遅刻について

 私は子どものころ、7号棟まである巨大な団地に住んでいた。当時は子どもがたくさんいて、集団登校は団地の1階ホールに集合した後、各階ごとに列になって登校した。

 6年間で一度だけ遅刻をしたことがある。小3の秋のこと。起きてカーテンを開けると、窓の外に集団登校の列が見えた。驚き過ぎて、夢を見ているような感覚に陥った。

 すぐに着替えて、バシャバシャと雑に顔を洗い、口をすすぎ、ランドセルを背負った。靴を履いていると、母が食パンを持ってきた。

「走りながら食べなさい」

 私は子どもたちのいなくなった通学路を、涙目でパンを齧りながら、全力で走った。「まるで、のび太みたいだ」と思った。二度とこんな情けない思いはしないと心に誓った。

 中学生になると集団登校ではなくなった。私は同じ棟に住む友だちと待合わせをして登校した。

「私、このままいくと無遅刻・無欠席で皆勤賞なんだ。修学旅行でみんなが集団中毒になって学校休んだ時も、私は平気だったからね」

 3年生の冬、中学生活も残り3か月余りとなったとき、その友だちが言った。この何気ない一言が、私を緊張させた。もし、私が遅刻したら、彼女は私を待っているだろう。つまり、私が遅刻をしたら、彼女も遅刻をし、そして、彼女は皆勤賞がもらえなくなる。一層のこと一緒に登校するのを辞めようと何度も思った。

「もし、私が遅かったら先に行ってね」

 何度も念を押したが、彼女はいつも笑いながら「はいはい」とあしらうので、信頼されている感が逆にしんどかった。

 3か月の間に、あらゆるバージョンの遅刻の夢を見た。無事に皆勤賞となった彼女を見て、自分のことのようにうれしかった。

 その後も遅刻とは無縁で過ごしていたが、25才で一人暮らしを始めると、リズムが狂い始めた。

 家に帰ってきたときにきれいだと感じられる家を目指すこと、これが私の暮らしのルールだった。出勤前は家中を駆けずり回る。常に完璧を求めたかったが、つい寝すぎたり、手順が悪かったりすると、遅刻ギリギリになった。そこで、平日は出勤時刻を優先し、家事は少々端折ってもいいことにした。

 休日は、平日の分も完璧にしたいと思った。寝る前に家を出るまでの家事シミュレーションをする。いろいろな折り合いをつけながら、起床時間を設定する。翌朝すぐに家事に取り掛かる。すべてが順調に進むと、つい欲が出て他のこともしたくなった。気が付けば、いつの間にか時間がおしていて、慌てて家を出て駅に向かう。

 駅についてハッとする。かつて私が住んでいた便利な街ではないのだ。駅まで徒歩20分、急行電車は20分毎、各駅電車だと結局は急行に抜かれてしまった。便利な暮らしに慣れすぎていた私は、時刻表を調べるとか駅までの時間を考慮するという考えがなかなか定着しなかった。

 そんなある日、友だちに「いつも待ち合わせ時間にちょうど15分遅れるよね」と指摘されてしまった。

 これはマズイ。何とかしなくてはと頭では分かっているのに「15分遅刻女」が定着してしまった。

 初めのうちは、遅刻をするたびに「お腹が痛くて」などのつまらない言い訳をした。そのうち、言い訳をする自分を恥じるようになった。そこで、ただ「ごめん」と謝った。言い訳をしないという点では潔いのだが、次の会話がぎこちなくなる気がした。「ごめん」の後に何食わぬ顔で世間話をしていいのだろうか。「ごめん。この埋め合わせは後で」と言ったら、埋め合わせだらけになってしまった。

 そもそも遅刻さえしなければ、謝らなくて済むのだ。このままいくと私は死ぬまで何回、本来なら言わなくてもいい「ごめん」を言い続けることになるのだろう。そう考えた途端、遅刻のバカバカしさが身に染みた。

 そんな意識改善をしたら、気が付けば遅刻をしない私に戻っていた。独りよがりの暮らしのルールを優先しないこと。あと15分早めの意識をすること。

 そもそも「無遅刻」を大前提に生きれば、遅刻などしないものなのだ。

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