【こぼれ話】リオ 自我の目覚め

 リオが自我に目覚めたのは、6歳の誕生日だった。

 それまでは存在感満載お祭り男のミツキに振り回されて、リオ自身の感情は滅多に表にでなかった。リオはもっと自分の感情を出して図々しくなるべきだと、私は思っていた。

「いいよ。ミっちゃんにあげる」

「いいよ。ミっちゃん先にやって」

 そう言ってなんでもミツキに譲ってしまう。私が2人を平等に扱おうとしても遠慮する。

「あ、そう。じゃあミっちゃんからね~」

 ミツキは、超オレ様態度でリオの好意を当たり前のように受け取る。

「ちょっと! ミっちゃんたまにはリオに譲ってあげなさいよ」

 そんなとき、リオは少しだけうれしそうな顔をした。

 私は、リオに感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいだった。いつもミツキのお付き合いばかりだからだ。幼稚園の送迎に始まり、習い事の付き添い、私が小学校のPTA活動に参加すればそれのお付き合い。行きたくもない場所に連れて行かれ、長時間拘束され、静かに待っていなければならないのだ。

 ミツキが小さいころは、1日中ミツキのやりたいことで溢れていた。それに、ミツキにリオのように振舞えと言ったところでできるはずもない。

 だから、私自身できるだけリオ中心の時間を作るよう心がけていたし、できることならミツキがもう少しリオに気遣って欲しいとも思っていた。

 それなのに、ミツキはリオの主役の日でさえ存在感をグイグイ出してきた。

 リオの主役の日。それは誕生日。リオは幼稚園年少5歳の誕生日まで、自分が主役であると気付いていなかった。なぜなら、存在感満載お祭り男のミツキがMAXではしゃいでしまうから。

「いやー、リオ、めでたい、めでたい」から始まり、グイグイ前に出てくる。

「プレゼント続々届いてますな。早く開けよう」

 毎年、子どもたちの誕生日とクリスマスには、続々とプレゼントやらお菓子やらの入った箱が夫の母から届いた。

「ミっちゃんの誕生日じゃないんだから、あなたは少し落ち着きなさい。リオちゃん、開けてごらん」

「うーん」うれし恥ずかしげにリオが頷く。

「早くぅ、早くぅ」せかせるお祭り男。

「ミっちゃん、しー!」母怒。

「ミっちゃん、開けていいよ」譲るリオ。

「リオちゃん、開けて!」間違えて母怒。

「うぇーん」泣くリオ。

  ケーキカットの前も。

「リオ、ローソクふぅだよ。ふぅぅ」

 と言ってリオより先にお祭り男が消してしまった。

 ミツキの存在感を消してくれ~

 自分の誕生日の主役を奪われたら怒ってもいいのに、リオは楽しそうにしていた。

 ミツキは確実に1歳の誕生日から自分が祝われていることに気付いていた。なのにリオは、5歳の誕生日でさえもミツキの存在感に圧倒されて自分が主役であることに気付いていなかった。

 家でこんな調子なので、外でも自分が出せない。公園では他に子どもがいると遊具に近づけない。誰も使っていないときを見計らって遊び、前方から子どもが近づく気配感じただけで譲ってしまう。

 旅先の公園で見つけた、高さ7メートル程ある大きな螺旋の滑り台。たくさんの子どもたちが群がっている。ミツキは臆することなく何度も滑った。
 2歳くらいまでなら付き添いの親もいたが、当時リオは4歳。リオも親と一緒に行く気はない。だが、滑りたい気持ちはあっても、整理券でも配ってくれない限り、リオは前に出られないのだ。
 滑り台てっぺんの子どもたちの最前列で、まるで交通整理の人のように次から次へと子どもたちを送り出す。ミツキがてっぺんに着く度にリオに滑るよう促し、リオはミツキの後ろから滑ろうとするも、あっという間に次の子に抜かされてしまうのだった。
 ミツキ、リオを君の前に入れてやってくれ!

 幼稚園では、入園して半年ほどしたころ、幼稚園に行きたくないと泣いた。理由を聞くと「やりたくない遊びでもお友だちの誘いを断れず、やりたいこともできず辛い」という。これはチャンスと思い、先生に相談した。

「手のかかる子の方に目が行きがちで、リオちゃんがそんな悩みを持っているとは。これからはリオちゃんが気持ちを出していけるようにサポートしますね」

 先生の力にすがる気持ちでお任せした。

 これらのことを夫の母にも話した。

「リオちゃんを見ていると涙ぐましくなるけど、それがリオちゃんの性格で、周りの人が喜んでくれることでリオちゃんの心のバランスが保たれているのよ」

 その通りだと納得するものの、思春期になったリオが突然「今までの私はウソだった」と暴れだすのではないかと思うと心配だった。

 そんなリオがハッキリと自我に目覚めた。6歳の誕生日は、自分が主役であることを完全に理解し、存在感満載お祭り男を寄せ付けなかった。

 それは幼稚園のおかげだった。幼稚園では毎月誕生日会が開かれ、年少年長合同の誕生日会を行っていた。全園児の集まるホールに、その月に誕生日を迎える子どもが後から入場し、たくさんのお祝いの言葉と拍手を受ける。そして、子どもたちのお祝いのメッセージの入った王冠をかぶる。心温まる誕生日会だ。

 4月生まれのリオは、幼稚園に入園して2週間後、いきなり主役となった。誕生月の保護者のみ参加できるため、私はホールの端でリオを見守る。リオは緊張していて、初めての体験に驚くだけで、意味を全く理解していない。5歳の誕生会はただその場にいるだけだった。

 秋になり、幼稚園にも慣れ、誕生会の意味が分かってきたのだろう。今月の誕生日は誰だったなど頻繁に口にするようになった。

 冬になり、あと少しで自分の誕生日会の番が来ると意識するようになった。

「ママ、お誕生日会はみんなうれしそうなんだよ。リオも早く誕生日会やってみたい」

 今までは、お祭り男のミツキやパパとママが喜んでいるから自分も楽しいと感じていたものが、はっきりと自分がうれしいに変わった瞬間だった。

 自我の目覚めとともに、リオは自分の気持ちを出せるようになり、暑いだけで機嫌を損ねるようになった。腕をぶんぶんと振り回し怒る姿は、まるで土俵入り前の元高見盛のようで、可愛らしくて、おもしろい。

 これぐらいがちょうどいい。

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