トリックスター

 ミツキが小学5年生のお正月のこと。家族で私の実家に年始の挨拶に行った。
 この日私は、内心緊張していた。夏に実母と大喧嘩をし、会うのは4か月ぶりだったからだ。母の理不尽な言動に耐えかねた私の、一生父にも会えないことを覚悟の大喧嘩だった。母は我が家の独裁者なので、私が謝らない限りは一生このままと思っていたが、初めて母の方から折れてきた。「子(孫)はかすがい」ということだろうか。思わぬ事態に複雑な心境だったが、意を決して実家へ向かった。

 玄関の戸を開けるなり、子どもたちは元気に新年の挨拶をして部屋に入っていった。続いて夫が挨拶をし、次は私の番だった。

 そのとき、奥の風呂場からミツキが母を呼んだ。

「ねえ、ばあば。お風呂の戸の鍵が閉まって開かなくなっちゃった」

 洗面所に手を洗いに行ったミツキが、慌てた素振りで走ってきた。

「お風呂の戸の鍵?そんなのあったかな?」

 風呂場の戸は折り戸になっており、鍵は内側についていた。折り戸の内側の折れ目部分に小さなつまみがあり、そのつまみを下におろすと戸が折れなくなり、ドアが開かなくなる仕組みだった。
 戸の鍵は主に内側からの施錠用で、戸の外側はつまみとは言えないほどの浅い突起だった。その浅い突起は戸の高い位置にあった。今までは気付くことのなかった突起に、身長の伸びたミツキの目が留まり、好奇心で下におろしてしまったのだ。普段使われていない鍵は錆び付いていて、上がらなくなってしまった。

「お正月からお風呂に入れないなんて。工務店もお休みだよ」

 これは大変だと、家族総出で入れ替わり突起を押し上げようとしたが、工具を使ってもびくともしない。30分が経過し、諦めムードが漂い始めた。これで最後という心持ちで軽く押し上げると、カチャっと小さな音を立てて突起が上がった。

「あ、なんか急に開いた」

 私が振り向くと全員が歓声を上げ、母は拍手をしながら小躍りした。

「まったく、あんたたちはお騒がせ一家だよ。さあ、ひと仕事したらお腹がすいたでしょう」

 このハプニングのおかげで、4か月間のわだかまりが一気に消え去った。

 これは、山崎先生からトリックスターという言葉を聞いて、初めに思い出したエピソードだ。ミツキの周りではこの手の出来事がよく起きるが、これがトリックスターと言われた所以なのだろうか。

 トリックスターとは、どんなものなのか検索してみた。

策略や詐術を駆使して活躍するいたずら者がヒーローとして登場する神話や民話は世界各地にみられる。そのような登場人物をトリックスターという。
トリックスターは、策略を用いる狡猾さ・賢さを賞賛される一方、欲望を制御できずに失敗する愚かさ・滑稽さを笑われる者であり、また人間に火や文明をもたらす文化英雄的な神であると同時に、単なるいたずら好きの反社会的な破壊者でもある。
そこでは、善なる文化英雄と悪しき破壊者、あるいは賢者と愚者という、法や秩序からみれば一貫性を欠いた矛盾する役割が、一主人公の属性として語られる。

(世界大百科事典 第2版)

 プロメテウスは『善なる文化英雄と悪しき破壊者』としてのトリックスター。では、グリム童話の方はどうだろうか。ガラスビンの中の悪魔は『愚者』のようだし、木こりの息子は『賢者』のようだ。この場合、どちらがトリックスターなのだろうか。

 トリックスターの物語は世界中に存在している。分かり易いものとして、日本では『吉四六さん』、中国では『孫悟空』がある。

 吉四六さんといえば、小学校の図書館で一休さんの隣に並べられていて、私もよく借りて読んだ。知恵者でひょうきんな男の吉四六の活躍する笑話だ。吉四六さんは、賢者と愚者の両面を持っている。

 孫悟空は、石から生まれた孫悟空が西天へお経を取りにいく三蔵法師のおともをする。旅先で数々の問題に巻き込まれるたびに、孫悟空が滅茶苦茶な行動をとり、周囲を翻弄させるが、最後はその土地のために役立ち、自信も成長しながら旅を続ける物語。まさに、悪しき破壊者であり、善なる文化英雄だ。

 正と悪だけの物語よりも、トリックスター的存在の人が登場する物語は、面白みを増す。

 これをミツキに置き換えてみると、山崎先生の言う通りであると私も思う。普段のなんでもない生活の中でも、それを感じることが多い。私がこうしてミツキのことを書くのも、話の種に尽きない男だからだ。

 例えば、リオのことを書こうと思っても、話の種にはならない。リオは、かわいくて、優しくて、性格が良くて、運動神経が良くて、スタイルが良くて、癒しのパワーを持っていて、愛おしい。リオのことを思うだけで、胸のあたりがほんわり温かく感じて『私の心はここにあるのだ』と心の位置を実感できるほどに愛おしい。だが、話の種にはならない。

 一方、ミツキは一筋縄ではいかないことばかりで、私の心をかき乱す。だが、この一筋縄でいかないところがいいのだ。

①壁にぶち当たる

②本やネット検索で解決法を探す

③解決法を実行する

④解決する。

 私は、この繰り返しの行程にワクワクする。ミツキがいなければ、このワクワク感は経験できないのだ。ミツキの成長とともに、私自身の成長も感じている。人は「儘ならないことを経験すると成長する」と聞いたことがあるが、正にそれだ。

 山崎先生の言う「昔からトリックスター的存在の人は多くいた。そういう存在のおかげで、社会が上手く回っているとも言える」という言葉も理解できる。

 いろいろなタイプの人がいていいのだ。いろいろなタイプの人がいるから、世の中おもしろいのだ。

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