【家族の話】中学受験後日談①

 3月の上旬、箱根へ一泊の家族旅行をした。私の中学受験と3つ年上の兄の高校受験とで夏も年末年始も旅行はおあずけだった。

 表向きは兄の第一志望合格祝いだが、実際は母をなだめるために計画されたお疲れさま旅行だった。母の無視は続いていて気まずかったが、家にいるよりは気分転換になる。

 箱根湯本に着くと宿に直行。この旅では積極的に観光することはなかった。箱根は何度も訪れているので、たまには宿でのんびりする旅もありではある。チェックイン後、父と兄と私の3人で近所の散策に出かけた。

 宿の近くに滝のある庭園があった。滝の近くは特別な空気が流れ、とても心地よかった。私が庭園のあちこちを1人で散策して滝に戻ってくると、父が滝の前で手を合わせていた。

 

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【家族の話】中学受験⑥

 3校とも全滅と分かった時点で交換日記を書いた。

 受験とは関係のない普段通りのたわいのない話でページを埋め、ページの一番下に『中学校でもよろしくね』とだけ。

 ミナコは一切何も聞いてこなかった。私も一切何も話さなかった。

 1週間ほど経ったある日。恐れていた出来事が起きた。

「おい、おまえさあ、中学受験したんだろ?」

 振り向くと、クラスでもっとも苦手なキヨシが、チンピラのようなガラの悪い目つきで私を見ていた。

「してないけど……」

 思わずウソをついてしまった。

「はあ? んな分けねえだろ。校長室におまえもいたってWから聞いてんだぞ」

 W。あのときの男子のどちらかだ。

「……」

「おまえ、何シカトしてんだよ!」

 私は完全に無視を決め込んだ。

「おい、おまえ! こいつと仲いいんだから知ってるだろ! 言えよ!」

 キヨシは、近くにいたミナコに詰め寄った。

 私の咄嗟のウソのせいで、ミナコを巻き込んでしまった。一巻の終りだ。ミナコが言っても仕方がない。私はうつむいた。

「私は何も知らない」

「はあ? 何なんだよ。知らねえのかよ」

 キヨシはブツクサ文句を言いながら行ってしまった。

 ミナコの心の強さに驚いた。逆の立場だったら私は、ミナコのように振る舞えただろうか。この恩は一生忘れない。

 下校途中でお礼を言おうと思っていたのに、ミナコが次から次へとおもしろい話をするので、言いそびれてしまった。

 キヨシの件は最悪だったが、そのおかげでミナコの優しさを今まで以上に感じられたと喜びに浸っていると、母が部屋に入ってきた。

「担任の先生に手紙を書きなさい」

 私を無視し続けている母からの突然の命令。

「なんで?」

「中学受験するときに内申書を書いてもらったからだよ。先生に余計な仕事を増やしておきながら、あんたは落ちたんだから、ちゃんと謝りなさい」

 そういうものなの? 私は謝らなければいけないほどのことをしたというのだろうか。

 納得できない気持ちを押さえて、私は先生宛の手紙を書き始めた。母に内容をチェックされると思ったので、母が納得しそうな反省の手紙を書いた。

 何度も何度も新しい紙に書き直した。なぜなら、手紙の内容とは裏腹に1年半押し殺してきた気持ちが溢れ、涙で紙がグシャグシャになってしまうからだった。

「あんた、たかが手紙にいつまで時間かかってるの!」

 母が怒りながら部屋に入って来てしまい、グシャグシャの手紙のままを先生に送った。

 数日後、先生から返事か来た。2枚にわたって書かれた返事の中の一文にハッとした。

「涙で濡れてグシャグシャになった手紙から、あなたの悔しい気持ちが伝わってきました」

 先生のこの一言によって、私が求めていたことがハッキリと分かった。

 私は誰かに私の気持ちを分かって欲しかったのだ。

 私は先生の手紙に当たり障りのない反省の言葉しか書いていない。だから、先生は私が5年生の夏以降どんな思いでいたかは知らない。先生は単純に受験の失敗を悔やんで私が泣いていると思っているだろう。

 それでもよかった。詳しい心の内はどうあれ、私が何かに悔しい気持ちを持っているのだということを、分かってくれるだけで十分だった。

 母は私を何も分かっていなかった。分かろうともしなかった。でも、先生は分かってくれた。

 捨てる神あれば、拾う神あり。母のことなどどうでもいい。先生のように分かってくれる人や、ミナコのように何も言わずに寄り添ってくれる人がいるのだ。

 なんて幸せなのだろう

 それに気付けただけでいい。

 人生って捨てたもんじゃない!

