【家族の話】中学受験記⑤
交換日記の返事は書かなかった。何度も読み返したかったのだ。
1月下旬、千葉県の女子中学校を受験した。予想通りあっさり不合格。
「5倍は厳しかったか。良い練習にはなっただろうから、まあいいじゃない。次は本番だからがんばりなさい」
意外にも母は落ち着きを払っていた。
2月上旬。受験2校目は、校則お下げ髪校。
この学校は、保護者同伴の面接だった。私は、母の圧に緊張していた。
名前を呼ばれ、母と共に面接室へ入った。椅子の前に立ち、受験番号と名前を言ってから座る手筈になっている。
「86番……あっ!」
痛恨のミス。受験番号を間違えてしまった。
「大丈夫ですか? 65番ですよ」
パニックに陥り、もうどうでもよくなった。
「済みません。いくつも受けているので分からなくなりました」
母が鬼の形相で私を見ていた。その先の面接のことは覚えていない。
「おまえはバカか! 面接は大失敗だ。こりゃもうダメだわ。テストの手応えはどう?」
母は何度もテストの手応えとやらをしつこく聞いてきた。しかし、私にはテストの手応えというものがどういうものなのか、よく分からなかった。だって、自分ではそれなりに解答欄を埋めたけれど、絶対合っているとは言い切れないのだ。へんに母を期待させるようなことは、怖くて言えなかった。そもそも私には自信がないのだ。だから、私はひたすら黙っていた。
「なんで何にも言わないんだよ! 手応えも分からないのか!何を考えているのか、分からない。あんたの腹を開けて見てみたいよ」
学校の門を出てから駅に向かう道すがら、母は何度も同じことを怒鳴り散らした。
翌日は3校目の受験日だった。この学校と校則お下げ髪校は近いので、私の試験中に母が合格発表を見に行っていた。
試験と面接が終り学校の門を出ると、ガードレールにもたれて母が待っていた。母の持ち物が小さなバッグだけであることと、母の浮かない表情から、不合格であることを悟った。
母は私に気付くと、見る見るうちに鬼の形相になった。
「手応えはどうだった?」
母はまた聞いてきた。
「一応全部埋めたけど……」
「なんで、出来たか出来なかったが答えられないんだよ! どうせ、出来てないんでしょ!
どうせ、落ちてるんだよ。全部落ちるんだよ。この金食い虫が!」
鬼の形相で、目に涙を浮かべた母は、私を置いてスタスタと歩いて行ってしまった。
このままどこかに消えてしまいたかった。家に帰りたくなかった。でも、そんなことしたら、それはそれでまた怒鳴られるのだ。
養われているのだから仕方ない
養われているのだから仕方ない
養われているのだから仕方ない……
3校目もしっかり不合格だった。母は、もう何も言わなかった。と言うか、1か月以上に及ぶ無視が始まった。
母の無視はよくあることで慣れているので、嫌みを言われたり、ぶたれたり、家を出されるよりはましだった。私は母がどんなに無視しようとも「おはよう、おやすみ、いただきます、ごちそうさま、行ってきます、ただいま、ありがとう」だけは言うようにしていた。
そして、そのころから、毎晩寝る前にお祈りタイムを設けることにした。
神棚や仏壇のない家ではあったが、お土産の鎌倉の大仏の置物があった。
私は毎晩大仏に手を合わせ、心の中で話しかけた。
「大仏様、今日も良い一日でした。私の努力不足で受験に失敗したけど、私に必要な良い経験だと思っています。だから私は大丈夫です。ありがとうございます」
精神集中したいので、なるべくリビングに誰もいない時間を見計らって祈っていたのだが、ある晩母に見つかってしまった。
「あんたみたいな人間が、神さまに何を願っても聞いてくれないよ!」
私だって受験に失敗して悔しかったんだ。悲しかったんだ。5年生の夏からずっと苦しかったんだ。その気持ちをなんとか抑えようと思って、こうして心のバランスを取ろうとしているんだ。それなのに、なんでお母さんはそんなことしか言えないの? お母さんは、なんて悲しい人間なの。私は、絶対にお母さんのような大人にはならない。
養われているのだから仕方ない
養われているのだから仕方ない
養われているのだから仕方ない
大人になるまでの辛抱だ。そして、一刻も早くこの家を出るんだ。