初の中間試験

 中間試験1週間前、部活動は休みに入った。学校からまっすぐに帰れば4時には帰宅できるはずだが、ミツキは5時過ぎても帰宅せず。帰宅後は、何をするでもなくダラダラする。食後に入浴して出るのは10時。その後やっと問題集を開き、1時間ほどで飽きて終了、就寝。

 試験5日前、ミツキの机の上に試験範囲表があるのを見つけた。その表を見て2つ衝撃を受けた。

 私が中学生のころも、試験範囲表は配布されていた。その表には、あくまでも各教科の試験範囲だけが書かれていたと記憶している。
 しかし、ミツキの学校のものは試験範囲だけでなく、課題という欄があった。課題の提出期限は試験当日とある。その課題の量の多さにまず衝撃を受けたのだ。

 私の経験では、試験前といえば教科書や板書を写したノートなどを参考に、改めて自分なりに要点をまとめてから暗記をした。あるいは、教科書の要点部分を赤いペンで塗り、緑色のシートで赤い部分を隠して暗記をした。
 しかし、今の中学生には、教科ごとに要点をまとめた参考書兼問題集が予め配布されている。参考書を見ると、要点はすでに赤字で記載されていて、目隠し用のシートも付いていた。私は、この至れり尽くせり的な感じにも衝撃を受けた。

 こんな便利な物を配布するなんて甘い。自分でまとめた方が、深く理解できるのではないか。いや、手間が省けた分、応用問題をやる時間ができるので良いことだ。いろいろ考えを巡らせたが、それは学習意志がある人間の考え型であり、ミツキにとってはなんの意味もなさないのだ。

 実際問題、ミツキは試験5日前だというのに、まったく課題に手を付けていなかった。学校側としても、課題を出さないと学習しない生徒のために、このような大量の課題を出しているのだろう。そして、課題を期限内に提出することが、成績表をつける上での大前提となるのだろう。

 何としても課題だけは、期限内に提出させなければ。

 だが、あまりの量に到底まともにやっていては提出などできない。結局、社会・理科・国語の問題集は、すべて答えを丸写しした。ありえない、考えられない、信じられない発想であるが、それしか方法がないことが情けなかった。そして、たかが丸写しするだけにも拘らず、3日も要した。

 英語と数学は、結局私が毎度おなじみの付きっきりで教える破目になった。数学は、途中式も書くので答えを丸写しという訳にはいかないのだ。英語は、心配なので見ざるを得なかった。

 数学は、初めのうちはサクサク解いていたが、複雑な文字式になった途端に解けなくなった。ヒントを出しながらであれば解けたが、ひとりで解くには不安が残る。だが、繰り返し問題を解いている時間などもはやなかった。

 英語には驚いた。4つも信じがたいことがあった。

①文の書出しの単語のスペルを大文字にするのを忘れる

②文末にピリオドを付けるのを忘れる

③文末にクエスチョンマークを付けるのを忘れる

④英文を作るのに「主語」「動詞」がどれかが分からな
 い。日本文の「主語」「述語」も理解していない。

 

この状況をどのように打破したらいいのか分からないまま試験当日となった。結果は次の通り。

    国語  数学  英語  理科  社会

     26   26   43   47   44

 英語は、まだ文章を書かせる問題は出なかったので、救われた。社会・理科は小学生のころ暗記した内容と重なっていた。だが、その分平均点は高かった。国語は音読もしていないのに点数など取れる訳がない。数学は、試験問題自体に驚いた。難しい上に問題量も多かった。学校で配布された問題集のレベルよりも高かった。