  元気が出てきたぞー!

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【家族の話】中学受験記⑤

 交換日記の返事は書かなかった。何度も読み返したかったのだ。

 1月下旬、千葉県の女子中学校を受験した。予想通りあっさり不合格。

「5倍は厳しかったか。良い練習にはなっただろうから、まあいいじゃない。次は本番だからがんばりなさい」

 意外にも母は落ち着きを払っていた。

 2月上旬。受験2校目は、校則お下げ髪校。

この学校は、保護者同伴の面接だった。私は、母の圧に緊張していた。

 名前を呼ばれ、母と共に面接室へ入った。椅子の前に立ち、受験番号と名前を言ってから座る手筈になっている。

「86番……あっ!」

 痛恨のミス。受験番号を間違えてしまった。

「大丈夫ですか? 65番ですよ」

 パニックに陥り、もうどうでもよくなった。

「済みません。いくつも受けているので分からなくなりました」

 母が鬼の形相で私を見ていた。その先の面接のことは覚えていない。

「おまえはバカか! 面接は大失敗だ。こりゃもうダメだわ。テストの手応えはどう?」

 母は何度もテストの手応えとやらをしつこく聞いてきた。しかし、私にはテストの手応えというものがどういうものなのか、よく分からなかった。だって、自分ではそれなりに解答欄を埋めたけれど、絶対合っているとは言い切れないのだ。へんに母を期待させるようなことは、怖くて言えなかった。そもそも私には自信がないのだ。だから、私はひたすら黙っていた。

「なんで何にも言わないんだよ! 手応えも分からないのか!何を考えているのか、分からない。あんたの腹を開けて見てみたいよ」

 学校の門を出てから駅に向かう道すがら、母は何度も同じことを怒鳴り散らした。

 翌日は3校目の受験日だった。この学校と校則お下げ髪校は近いので、私の試験中に母が合格発表を見に行っていた。

 試験と面接が終り学校の門を出ると、ガードレールにもたれて母が待っていた。母の持ち物が小さなバッグだけであることと、母の浮かない表情から、不合格であることを悟った。

 母は私に気付くと、見る見るうちに鬼の形相になった。

「手応えはどうだった?」

 母はまた聞いてきた。

「一応全部埋めたけど……」

「なんで、出来たか出来なかったが答えられないんだよ! どうせ、出来てないんでしょ!

どうせ、落ちてるんだよ。全部落ちるんだよ。この金食い虫が!

 鬼の形相で、目に涙を浮かべた母は、私を置いてスタスタと歩いて行ってしまった。

 このままどこかに消えてしまいたかった。家に帰りたくなかった。でも、そんなことしたら、それはそれでまた怒鳴られるのだ。

  養われているのだから仕方ない

  養われているのだから仕方ない

  養われているのだから仕方ない……

 3校目もしっかり不合格だった。母は、もう何も言わなかった。と言うか、1か月以上に及ぶ無視が始まった。

 母の無視はよくあることで慣れているので、嫌みを言われたり、ぶたれたり、家を出されるよりはましだった。私は母がどんなに無視しようとも「おはよう、おやすみ、いただきます、ごちそうさま、行ってきます、ただいま、ありがとう」だけは言うようにしていた。

