夕暮れの部族ダンス
ミツキが3歳半のころ。家族であるイベントに行った。さまざまな催しがあったが、子どもに一番人気はドーム型のトランポリンで、長蛇の列ができていた。
ドーム内の定員数は10人程度で、10分間ドームの中で飛んだり跳ねたりして遊べる。中に入れるのは子どものみだ。
当時のミツキは、私からまったく離れられない子だった。いや、正確に言うと、第三者に「子どもだけここに集まれ」と言われると、突然私に張りついて泣き出す子だった。児童館に連れて行くと、入口で靴を脱ぐなりピャーっと走って私のもとを離れ、自分のやりたい遊びをする。私のことなど見向きもしない。
「ミっちゃんは、ママから離れて遊べるから来年幼稚園に入っても安心ね」
と、たびたび言われた。私はいつも「そうかなあ」と言いながら曖昧に笑った。
児童館では、先生が手遊びやお遊戯を教えてくれる時間があった。先生が
「子ども達は先生の所に集まって遊ぼうね」
と言うとミツキは動かなくなった。そして、手遊びにもお遊戯にも一切参加せずに私の傍らで寝そべってしまう。私がどんなにミツキの手を取って促しても完全無視だった。
日頃からそんな状態だったので、トランポリンをやりたいとミツキが言ったとき
「列に並んでるときはママとパパと一緒だけど、中で遊べるのは子どもだけだよ。ミっちゃん、大丈夫かな?」
「長い時間並ぶんだよ。飽きちゃうでしょ?」
「入口の前でやっぱりママと離れられないっていうのはなしだよ」
何を言っても諦めないので根負けして並んでいると、ドームの中から児童館でよく顔を合わせるシュン君が出てきた。たくさん飛び跳ねたようで、汗でびっしょりの頭をママに拭いてもらいながら歩いてくる。
シュン君といえば、いつもママから離れられず、ママの後ろに隠れている子だ。シュン君を見て、私にメラメラと対抗心が湧いた。
列はなかなか進まず、並び飽きたミツキは「ママお願いね」と言って、パパと一緒に遊びに行ってしまった。小一時間ほど並び、あと3番目という辺りで呼び戻した。
「では、次の子たち集まってね」との声がかかったとき、案の定ミツキが泣き出した。係員は困惑しながらも
「気持ちが落ち着いてから入ろうか」
と次のグループの子と交代させてくれたが、次もその次も泣き止むことはなかった。
予想はしていたが、それでも「おのれー」と怒りが込みあがってきた。それなのにミツキときたら、解放された途端に元気を取り戻し、私の手を振り払うとピャーッと広場に走っていってしまった。
「まったく困ったやつだな。いつもああなんだろ。あいつ、おれ達がいなくなったらどうなるんだろう。ちょっと隠れてみるか」
とパパが言った。
「そんな子どもを怖がらせるようなこと・・・」
「ちょっとでも困った様子になったら、すぐに出て行けばいいよ」
気が進まなかったが、私も低い木の陰にしゃがんでミツキの様子をうかがった。
すると、しばらくしてミツキは私たちがいないことに気付いたようで、キョロキョロと辺りを見回し始めた。絶望したのだろうか、ガクンと座り込んだ。かわいそうになり私たちが立ち上がろうとしたそのとき、ミツキがスクッと立ちあがった。なぜか両手に30センチほどの棒きれを持っている。その棒切れをおもむろに打ち鳴らし、奇妙なステップを踏みながら、まるでどこかの部族ダンスのように踊りながら歩き出した。
呆れつつも笑いながら隠れて見ていると、どういうわけかミツキの後ろに同じくらいの年の男の子たちが数人列をなし、みんな手に手に棒を持ってミツキの真似をして踊り始めた。夕日の中、なぜか共鳴し合う子どもたちの謎のダンスは、どこか美しかった。我が子にカリスマ性を感じてしまったのは、単なる親ばかだろうか。
ひとりふたりと子どもたちの親が迎えに来て、列から去っていった。私たちも出ていきたかったが、先頭のおかしな子どもの親とばれるのが恥ずかしくて出づらかった。最後の一人の親が迎えに来たとき、何かミツキに話しかけていた。おそらく「あなたのママはどうしたの?」といったところだろうか。
このままではまずいと思い、迎えに行くと
「あ、ママどこ行ってたの?」
と元気に言った。
ミツキによる「夕暮れの部族ダンス」から数年後、北海道で親が7歳の子どもを山に置き去りにするというニュースでワイドショーは持ちきりとなった。男児は7日間後に無事に保護された。たまたま辿り着いた誰もいない自衛隊の施設で、7日間も生き延びた男児のサバイバル能力に誰もが驚いた。何事にも動じない、我が道を生きている感じの様子をテレビで見て、ミツキも相通ずるものがあるなと思った。