンにやってきた。水の音で私には聞こえなかったのだが、どうやら、私に声をかけていたのだそうだ。その後私は、母を無視した刑を受け、家を出された。

 私は母に叱られるといつも「ああ、お母さんが怒り出す1秒前に戻りたい」と思った。1秒前にでも母の怒りに気づければ、難を回避できるのだ。そんな思いから、先回りして動く習慣が付いた。母が怒り出す前に、仕事を始める。母が怒り出す前に、勉強を始める。

 私の自主性は、母の怒りを回避する手段を考えることで育ったのかもしれない。

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【こぼれ話】自主性①

 世の中には「自分も嫌だったけれど、我慢したのだから次の人も我慢して当たり前」と考える人間は結構いる。

 なぜそんな風に考えるのか不思議だ。自分が体験して嫌だと思ったり、無駄に感じたりしたことは、次にそのまま引き継がずに改善したり、取り止めたりすべきだ。

 私が初めてそんな体験を目の当たりにしたのは、入社1年目のことだった。

 新入社員の朝は、100人以上いる社員へのお茶出しから始まる。同期入社は、私含めて10人。休憩室のテーブルに全員分のマグカップを並べ、まるでタコ焼き機に生地を注ぎ込むかのように急須を動かして次々とお茶を入れていく。入社して一番初めに覚えたことは、先輩社員の各マグカップの模様だった。

 5人がお茶出しをしている間、残りの5人は机拭きをする。それらが終わるころチャイムが鳴り業務開始。

 1時間ほど通常業務をこなした後、今度は朝配ったお茶を回収するのだが、どのマグカップにもお茶はなみなみと入ったままで、飲みきったものを見たことがなかった。

 郷に入れば郷に従えなので文句は言わないが、つくづく無駄な作業だとは思っていた。

 マグカップになみなみと注がれた薄くてぬるい緑茶を毎朝楽しみにする人などいるはずがない。お茶淹れ作業をしているすぐ横の自動販売機で、出社した先輩社員が好みの飲み物を買って行く。

 自分の席に着くと、机から腐った水の臭いがしてくることがよくあった。たくさんの机をおざなりに拭いていることに問題があった。

 心を込めて丁寧に机を拭かないのであれば、拭かない方がよっぽどいい。

 このバカバカしい慣わしは、この私の代で終わらせよう。私は1年間そう思っていた。

 バブル崩壊の影響が強く表れ始め、次の年の新入社員は3人までに減った。3人で100人以上のお茶出しと机拭きは大変だ。私は新入社員の朝の仕事廃止を提案し、先輩方に意向を確認して回った。

 快く賛同した人のほとんどが「せっかく毎日淹れてくれたのに飲まなくてごめんね」や「私もこの制度おかしいと思っていたよ」などと声をかけてくれた。

 また、毎朝机にお茶が配られていることすら気づいていない人もいた。

 そんな中「無意味だと思いながらも新人の仕事として自分は割り切ってやっていた。これからも継承すべき」と言う人が、1割ほどいたことに驚いた。その中には前年散々文句を言っていた私の同期も含まれていた。

 翌年、朝の仕事は廃止になり一件落着。

 ところで、私はきれい好きだ。朝出社すると、机にうっすらと埃が積もっている。腐った水の臭いもいやだが、埃も耐え難い。

 そこで、毎朝自分で机を拭き始めた。同じフロアーには100人以上社員がいたが、私の部署は10人だった。私は始業前に自分の机と同じ部署の人の机、それからお客様窓口の机を拭いた。おざなりに拭かれた机とは違い、気持ちよく仕事に取りかかれた。

 お茶を飲みたいと思ったときは、周りの人にも声をかけ、要望があればついでに淹れた。いつしかそれが普通になり、先輩も後輩も関係なく互いに声を掛け合う環境になっていったことがうれしかった。

 数年後、いつものようにお客様窓口の机を拭いていると、その年に入社したばかりの新入社員が驚いた顔をして走ってきた。

「代わります」

「きれい好きが高じてやっているだけだから、気にしなくていいよ」

 新人さんは困った顔をしている。彼女の気持ちはありがたいのだが、新人がやる風潮に戻ると、またおざなり化する可能性が出てきてしまう。もう2度と「机、くっさ」と思いたくないのだ。

 その後は、毎朝一緒に拭くようになった。彼女の拭きかたは丁寧で気持ちがよかった。

 私は、ミツキとリオにも、そのとき自分にできることを自主的にできる人になって欲しいと思っている。

 しかし、悲しいかな2人もなかなかそうはいかない。もっとハッキリ言おう。我が子は残念ながら、自主性がまったく育っていない。

 子どもたちの自主性を育てるためにどのように接したらいいのか、私はずっと悩んできた。

 自分で言うのもなんだが、私は自主性がある方だと思っている。そして、それが母によるしつけの成果だとも思っている。

 しかし、私は子どもたちに同じことをする気には、どうしてもなれない。なぜなら、嫌な思い出でしかないからだ。自分が嫌だと感じていたしつけ法を子どもにするわけにはいかない。