 そして、そのころから、毎晩寝る前にお祈りタイムを設けることにした。

 神棚や仏壇のない家ではあったが、お土産の鎌倉の大仏の置物があった。

 私は毎晩大仏に手を合わせ、心の中で話しかけた。

「大仏様、今日も良い一日でした。私の努力不足で受験に失敗したけど、私に必要な良い経験だと思っています。だから私は大丈夫です。ありがとうございます」

 精神集中したいので、なるべくリビングに誰もいない時間を見計らって祈っていたのだが、ある晩母に見つかってしまった。

「あんたみたいな人間が、神さまに何を願っても聞いてくれないよ!」

 私だって受験に失敗して悔しかったんだ。悲しかったんだ。5年生の夏からずっと苦しかったんだ。その気持ちをなんとか抑えようと思って、こうして心のバランスを取ろうとしているんだ。それなのに、なんでお母さんはそんなことしか言えないの? お母さんは、なんて悲しい人間なの。私は、絶対にお母さんのような大人にはならない。

  養われているのだから仕方ない

  養われているのだから仕方ない

  養われているのだから仕方ない

 大人になるまでの辛抱だ。そして、一刻も早くこの家を出るんだ。

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【家族の話】中学受験記④

 中学受験本番が迫ってきた。母に言われるがまま、受験校は女子校3校に決定した。

 1校目は、千葉県の女子中学校。母曰く、千葉県の中学は受験日が東京より早いので、本番前の練習のための受験とのことだった。しかし、練習とは言えない気にかかる点があった。倍率が5倍なのだ。5人に1人だなんて。私は受かる気が全くしなかった。 
 気にかかる点がもう1つ。遠い。家から1時間半はかかる。通う気になれなかった。

 受験日の順番から言うと、2校目が第一志望の『校則お下げ髪中学校』だった。

 3校目のことは覚えていない。3つも受けるのかとウンザリして、学校に対する感想さえなかった。

 正月休みが明けて数日登校したころ、予想だにしない出来事が起きた。

 下校の準備をしていると、担任から下校前に校長室に寄るよう告げられた。いつも一緒に下校するミナコには先に帰ってもらい、慌てて校長室に向かった。

 校長室に入ると、ソファーに6年生の男子が2人座っていた。校長先生は、私も座って待つよう促した。待っていると、同じく6年の女子が2人続けて入ってきた。

「揃ったようなので、始めましょう。6年生約240名の内、集まってもらったこの5名の皆さんは、これから中学受験をします。皆さんは受験に向けてたくさんの努力をしてきたのでしょう。ですから、受験前に激励をしたいと思い、こうして集まってもらいました」

 私は泣きそうになった。約1年半、ミナコにも必死に隠していた中学受験が、こんなにも簡単にバラされてしまったのだ。

(校長先生、なんてことしてくれるんだよ!)

 もう、一巻の終りだ。頭を抱えてうずくまりたい気持ちを抑えて、ただジッと座っていた。何をしたか、何を話したか、記憶はない。

 男子2人は、一度も同じクラスになったことがなく、話したこともなかった。女子2人は、3年と4年でそれぞれ同じクラスになったことがあり、よく遊ぶ友だちだった。

 3人で下校途中、受験校の話になった。

 3年時に同じクラスだったKの第一志望は、私と同じ「校則お下げ髪中学校」だった。Kは自分で中学受験について調べ、親に頼み込んで受験させてもらうことになったと言った。

 4年時に同じクラスだったRの志望校は、こちらも私と同じで「千葉県の女子中学校」だった。Rは5つ年上の兄も私立中学に通っており、低学年のころから中学受験を意識してきたと言った。

「合格したら一緒に通おうね」

 2人ともそう言ってくれたが、私は2人の顔をまともに見ることさえ出来なかった。2人は、私には眩しすぎた。志が私とはかけ離れている。受験に対する考え、努力、心構え。自信に満ちた表情。

 隠そう、逃げようとばかりしている自分が恥ずかしかった。完全に打ちのめされ、自分はダメ人間だと思った。

「私には無理かもしれない。だから今日のメンバーに私がいたことは言わないで」

 そんなことしか言えない自分が情けないが、もうどうしようもなかった。

 その日の夜、私はミナコに中学受験を告げることにした。私以外の誰かからミナコの耳に入ることを避けたかったのだ。

 直接言うことはできず、2人でやっていた交換日記に書くことにした。

1月の終わりと、2月の始めに3回学校を休むんだ。

誰にも言ってなかったけど、中学受験をするの。

遊べなかったのも塾に行ってたからなんだ。

今まで言わなくてゴメンね。

言うなって言われてたから…

そういうことで、よろしく!

