【家族の話】中学受験記③

 夏を制するものは受験を制す。

 ということで、深夜0時過ぎまで机に向かうことになった。ついウトウトすると「顔を洗ってこい!」と母の怒号が飛んだ。顔を洗ったところで眠気は消えない。苦手な問題になればなるほど眠気が襲ってくる。解き方を質問したところで、母は答えられない。

 中学受験は決定事項で取りやめにはならない。だからやるしかない。そう頭で分かっていてもどうしてもやる気にならなかった。

 

 新しい塾は古いマンションの一室だった。中はリフォームしていくつかの教室に仕切られており、玄関入ってすぐの広間に塾長席があった。

 塾長は熊のように大きな男性で、手の甲まで毛むくじゃら。趣味はピアノ演奏。作曲もするそうで、見た目とのギャップが激しかった。塾長自身は先生というより経営者で、いくつかの塾を取りまとめていた。

 私についた先生は、春から大学生になったばかりの秋田出身の女性で、かよ先生といった。かよ先生は色白のおっとりとした人で、失礼ながら私は『この人はチョロそうだ』と直感した。

 かよ先生の授業を受ける生徒は私以外にもう1人いた。あつしくんという同じ年のシュッとした感じの男子だったが、声を聞いた記憶がない。

 ある日、あつしくんは塾を休み、塾長は外出して戻らない予定の日があった。私はこんな日を待っていた。

「かよ先生。今日はあつしくんも塾長もいないから、こっそり抜け出して遊びに行こうよ。行ってみたいお店があるんだ。かわいい物がいっぱいあるんだよ」

 塾の場所は、家から自転車で20分と今までで一番遠く、繁華街に近かった。

「もちろん、勉強はやるよ。予定のところまで急いでやるから。余った時間で行こうよ。それならいいでしょう? 」

 かよ先生は、私が思った以上にあっさりと承諾した。

 店を見て回りながら「私は今悪いことをしているのだ」と思うと、おかしな高揚感を覚えた。先生からすれば、子どもに合わせてくれているだけだろう。しかし、私としては東京をまだあまり知らないかよ先生に、東京の楽しさを教えてあげるくらいの気持ちでいた。今思うと、生意気過ぎて恥ずかしい限りだ。

 すっかり味を占めた私は、機会があれば何度でも遊びに行きたかったが、後にも先にもそんな偶然は一度きりだった。

 かよ先生には、7月から受験間際まで習った。イヤイヤ勉強をしていたが、それなりに成績は上がり、母の言う『お下げが校則の女子中』は合格安全圏内になった。

 しかし、私はまったくうれしくなかった。受験間際になっても、自分が中学受験をする意味を見いだせていなかった。

  • なぜ、友だちが誰も中学受験をしないのに、私だけしなくてはいけないの?
  • なぜ、お下げが校則の女子校でなくてはいけないの?何がそんなにいいの?
  • エスカレーター式って何? 中学に入ったらずっと遊んでいても大学に行けるの?
  • 合格安全圏内でも落ちるかもしれない。落ちたら恥ずかしいんでしょう?
  • 落ちるかもしれないって思いながら毎日を過ごすのが辛い。
  • お母さん、どうして落ちたときのことを先に言ったの?
  • 「あんたはバカなんだから私の言うことを聞いていればいいの」と、いつも言うけれど、私をバカだと思うなら受験なんかさせなければいいのに。

 

 初めて中学受験を言い渡された日からずっと同じ疑問が渦巻き、一向に納得できぬままいたずらに時が過ぎるばかり。

 私には納得のいく説明が必要だった。しかし、その思いは母には届かなかった。

 私は薄々気付いていた。母は人を説得できるほどの語彙力を持ち合わせていないということを。

 母は機関銃のようによくしゃべる。ひたすら1人でベラベラとしゃべる。しかし、その話の内容は、恐ろしく薄い。時系列に起きたことをすべて話すので長い。話が前後したり、急に飛んだりすることもある。母自身「何の話してたんだっけ?」なんてことも、しばしば。

 語彙力がないから上手く説明できない。そのジレンマから暴言を吐いたり、手をあげてしまったりするのだ。

 そんな母の様子を見ては、こういう大人にはなりたくないと思うのだった。

 だからこそ、勉強や読書が大切だということは分かる。けれども、それが中学受験へのやる気に繋がることはなかった。

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