 詳しい順位の発表はないが、約160名中130番辺りのようだった。結果を踏まえてミツキと今回の反省と今後の取り決めをした。

①国語と英語の音読を毎日すること

②数学の問題集をノートに繰り返しやること

③英語教科書の文を全文暗記すること

④英語の問題集をノートに繰り返しやること

⑤国語の問題集を単元ごとにやっておくこと

⑥社会・理科は、2週間前から暗記すること

⑦課題に真面目に取り組むこと

 1か月後の三者面談で、成績について先生にいろいろ言われるだろうと覚悟した。ところが、実際には別の大問題を抱えているとは、このときの私は知る由もなかった。

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パパの英語教室

 6月下旬に初めての中間試験が控えていた。中学入学以来、勉強しているミツキの姿を見たことがなく、中旬辺りから私は毎日苛立っていた。

 とりわけ、小学生から続けている通信教材に全く手を付けていないことを、私は残念に思った。通信教材を子どもが溜めてしまって困るというのはよくある話だが、小学時代のミツキは6年間ずっと期限内にやっていた。そんなミツキを私は高く評価していた。
 中学生以降は自主的に学習できるようにと、学習方法や時間管理方法を指導してきた。取りかかりに時間がかかっても、始めてしまえばそれなりに自分自身で学習を進められるようになったと思っていた。それなのに、中学生になった途端、まったく勉強しなくなってしまったのだ。

 せめて、英語と国語の教科書の音読くらいはして欲しかったが、何度声を掛けてもミツキは聞く耳を持たなかった。

 もう中学生なのだから付きっきりで学習をさせるのはよくない。自立させなければと、自分に言い聞かせた。

 私がミツキの自立を願って口出しするのを我慢している中、突如夫が張り切りだした。

 数字やひらがなが覚えられない。手を使って計算する。学習障害かもしれない。幼児期から小学校低学年まで、私はミツキの学習についてたくさん悩んできた。夫にも相談してきた。

「まだまだこれからだよ。きっと大丈夫だよ」

 どんなに深刻に具体的に相談しようとも、夫の答はいつも同じだった。そのうち、どうせ同じ答えが返ってくると思うと、私は夫に相談しなくなった。

 それなのに、中学生になった途端に「勉強勉強」と騒ぎ出した。特に英語にロックオン。

「ミツキ、毎日10分でいいからお父さんと英語をやろう」

「あ?やらなくていいよ」

 そりゃそうだ。勘違いしまくりの思春期中学生が、いきなりしゃしゃり出てきた父親の話をまともに聞くわけない。それじゃなくたってミツキをその気にさせるのは大変なのだ。熟練の私でさえ、押したり引いたり微調整に苦労しているのだから。

 夫は顔を会わせるたびにミツキに声を掛けたが、進展しなかった。私は、初めのうちは放っておいたが、後押しすることにした。

「ミツキ、パパは英語得意だし、一緒にやってみたら? 1日10分でいいから。パパも仕事が忙しいから毎日って訳にはいかないだろうし」

 こうして夫とミツキの英語教室が始まったのだが、その学習内容を聞いていると不安になってきた。中間試験が迫っているのだから、試験勉強に向けて直接的な内容を期待していた。ところが、夫の英語教室は、本気で外国人になりたい人のスタンスの内容だった。決して間違ってはいない。長い目でみたら大正解の内容だ。だが、相手はミツキだ。飽きさせたら終わりだ。中間試験だって迫っている。

 夫は、ことさら発音にこだわった。特に「THE」の発音が気になるようで、ひたすら「ダ」「ダ」「ダ」と発声させた。当然、あっという間にミツキは飽きた。

 ある晩事件が起きた。

「おう、ミツキ。英語やるぞ」

「うん」

 テレビ画面に顔を向けたまま、嫌々答えるミツキ。

「今日は10分長くやるから、あと10分ビデオを観せてよ」

「いいだろう」

 

 私がお風呂をあがり、リビングに戻ると、2人が激しい言い争いをしていた。言い争いの内容から、ミツキが10分経ってもビデオを観続けていたようだと分かった。夫は殴りかからんばかりの勢いだ。ミツキも目が釣り上がり、今まで私が見たことのない表情だった。

『やっぱりこうなるよね。こうなったら終わりじゃん。ミツキの時間を守らない癖は、今始まったことじゃない。ミツキだけじゃない。子ども全般そんなものだ。たった1回でそんなに怒っていたら、身が持たないよ。パパ、ミツキは自分の理想通りにはいかないのよ』