 母は母なりの考えで私をしつけていたのだろうが、受ける側の私にとっては調教のように感じていた。

 礼儀・作法を教え込むことが、しつけ。動物を目的に応じて訓練することが、調教。人同士なので調教という言い方はおかしいが、それでもそう感じていた。

 私は子どもながらに「お母さんは間違っている。もっと違うやり方があるはずだ。私はこういう母親にはならない」と思っていた。

 そう思って模索してきたが、ミツキとリオの自主性は、現時点では0に等しい。それぞれ年相応の自主性を身につけさせるには、結局は母のしつけ(調教)が手っ取り早いのではないかと思うことさえある。

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【こぼれ話】夏の香

 長い梅雨がやっと明けて今年も夏がやってきた。新型コロナウィルスの影響でいつもの夏とは大きく違うが、それでもやっぱり夏は好きだ。今年は旅行も帰省もするつもりはない。それでもなぜかワクワクする。

 4歳から11歳までは、習っていたモダンバレエの発表会。中学では部活と受験勉強、高校も部活、短大はバイトと再度始めたモダンバレエの発表会、その後も結婚するまでバレエを続けた。私にとって夏と言えば、何かに集中的にチャレンジするワクワクする期間で、その感覚が今も体に染みついている。

 数々の夏の思い出の中で「夏の香」として生き続ける思い出がある。それは高校での部活の合宿での出来事だ。

 

 高校に入学した私は、ほんの気まぐれで女子バレーボール部のマネージャーになった。夏休み直前になって、夏合宿について驚きの全貌が明らかになった。

 まず、夏合宿を学校で行うことに驚いた。しかも、寝泊りするのは普段使っている教室だ。机を並べて舞台状にし、その上に布団を敷いて寝るのだと知ったときの衝撃は今も忘れない。

 シャワーは、プールのシャワー室を使用。食事は保健室に置いてある小さなコンロでマネージャーが3食作るのだ。

 これが授業料の高い私立高校の合宿の実態とは信じられない。

 3年生のマネージャーの先輩は引退済み。2年生にはマネージャーはおらず、1年生の私が唯一のマネージャーだ。まさか、たった1人で部員30人分の料理を切り盛りするとは思いもしなかった。しかも、1日3食、2週間も。

 私は小学3年生から家事を手伝ってきた。家族全員分の布団の上げ下ろし、掃除、風呂の準備、洗濯物たたみ、食器ふき。しかし、母は料理だけは手伝わせようとしなかった。

「台所は女の戦場。戦場に武将は2人いらぬ」

 これが母の口癖で、足軽の私は後片付け専門だった。

 なんだかんだ言っても、合宿中は誰か手伝ってくれるだろうと思っていたが、本当に1人だった。何を作ったらよいのか、どうやって作ったらよいのか分からない。料理初心者なのだ。体育館の地下にある購買部横の赤電話から、メモを片手に何度も母に電話をした。

 私も辛かったが、きつい練習に耐えて疲れているのに、私の手料理を口にする部員たちも辛かったと思う。それでも、誰も文句を口にはしなかったが、なんとなく殺伐とした雰囲気がいつも漂っていた。

 合宿も半ばを過ぎたころ、八百屋を営んでいる同級生の父親が、大量の桃を差し入れてくれた。その日から、食事中の雰囲気が和やかになった。

 部員も監督もコーチも私も、朝昼晩と3食、各自1つずつに桃が配られた。私たちは皮も剥かずに夢中でかじりついた。

 部活初日に1人1枚ずつ差し入れでもらった真新しいハンドタオルで、腕をつたう桃の汁を拭った。合宿が終わるころには、どんなに洗っても、タオルには桃の香りが残った。

 今でも桃見るだけで、ふとタオルにしみ込んだ懐かしい夏の香を思い出す。

 

 ミツキやリオにも夏に、何かに熱中してもらいたいが、今年はなかなか難しい。

 ミツキが小学校のころはキャンプや野球。中学校も野球をがんばっていた。高校ではバトミントン部に入部した。しかし、活動的な部活ではなかったようで、いや、ミツキ自身も活動的でなかったゆえに、昨年の夏の終わりには辞めてしまった。そして、今年は「何かしなくては」と思ってはいるようだが、何もしていない。非常に残念だ。

 机の上に「人生設計」と書かれたB6版のキャンパスノートが置いてあるが、中身はまだ白紙だ。一刻も早く、このノートに夢の1つでも書き込まれることを願っている。

 とにかく何でもいいから何か「やる」ことが大事!

