【こぼれ話】自主性①

 世の中には「自分も嫌だったけれど、我慢したのだから次の人も我慢して当たり前」と考える人間は結構いる。

 なぜそんな風に考えるのか不思議だ。自分が体験して嫌だと思ったり、無駄に感じたりしたことは、次にそのまま引き継がずに改善したり、取り止めたりすべきだ。

 私が初めてそんな体験を目の当たりにしたのは、入社1年目のことだった。

 新入社員の朝は、100人以上いる社員へのお茶出しから始まる。同期入社は、私含めて10人。休憩室のテーブルに全員分のマグカップを並べ、まるでタコ焼き機に生地を注ぎ込むかのように急須を動かして次々とお茶を入れていく。入社して一番初めに覚えたことは、先輩社員の各マグカップの模様だった。

 5人がお茶出しをしている間、残りの5人は机拭きをする。それらが終わるころチャイムが鳴り業務開始。

 1時間ほど通常業務をこなした後、今度は朝配ったお茶を回収するのだが、どのマグカップにもお茶はなみなみと入ったままで、飲みきったものを見たことがなかった。

 郷に入れば郷に従えなので文句は言わないが、つくづく無駄な作業だとは思っていた。

 マグカップになみなみと注がれた薄くてぬるい緑茶を毎朝楽しみにする人などいるはずがない。お茶淹れ作業をしているすぐ横の自動販売機で、出社した先輩社員が好みの飲み物を買って行く。

 自分の席に着くと、机から腐った水の臭いがしてくることがよくあった。たくさんの机をおざなりに拭いていることに問題があった。

 心を込めて丁寧に机を拭かないのであれば、拭かない方がよっぽどいい。

 このバカバカしい慣わしは、この私の代で終わらせよう。私は1年間そう思っていた。

 バブル崩壊の影響が強く表れ始め、次の年の新入社員は3人までに減った。3人で100人以上のお茶出しと机拭きは大変だ。私は新入社員の朝の仕事廃止を提案し、先輩方に意向を確認して回った。

 快く賛同した人のほとんどが「せっかく毎日淹れてくれたのに飲まなくてごめんね」や「私もこの制度おかしいと思っていたよ」などと声をかけてくれた。

 また、毎朝机にお茶が配られていることすら気づいていない人もいた。

 そんな中「無意味だと思いながらも新人の仕事として自分は割り切ってやっていた。これからも継承すべき」と言う人が、1割ほどいたことに驚いた。その中には前年散々文句を言っていた私の同期も含まれていた。

 翌年、朝の仕事は廃止になり一件落着。

 ところで、私はきれい好きだ。朝出社すると、机にうっすらと埃が積もっている。腐った水の臭いもいやだが、埃も耐え難い。

 そこで、毎朝自分で机を拭き始めた。同じフロアーには100人以上社員がいたが、私の部署は10人だった。私は始業前に自分の机と同じ部署の人の机、それからお客様窓口の机を拭いた。おざなりに拭かれた机とは違い、気持ちよく仕事に取りかかれた。

 お茶を飲みたいと思ったときは、周りの人にも声をかけ、要望があればついでに淹れた。いつしかそれが普通になり、先輩も後輩も関係なく互いに声を掛け合う環境になっていったことがうれしかった。

 数年後、いつものようにお客様窓口の机を拭いていると、その年に入社したばかりの新入社員が驚いた顔をして走ってきた。

「代わります」

「きれい好きが高じてやっているだけだから、気にしなくていいよ」

 新人さんは困った顔をしている。彼女の気持ちはありがたいのだが、新人がやる風潮に戻ると、またおざなり化する可能性が出てきてしまう。もう2度と「机、くっさ」と思いたくないのだ。

 その後は、毎朝一緒に拭くようになった。彼女の拭きかたは丁寧で気持ちがよかった。

 私は、ミツキとリオにも、そのとき自分にできることを自主的にできる人になって欲しいと思っている。

 しかし、悲しいかな2人もなかなかそうはいかない。もっとハッキリ言おう。我が子は残念ながら、自主性がまったく育っていない。

 子どもたちの自主性を育てるためにどのように接したらいいのか、私はずっと悩んできた。

 自分で言うのもなんだが、私は自主性がある方だと思っている。そして、それが母によるしつけの成果だとも思っている。

 しかし、私は子どもたちに同じことをする気には、どうしてもなれない。なぜなら、嫌な思い出でしかないからだ。自分が嫌だと感じていたしつけ法を子どもにするわけにはいかない。

 母は母なりの考えで私をしつけていたのだろうが、受ける側の私にとっては調教のように感じていた。

 礼儀・作法を教え込むことが、しつけ。動物を目的に応じて訓練することが、調教。人同士なので調教という言い方はおかしいが、それでもそう感じていた。

 私は子どもながらに「お母さんは間違っている。もっと違うやり方があるはずだ。私はこういう母親にはならない」と思っていた。

 そう思って模索してきたが、ミツキとリオの自主性は、現時点では0に等しい。それぞれ年相応の自主性を身につけさせるには、結局は母のしつけ(調教)が手っ取り早いのではないかと思うことさえある。

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