【こぼれ話】自主性②
自主性とは、他人から指示や援助を受けることなく、自ら率先してやるべきことを行う態度や性質のこと。
自主性を育てるには家庭内でのお手伝いが有効なようで、幼稚園や小学校低学年のころは長期休暇の宿題として出される。
お手伝いを任されれば『自分の仕事』として責任を持つようになる。自分がやらなければ家族が困るので、自主的にやるようになるのだろう。
そして、お手伝いを進めるうちに、例えば、食器の水気を早く切るための食器の重ね方や、食器洗い後にはシンク掃除や作業台の上も拭くなどの作業の流れも考えるようになる。こうした自ら考える自主性が、後々勉強をしたり、将来を考えたりするのに役立つ。
ちなみに私は、過去記事『門限』でも書いた通り、小学3年生からお手伝いが始まった。
母は『お手伝い』と言ったが、私にとっては『仕事』だった。
私の主な仕事は以下の8項目。
①起床後、家族4人分のパジャマを畳む
②家族4人分の布団を押し入れにしまう
③朝食後、食器を洗い、寝室2部屋に掃除機
をかけてから登校する
④4時半に帰宅後、洗濯物を畳む
⑤風呂場を洗い、風呂を沸かす
⑥バスタオル・足拭きタオルを準備する
⑦5時に4人分の布団を敷く
⑧食器ふき
これを小学3年生から大人になって1人暮らしをするまで時間的に可能な限りずっと続けていた。
これらの仕事には、さまざまな負荷が掛かった。
例えば……
母に早朝の用事があると、母に合わせて家族全員起床する。まだ眠いのに、パジャマを畳み、布団を片付ける。食器を洗い、掃除機をかけてから、登校時間まで待つ。文句を言ったらドえらいことになる。
小3のころ、微妙な距離感の友だちが私の家に遊びに来たときのこと。4時半になり、もう帰って欲しいのだが、言い出せない。母の背中から怒りを感じて、完全なる板挟み状態。友だちに「もう今日は片付けよう」と言うも、友だちは生返事。5時になり母に呼ばれ、早く布団を敷くように言われる。母は「布団を敷きだしたら友だちは帰る」と言う。そんなことできるわけない。その後も何度も促すも一向に帰らず5時半。
「早く布団を敷きなさいって言ってるでしょ」
母の激怒りに友だちは逃げるように帰って行き、その後私も家を出された。
4時半の門限に間に合わなくても、家を出される。のんびり洗濯を畳んでいて、布団敷きが5時に間に合わなくても、怒鳴られる。
試験勉強をしているとき、時間を計って模擬テストの最中にも食器ふきの依頼は来る。
「ごめん、今模擬テスト中」
なんて言おうものなら、母は大激怒。
「家の手伝いもできないヤツが、勉強なんてできるか!」
一時中断せざるをえない。
夕食後の母は、しばし休憩する。私もリラックスし、ついウトウト。だが、母がキッチンに立ち、食器を洗い始めたら私もすぐさま立ち上がり、食器ふき用タオルを握りしめないとドえらいことになる。
ドえらいこととは、以下の3パターン。
①家を出される
父の救済がない限りは家に入れない
②ピシャン!
③終わりのない無限ループ説教
過呼吸になるほどに泣くと終了
説明しよう。ピシャンとは、頬を叩く行為のこと。母の得意技のひとつで、怒り出す開口一番に「言うこと聞かないとピシャンだよ」と言う。一般的には、これは脅し文句で、これ以上悪さをしたら頬を叩くハズなのだが、母の場合は、叩くのと同時。だから私は「もう、ぶってんじゃん」と心の中でいつも思っていた。ちなみにピシャンは、私が中学生になり、母の身長を超えてからなくなった。
無限ループ説教とは、説教の内容がいつの間にかすり替えられて、何年前の出来事までも引き合いに出される説教のこと。説教の基本はいつもこれ。だから、私は何で叱られているのか分からなくなり、激しい頭痛と胃痛に襲われた。
もっとも嫌だったのは、母が寝込んでいるときの仕事。母は毎月2~3日程連続で寝込んだ。学校から帰ると、家中の空気が淀んでいた。窓を開けて空気を入れ換え、洗濯に取り掛かる。母の部屋にベランダがあり、衣類を干し始めると、ダメ出しが始まる。正しいやり方を教えてくれているので、しおらしく聞いていたが、心の中では「黙って寝てろよ」と思っていた。
母が寝込んでいたある日。食器を洗っていると、怒り狂った母がキッチンにやってきた。水の音で私には聞こえなかったのだが、どうやら、私に声をかけていたのだそうだ。その後私は、母を無視した刑を受け、家を出された。
私は母に叱られるといつも「ああ、お母さんが怒り出す1秒前に戻りたい」と思った。1秒前にでも母の怒りに気づければ、難を回避できるのだ。そんな思いから、先回りして動く習慣が付いた。母が怒り出す前に、仕事を始める。母が怒り出す前に、勉強を始める。
私の自主性は、母の怒りを回避する手段を考えることで育ったのかもしれない。