 リオは今年中学生になり、夏休みを部活に捧げるはずが、このご時世ではそうもいかない。水泳部に入部したものの、今年は学校のプールは中止なのだ。

 ウィルスのせいにして文句ばかり言っていても始まらない。ピンチはチャンス。ミツキとリオが、何か熱中できることを陰ながら提案していきたい。

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【こぼれ話】不器用ママ

 私は加工された甘いものが苦手だ。フルーツそのものの甘さが一番おいしいと思う。そもそも我が家には砂糖がない。砂糖がなくても、料理はみりんで十分だと思う。

 私にとってちょうどいい加工された甘いものといえば、ロッテの『小梅だより』とミナツネの『あんずボー』だ。この2つは、できれば常備しておきたい。

 唯一おいしいと感じる洋菓子は、バームクーヘンかスコーン。これ以上の甘いものを口にすると、後頭部の辺りがぽわーんとしてきて、体がだるくなるのだ。

 小さいころからこんな調子の私は、お菓子作りをしようとも思わなかった。

 ミツキの幼稚園時代、女の子の親子を見ては、バレンタインデーは大変そうだと危惧していた。多くの母娘が2月に入った途端にソワソワしだし、バレンタインデー当日の幼稚園のお迎え時には、あちらこちらで手作りの義理チョコ配りが始まる。中にはケーキを焼いてくる母娘もいた。

 ミツキにいただけるのはとてもありがたいことなのだが、ホワイトデーのお返しのことを考えると頭が痛かった。男の子もお返しは、ママの手作り菓子率が高い。

 私は悩んだ結果、買ったもので済ませた。結構な人数にお返しをするので、ホワイトデー仕様のお菓子を買ったら高くつく。中身が個包装の大袋のお菓子を数種類購入して、それをかわいい袋に詰め替えて人数分用意した。

 このラッピングにしても、私が針金リボンで口をするとなんだかショボくなった。

 ちなみに数年後、ミツキの野球関連でお菓子詰め作業をしたときも、私以外のお母さんと私の袋詰めでは出来映えが歴然としていた。

 リオが幼稚園にあがったら面倒なことになりそうだと思っていたが、予想よりも早くそのときがやってきた。

「パパとミっちゃんにチョコレートを作る」

 当時リオは3歳。どこでそんな情報を得たのか不思議に思っていると、プリキュア目当てで買った講談社の『たのしい幼稚園』にチョコレートの飾り付けが載っていた。チョコレート=バレンタインデーとは分かっていないようだが、異性に作ってあげたいという女心は、3歳でも芽生えているのだ。

 まだ早いよぉ。つくづく面倒なことになったと思った。しかし、リオの希望とあらば、ひと肌脱がない訳にはいくまい。

 まずは形から。ミッフィー柄の子ども用のエプロンを購入。リオは、くるくると回って見せた。なんて愛くるしいのだろうか。

 チョコレートを湯せんで溶かして無塩バターと合わせ、プラスチック製のカラフルなスプーンに流し込み、最後にカラースプレーで飾りつけをして出来上がり。いたって簡単。

 ……のはずが、私がスプーンを並べているうちに、リオがチョコレートを舐めてしまったり、スプーンに流し込んだチョコレートが溢れてしまったりとバタバタし通しだった。

 一番大変だったのが飾りつけで、どうも上手くいかない。センスがないのである。

 普段の料理も、どうも盛り付けがイマイチである。以前、私としてはおしゃれなレストラン風のつもりで、いろいろなハーブとレタスを混ぜて大皿に盛り付けたのだが、「なんだか草食わされる感じだな」という夫の言葉に玉砕したことがある。

 リオと私渾身のチョコレートを、我が家の男性陣は、とても喜んでおいしそうに食べてくれた。リオもご満悦である。それからというもの、クッキー、ドーナッツ、パン、キャラ弁とどんどん要求が増加した。

 リオのためとがんばっていたが、どうしても上達しない。まず、材料の計量がどうにも苦痛なのだ。菓子類は、普段の料理のような目分量では上手くいかない。今回はしっかりと計量するぞと息巻いて始めるのだが、途中でプチッと集中力が切れて「おりゃー!」と材料を加えてしまった。

 出来上がるころにはヘトヘトで、その後グッタリと横になる始末。

 リオはそんな私を見かねて、私でなく夫とお菓子作りをするようになった。夫はクレープ作りが上手かった。

 幼稚園に入ったリオにキャラ弁も頼まれた。

 一応努力はしたけれど、やはり無理な話だった。だって、そもそも私が描く絵は、絵心ない芸人並みなのだ。できるわけがない。

 キャラ弁は、ミツキが幼稚園のころから少しずつ流行りだした。ミツキからの要求がないのをいいことに、私はお弁当の話題に触れないように2年間をやり過ごした。だが、頭の片隅にはいつもキャラ弁という言葉がチラついていた。

 そして、幼稚園のお弁当最終日。

「ミっちゃんはキャラ弁作って欲しいと思ったことある? ママ、上手にできる自信なくて作ってあげられなくてごめんね」

 白々しく詫びてみた。

「ママのお弁当はおいしいし、いつもきっちりきれいに並んで入っているから好きだよ。それに、食べ物にベタベタ触られるのは好きじゃないし」

 ヘンなところに潔癖症のミツキらしい返答だ。私はこのミツキに返答に大いに励まされた。おいしく作って、きれいに並べればそれでいいのだ。

 小学生になったリオは、1人でバレンタインチョコ作りをするようになった。基本、私は手伝わないのだが、なんだか気ぜわしい。

 そして、小6のバレンタイン。友だち同士で「チョコ作りは飽きた」という結論に至ったらしい。みんなで買ったものを交換していた。

 ついに私に安穏が訪れた。

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