【家族の話】中学受験後日談①
3月の上旬、箱根へ一泊の家族旅行をした。私の中学受験と3つ年上の兄の高校受験とで夏も年末年始も旅行はおあずけだった。
表向きは兄の第一志望合格祝いだが、実際は母をなだめるために計画されたお疲れさま旅行だった。母の無視は続いていて気まずかったが、家にいるよりは気分転換になる。
箱根湯本に着くと宿に直行。この旅では積極的に観光することはなかった。箱根は何度も訪れているので、たまには宿でのんびりする旅もありではある。チェックイン後、父と兄と私の3人で近所の散策に出かけた。
宿の近くに滝のある庭園があった。滝の近くは特別な空気が流れ、とても心地よかった。私が庭園のあちこちを1人で散策して滝に戻ってくると、父が滝の前で手を合わせていた。
「あのとき、お父さんがずっと滝に向かって手を合わせていたのを覚えているか?」
20年近く経ったある日、兄が突然思い出したように言った。
「受験に苦しんでいるおまえを見て、オレもお父さんも何度もお母さんを止めたんだ。でも、止められなかった。お父さん、何度もお母さんがおかしくなったって言ってた。それで、手を合わせていたと思うんだ」
父と兄が私を心配してくれていたと知り、うれしかった。欲を言えばもっと早くその話を聞きたかったけれど。
同じ時期、私を中学受験させようと思ったきっかけを、母がポロッと口にしたことがあった。
「あんた4年生のときにSさんにいじめられたじゃない。それで、公立より私立の中学校の方が良いと思ったのよ」
思いもよらない母の言葉に、何のことを言っているのかすぐには理解できなかった。
よくよく思い出してみると、確かにそんなことがあった。
小4のころの私は、Yちゃんといつも一緒だった。私たちは大人数で遊ぶタイプではなく、多くとも3人程度でこじんまり遊んでいた。
ある日学校に行くと、教室の空気感がいつもと少し違かった。
「○○さんが、Sさんたちに無視されているみたいだよ」とYちゃんが教えてくれた。
クラス内で無視という状況を初めて目の当たりにした私は、ただ驚くばかりだった。
そして数日後、もっと驚くことがあった。○○さんの無視状態は解け、今度は△△さんが無視されるようになった。その後も誰かしらが無視の標的となり、けしかけているのはSさんだと分かってきた。
「そのうち、私たちも標的になるかもしれないね」
賢いYちゃんの予言通り、ある日私が無視の標的となった。だが、私はそれほど辛くなかった。団体行動のときに「あれ?」と思うことはあっても、Yちゃんとは今まで通りの仲だったからだ。1,2週間の辛抱だ、くらいにしか思っていなかった。
ところが、数日で事態が急変した。
「あんたSさんにいじめられているらしいけど、先生とSさんとYちゃんのお母さんと私で話し合ってきたから。もう大丈夫だから」
賢いYちゃんが、私を助けるため、そして負の連鎖を断ち切るために動いてくれたのだった。Yちゃんのお母さんと私の母の連携も素晴らしかった。Sさんは反省し、クラス内の無視はなくなった。
このことが中学受験のきっかけだとは……
初めて知る母の思いに、ありがたいような複雑な気持ちになった。私的には塾で味わった、誰も味方のいない無視の方が断然キツかったからだ。
母からしたら塾でのことは、更に受験をさせる決心を固める出来事だったのだろうか。
思いやったつもりが、結果は傷つけていたとしたら、それはとても残念でならない。
そうならないためにも、話し合うことが必要だ。
自分の考えを伝え、相手の考えを聞く。初めは反発し合っていても、何度も話し合い、擦り合わせていけば、互いに納得のいく状態になるはずだ。
私たち家族には、互いに言葉を紡ぎ合う力と勇気が必要だったのだと思う。