 本当はもっと書きたかったけれど、泣いてしまいそうでこれ以上書けなかった。

 2日後、ミナコから交換日記が戻ってきた。

塾に行ってるってうわさで聞いたことがあるから、

なんとなくわかってたよ。

ずっと聞きたかったけど、言わないから

聞いちゃいけないと思って…

中学は別々になっちゃうんだね。

学校ちがくても遊ぼうね。

がんばれ~🏁おうえんしてるよ~🏁

 ミナコも私と同じ中学に行きたいと思ってくれていた! それがとにかくうれしかった。万一不合格になったとしても、私を受け入れてくれる人がいることが、このときの私にとって唯一の慰めだった。

 返事を書こうとページをめくって驚いた。

がんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれ

がんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれ

がんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれ

がんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれ

がんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれ

がんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれ

がんばれがんばれがんばれがんばれおちろ!!!!がんばれ

がんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれ

がんばれがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれ

 見開き1ページに『がんばれ』と書かれていた。

(ミナコがこんなに応援してくれているんだ。イヤイヤだったけど、これまで一応はがんばってきたんだし、ここまで来たらやっぱり合格したい。ミナコにがんばれって言われるとやる気が出るな。少し複雑だけど……)

 そう思いながら、ミナコのがんばれの文字を眺めた。

 ん??  

 違和感を感じよく見ると、1つのだけ『おちろ!!!!』

 ミナコ、やってくれたな! ありがとう!

 ミナコは、本当は私に落ちて欲しいんだ。だって、落ちたら同じ中学に行けるんだもん。

 ミナコがどういうつもりで書いたかなんて私には関係ない。私がどう受け取るかの方が大事だった。

 何があっても自分を受け止めてくれる人がいるという安心感で、私はこの上ない幸せに包まれていた。

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【家族の話】中学受験記③

 夏を制するものは受験を制す。

 ということで、深夜0時過ぎまで机に向かうことになった。ついウトウトすると「顔を洗ってこい!」と母の怒号が飛んだ。顔を洗ったところで眠気は消えない。苦手な問題になればなるほど眠気が襲ってくる。解き方を質問したところで、母は答えられない。

 中学受験は決定事項で取りやめにはならない。だからやるしかない。そう頭で分かっていてもどうしてもやる気にならなかった。

 

 新しい塾は古いマンションの一室だった。中はリフォームしていくつかの教室に仕切られており、玄関入ってすぐの広間に塾長席があった。

 塾長は熊のように大きな男性で、手の甲まで毛むくじゃら。趣味はピアノ演奏。作曲もするそうで、見た目とのギャップが激しかった。塾長自身は先生というより経営者で、いくつかの塾を取りまとめていた。

 私についた先生は、春から大学生になったばかりの秋田出身の女性で、かよ先生といった。かよ先生は色白のおっとりとした人で、失礼ながら私は『この人はチョロそうだ』と直感した。

 かよ先生の授業を受ける生徒は私以外にもう1人いた。あつしくんという同じ年のシュッとした感じの男子だったが、声を聞いた記憶がない。

 ある日、あつしくんは塾を休み、塾長は外出して戻らない予定の日があった。私はこんな日を待っていた。

「かよ先生。今日はあつしくんも塾長もいないから、こっそり抜け出して遊びに行こうよ。行ってみたいお店があるんだ。かわいい物がいっぱいあるんだよ」

 塾の場所は、家から自転車で20分と今までで一番遠く、繁華街に近かった。

「もちろん、勉強はやるよ。予定のところまで急いでやるから。余った時間で行こうよ。それならいいでしょう? 」

 かよ先生は、私が思った以上にあっさりと承諾した。

 店を見て回りながら「私は今悪いことをしているのだ」と思うと、おかしな高揚感を覚えた。先生からすれば、子どもに合わせてくれているだけだろう。しかし、私としては東京をまだあまり知らないかよ先生に、東京の楽しさを教えてあげるくらいの気持ちでいた。今思うと、生意気過ぎて恥ずかしい限りだ。

