告知

 スクールカウンセラーの山崎先生に小児神経科の受診と薬の服用を勧められて以来、ミツキにどんな言葉で伝えたらショックを最小限に抑え、前向きに理解してもらえるかということで、私の頭の中はいっぱいだった。私だってこんなに混乱しているのだ。本人はもっと辛く受け止めるだろう。

 そもそも本人は困っていないのだ。なぜ、先を見通して予定が立てられないのだろうかとか、予定通りに事が進まないのだろうかとか、ケアレスミスが多くて困るとか、おしゃべりが止まらなくて困るとか、そんな考えを巡らせたことさえないのだ。スムーズに進まないけど気にするほどでもないか、程度にしか感じていないのだ。
 ときには、スムーズになんでもこなす友だちを見て、なんで俺はうまくいかないのだろうかと思うこともあるようだが、すぐ気を取り直して「まあ、アイツは天才だからな」と片付けてしまう。
 そんなミツキを見て私は「天才でなくてもできている。できていないのは、かなりの少数派」と思う。それをやんわり伝えるのだが、やんわりだと伝わらず、ちょっときつめに伝えると、傷ついた顔をする。プライドは一人前だ。

 困ってもいなければ、改善の意思もない人間にわざわざ告知する必要があるのだろうか。むしろ、ミツキは幸せに生きている。私や学校の先生など、先のことを考える大人からしたらミツキの全てが不安だが、本人はそんな不安は微塵もないのだ。不安感を持っていない人間を、わざわざ不安の渦に陥れるようなことをしていいのだろうか。

 いや、今が決断のときなのではないだろうか。2年先には高校受験がある。改めて検査して、今度こそしっかりと診断結果を受け止めるべきだ。療育や薬の服用を今からすることによって、2年後のあり方が大きく変わるかもしれない。
 何もしないで、あのときやっておけばよかったと後悔するくらいなら、今やった方がいい。やって後悔しないように、ひとつずつ丁寧に進めて行こう。これでよかったのだと思える未来を作っていこう。

 その上で一番大切なことは、ミツキの心を傷つけないこと。本人が納得して受診すること。本人が納得する方法を選ぶこと。

 何も言えないまま、1か月が過ぎた。入塾したばかりだったので、気持ちを混乱させたくなかったのだ。

 塾は、西の駅の近くにある個別塾に決めた。先生1人対生徒2人。週2日で英語と数学。部屋は広々としていて、きれいだ。自習室もあり、環境が整っている。毎回の塾での学習内容や理解度、宿題の達成度などが一目でわかる表があり、親の目も届きやすい。同じ中学の同級生がいないため、塾終了後はまっすぐ帰ってきた。滑り出しとしては良好だった。

 塾にも慣れてきた11月下旬、塾の三者面談があった。私はこの日をミツキに告知する日と決めていた。普段ミツキが家にいる時間は、リオも家にいる。リオの前での告知は避けたかったのだ。塾の三者面談は夜8時からだったので、その日は夫に早く帰ってもらいリオと過ごすよう頼んでいた。

 面談後、ファミレスでお茶でもしながらゆっくり話す予定でいたのだが、急遽9時から授業が入ってしまった。面談後30分程時間があいていたので、隣接する大型スーパーへ行った。人気のないベンチを見つけ、ミツキと並んで座った。時間がないので、すぐに話を切り出さなければならなかった。

「ミツキは、中学に入学してから、勉強のことや、部活中のことや、学校生活のことで、何か困っていることない?」

「え?なんで?」明らかに不振がっている。

「小学生のときはさ、勉強でこんなに苦労しなかったじゃない。少し前にさ、中学の授業は進みが早くて、先生が何を言っているか分からないって言ってたじゃない。今もそんな感じなの?」

「うん、だから授業中につい別のこと考えて別世界に行っちゃうんだ」

「他にも別世界に行っちゃう子っている?」

「いるにはいるけど、あんまりいない」

「まずいじゃん」

「うん、まずい。でもしょうがない」

「小学生のころは、友だちものんびりしてたじゃん。でも、そういう子たちが急激に成長しているなって感じることはある?」

「うん、まあ」いぶかしげな表情で睨んだ。

「なんでこんな話をするのか、今から言うね。実はね、ママは今のミツキに心配なことがあって、スクールカウンセラーの先生に話を聞いてもらったの。ミツキの成績のこととか、学習の様子とか、三者面談での様子とか。そうしたら、もしかしたらミツキの脳の神経が少しギザギザしていて、伝達が上手くいっていないかもしれないから検査をしてみて、そのギザギザを抑える手立てを考えてみてはどうかって勧められたの」

「・・・」無表情でこちらを見つめる。

「集中しづらかったり、おしゃべりがとまらなかったり、自分のペースを押し切っちゃたり。なんかスムーズにいかなくて困るなって感じることはないかな」

「上手くいかないけど、オレは全然困っていないんだ」

「そうか。そうだよね。そう言うと思った。それは幸せなことだよね。先生や友だちに感謝すべきだよ。もちろんミツキ自身のキャラクターのおかげでもあるけどね」

「そうだよ。オレは大丈夫だよ」

「うん、今日のところは分かった。ミツキが満足していることが分かってよかったよ」

「別に満足はしていない」

「そうか。じゃあ今は一旦おしまいだけど、あとでもう1度考えてみて」

 塾へ戻るミツキの背中を私は重い気持ちで見送った。

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