 すっかり味を占めた私は、機会があれば何度でも遊びに行きたかったが、後にも先にもそんな偶然は一度きりだった。

 かよ先生には、7月から受験間際まで習った。イヤイヤ勉強をしていたが、それなりに成績は上がり、母の言う『お下げが校則の女子中』は合格安全圏内になった。

 しかし、私はまったくうれしくなかった。受験間際になっても、自分が中学受験をする意味を見いだせていなかった。

  • なぜ、友だちが誰も中学受験をしないのに、私だけしなくてはいけないの?
  • なぜ、お下げが校則の女子校でなくてはいけないの?何がそんなにいいの?
  • エスカレーター式って何? 中学に入ったらずっと遊んでいても大学に行けるの?
  • 合格安全圏内でも落ちるかもしれない。落ちたら恥ずかしいんでしょう?
  • 落ちるかもしれないって思いながら毎日を過ごすのが辛い。
  • お母さん、どうして落ちたときのことを先に言ったの?
  • 「あんたはバカなんだから私の言うことを聞いていればいいの」と、いつも言うけれど、私をバカだと思うなら受験なんかさせなければいいのに。

 

 初めて中学受験を言い渡された日からずっと同じ疑問が渦巻き、一向に納得できぬままいたずらに時が過ぎるばかり。

 私には納得のいく説明が必要だった。しかし、その思いは母には届かなかった。

 私は薄々気付いていた。母は人を説得できるほどの語彙力を持ち合わせていないということを。

 母は機関銃のようによくしゃべる。ひたすら1人でベラベラとしゃべる。しかし、その話の内容は、恐ろしく薄い。時系列に起きたことをすべて話すので長い。話が前後したり、急に飛んだりすることもある。母自身「何の話してたんだっけ?」なんてことも、しばしば。

 語彙力がないから上手く説明できない。そのジレンマから暴言を吐いたり、手をあげてしまったりするのだ。

 そんな母の様子を見ては、こういう大人にはなりたくないと思うのだった。

 だからこそ、勉強や読書が大切だということは分かる。けれども、それが中学受験へのやる気に繋がることはなかった。

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【家族の話】中学受験記②

 ミナコはつくづく優しい子で、その後も遊べない理由を一切聞いてこなかった。休み時間は遊び、しゃべりながら下校して、塾のない日は遊んだ。ミナコと過ごす時間だけが、唯一リラックスできる時間だった。

 1つ困ったのは私が塾の日のテレビの話で、当時は欽ちゃんの全盛期。『欽ドン』『欽どこ』『週間欽曜日』を観ていないと学校で話には入れなかった。当時はビデオデッキはなかったので観られないのだ。

 みんなが盛り上がる中、観ている雰囲気を醸しだすことに徹していた。今思うと、つまらないことに神経を使っていたと思う。

 新しい塾は、とても楽しかった。前の塾は私の他に男子が1人だけだったが、今度は女子3人(私含め)と男子5人だった。8人ですぐに仲良くなり、塾の前後に公園や工場の跡地のような場所で遊んだ。

 塾に入ってすぐのころ、母に塾の友だちのことを話した。

「女子の1人は同じ学校のNさんだよ。もう1人は違う学校。で、その女子はなんと男女の双子で、男子の方も同じ塾にいるんだよ。それからね……」

 私の話を聞かずに、母は考え事をしている。

「その同じ学校のNさんには気をつけなさい。その子、評判良くないから」

(出た、また私の友だちの批判)

「そうなの? いい子だよ。3人で気が合うし」

 その後も問題なく楽しい日々は続いた。イヤだった塾も遊ぶ時間があれば楽しい。学校の友だちとはまた違う楽しさがあった。おかげで自然と成績も上がっていった。

 小6になってすぐのこと。私が数回連続で塾を休んだあと塾に行くと、教室の空気がとても冷たく感じた。そして、仲が良かったはずの女子2人がヒソヒソと話している。ときおり「誰かさんがさあ、ボソボソボソ

 私は話しかけることができなくなってしまった。そして、一緒に遊んでいた男子5人は、関わらないようにしていることが窺えた。

 2か月間は何も言わずにジッと耐えた。無視されていると母に知られたくなかった。

 そんな日々のせいか、胃の痛みを感じるようになった。初めは気のせいかと思っていたが、そのうち差し込むように痛むようになり、油汗が出ることもあった。

「塾を辞めたい。受験もしたくない」

 母にそう言うと、いきなり母は核心を突いてきた。

「もしかして、Nさんにいじめられているの?」

 私は泣きながら、ただうなずいた。

「やっぱりそうなったか。あの子、評判悪いのよ」

 そういうわけで、あっという間に塾が変わって、中学受験は続行。

 ある日、父が白地に青い模様の缶に入った粉を飲んでいた。

「お父さん、それなに? 」

「おぉたいさんだよ。これのむと胃がスッキリするんだ」

(山の名前みたいなやつ、飲んでみたい)

 誰もいないのを見計らって飲んでみた。爽やかな味で本当に胃がスッキリするような気がした。私は、そのスッキリする白い粉の虜となった。ことあるごとに引出しをそっと開け、サッと流し込んだ。お菓子感覚だった。

「あれ? どうした? 薬なんか飲んで」

 数か月後、父に見つかった。

「どうもなくなるのが早いと思ったら、勝手に飲んでたな?」

「うん、まあ」

「子どもが勝手に飲むもんじゃないぞ。太田胃散ていう胃の薬だ」

「分かった。もう飲まない」

 父が気付いてくれたおかげでやめたが、薬を飲むのが癖になるなんて、つくづく最近の自分はおかしいと思った。

 受入れようと思った中学受験だったが、なかなか思うようにいかない。私は度重なるショックなできごとに、受験から逃れる方法ばかりを考えるようになっていった。

 夏から冬にかけて受験のラストスパートになると思うと気が重かった。

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございます。

次回も、中学受験記の続きです。

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【家族の話】中学受験記①

 私が中学受験をしたときの話。

 幼稚園年少で下町の団地に越してきた私は、すぐに団地内のダンス教室に興味を持ち、通うこととなった。レッスンはとても楽しく、友だちもたくさんできた。

 毎年夏休みの始めに発表会があり、舞台に立つことが楽しくて、ライトに照らされることがうれしくて仕方がなかった。

 小5の私は今まで以上に張り切っていた。それまでは同級生とだけ踊っていたが、この年は上級生の中に入れてもらえたのだ。憧れのお姉さんと踊れる喜びと、そのメンバーに選ばれた喜び。

 発表会は無事終了し、上達したとあちこちで誉められた。

「来年からは大人のグループだからがんばってね。休み明けのレッスンでビデオ上映会をやるから、今年の反省もしましょうね」

 帰り際に先生からもそう言われ、私は上機嫌だった。

 発表会の2日後は、家族旅行だった。発表会の興奮がまだ収まらない私は、温泉につかりながらずっと発表会の話を母にしていた。

「でね、来年は大人のグループに入れてもらえるから、次のお稽古のときにビデオを観ながら反省会だって」

「あんた、もう次からダンスには行かないわよ。辞めたから」

「……え? どうして?」

「あんたは、中学受験するんだよ」

「え? やだ、なにそれ? ダンスは辞めたくない!」

「先生には昨日言ったから。だから、ビデオ上映会にもいけないよ」

「やだよー!!!」

「もう月謝払わないんだから、行けないの! うるさい! 終り!」

 母が「終り」と言ったら、本当にもう終り。そう育てられてきた。だから、ただ絶望するしか私にはできなかった。

 翌週から私は、週3日塾に通い始めた。母は、私の知らない間に塾を決めていた。

 塾の先生は女性でとても優しかった。先生は「板書は早く写して、板書以外に先生の話した重要なことも書ける余裕を持つように」と繰り返し言った。黒板の文字は次々消されるので、そのスピード感が学校の授業と違ってとても楽しかった。

 夏休み中はやることが他にないので、塾を楽しいと思い始めていた。しかし、学校が始まって最初の塾の前日、問題が起きた。

「明日は塾だから、友だちと遊びの約束をしてきたらダメよ」

「えー! そうか。久しぶりなのになあ。これからずっとそうなの? イヤだなあ」

「友だちに、塾だから遊べないって言うんじゃないよ」

「え? なんで?」

「だって中学受験して、落ちたら恥ずかしいじゃない」

 それまで私は、そもそも中学受験とは何かさえ分かっていなかった。だから、落ちる可能性があることも知らなかった。逆にいうと、受かったら仲良しの友だちと学校が離れてしまうことすら気付いていなかった。

「お母さん、中学受験って何? 私の友だちは誰も中学受験しないよね? 私はなんでしないといけないの? 受かったら友だちと離ればなれで、落ちたら恥ずかしいなんてどっちもイヤだよ」

「私立のお嬢さん学校に通わせたいからだよ」

「なにそれ。どういう所? 」

「お下げ髪をする決まりのある女子中学校だよ。大学の付属校だから、エスカレーター式に大学まで行ける。高校受験だと英数国の3教科だけど、中学受験だったら2教科で済むよ」

 母の説明の後半部分はまったく理解できず、理解できたのはお下げ髪の規則だけだった。私が三つ編みをする?

「お母さん、ずっと私にお下げ髪は似合わないって言ってきたじゃん。それに、エスカレーター式って何のこと? 私は、みんなと一緒がいい」

「うるさい! もう終り!」

 私は黙った。母が「終り」と言ったら、本当にもう終り。そう育てられてきた。だから、ただ絶望するしか私にはできなかった。

 私はしたくもない中学受験とそれを友だちに話せないことの狭間で苦しむようになった。

 毎日当たり前のように遊んでいたミナコと遊べない。しかも、遊べない理由を言えない。

 ミナコに嘘もつきたくない。「ごめん、今日は遊べないんだ」私はただひたすら謝るだけだった。

 大人になってからミナコにこのときのことを聞いてみると、初めはミナコも突然どうしてという思いで悲しかったそうだ。そして、私の辛そうな表情を見て、深くは聞いてはいけないとも思ったそうだ。

 10月に入ったころ、私に異変が起きた。勉強をしながら左手を握り、指の第二関節の皮を前歯で嚙むようになった。親指以外の4本の第二関節は皮がえぐれ、赤い皮膚がむき出しになった。痛いのに嚙むのをやめられない。ついには血も滲むようになった。

 家でも学校でも塾でも、勉強中は常に嚙んでいた。

「あなたなんてことをしているの!!」

 そう大声で言い、私の左手首を握ったのは塾の先生だった。

「血だらけじゃないの! あなた、もしかして受験したくないの? 」

 初めて私の気持ちを分かってくれる人が現れた。私は涙で言葉にならず、ただ何度もうなずいた。

 先生は私が落ち着くのを待ってから、今までの経緯をすべて聞いてくれた。

「あなたは中学受験にはむいていないかもしれない。先生からお母さんに話してあげる」

 私は、これで元の生活に戻れると思った。

 しかし、現実はそんなに甘くなかった。新しい塾に移っただけの話だ。

「あの先生、なんなのかしら? 何だかヘンな本まで渡されたわ。読んでみろって! あんたにあげるから読みなさい! 」

 初め私は、先生が私を励ますための本をくれたのだと思った。ページを開き、3行読んで本を投げ捨てた。

 その本は、先生が母に宛てた本だった。中学受験を苦に自殺した子どもたちの話。

 私も死ぬの? そんなのイヤだ!

 指を嚙んでる場合じゃない!

 私はもっと強くならなければいけない! 

 誰がなんと言おうと私は中学受験させられるのだ。誰も母の方針を変えられない。誰も私を救えない。

 このままただ絶望しているだけでは何も始まらない。今の私にできることは何だろう。

 そうだ、一旦中学受験を受入れよう。中学受験がなんなのかよく分からないけれど、この状況を取りあえず受入れよう。それで様子をみるのだ。何かが変わるかもしれない。

 

最後まで読んでくださり

ありがとうございます。

次回も、中学受験記の続きです。

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