 私は心の中でそうつぶやきながら、2人の激突を眺めていた。2人がどんどんヒートアップしていくので、仕方なく間に入った。

「ミツキ、約束は守らないといけないよ。試験が直前に迫っているという自覚もなさすぎだよ。今日は自分で試験勉強しな」

 夫とミツキを強引に引離した。ミツキはそのまま部屋に入り、しばらく無駄にガタガタと音を立てていたが、そのうち静まった。

「はあ? なんだよアイツ。俺、ママの気持ちがやっと分かったよ。今までよくやってくれていたね」

「ミツキは、やりたくないことからはとことん逃げる子だからね。英語を教えるのなら、興味を持つやり方を考えないとね。パパの思い通りにしようと思ったら、パパ自身がしんどくなるだけよ」

 ミツキの部屋の電気が消えた。しばらくして、そっと部屋に入った。ミツキはすでに熟睡していた。タオルケットを掛け直してやろうと手を伸ばした先に、不自然な物があった。

「うわ、ハンマー持ってる。反抗期っぽいことするな」

 私は小声でつぶやき、そのまま部屋を出た。私がリビングでテレビを観ていると、風呂上がりの夫が慌てて私のところにやってきた。

「ママ、大変だ。ミツキがハンマー抱えて寝てる。アイツ、めちゃくちゃ俺に反抗してたから俺を殺そうとしてるんだ」

「んー。ミツキはそんな大それたことする子じゃないよ。持っていたいんだから、持たせておこうよ」

 

 翌朝、ミツキに聞いてみた。

「パパがあまりにも怒っていたから、殺されると思って用心のために持って寝たんだよ」

 バカ親子め!

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勘違い中学生

 中学生になったミツキは、大きな勘違いをしていた。夜遅くまで起きていてよい。夜遅くまで外で遊んでよい。夕飯を友だち同士で食べに行ける。スマホを持てる。これらが、ミツキの考える中学生像だった。

 小学生までは9時には寝る準備を始めて、9時半から10時には就寝していた。しかし、中学生になった途端に、12時就寝。

 そもそも、帰りが遅い。野球部に入部し、下校時間は6時半のはずだが、一向に帰宅しない。頻繁に8時を過ぎた。何度注意をしても、友だちや先輩としゃべる貴重な時間なのだと言い張った。帰宅が遅いのはよくないが、私としては、帰宅後の時間の使い方が有効であれば、特に問題ないと思っていた。しかし、ミツキの場合はそううまくはいかない。

 帰宅後入浴となるが、これが長い。1時間は出てこない。シャワーをジャージャー使うので、我が家の水道代は一気に3千円も上がってしまった。

 入浴後食事をする。食事もゆっくり1時間かかり、その後勉強するかと思いきや、パソコンでyoutubeを見始める。「宿題は?」と声を掛けると、「宿題なんてない」と言う。「復習した方がいいよ」と声を掛けると「復習するほど進んでない」とか「学校行事の練習で授業がつぶれている」と言った。こうして、毎日机に向かうことなく12時就寝。

 5月の終わりに中学校初めての運動会が行われた。全体的に覇気のない運動会だった。

「今日運動会の打ち上げがあるから行ってもいいか? クラスのほとんどみんながくるんだよ」

 帰宅するなり、まくし立てるようにミツキが言った。私は「ついにきたか」と思った。最近の中学生は、なんだかんだと理由をつけては外食しては遅く帰ってくると聞いていた。

 そもそも彼らは打ち上げの意味を知っているのだろうか。自分たちで1から企画をして作り上げた催しが、無事に終了したときにするものではないか。ひとつの事をみんなで成し遂げ、仲間の結束が固くなったところで、互いを労い、それまでの緊張を解くためのものなのではないか。高校の文化祭などはそれに値する。

 だが、中学の運動会は先生が考えた種目をただやらされているだけではないか。実際目にしたその運動会は、仲間を応援するでもなく、覇気のないつまらない運動会だった。小学校の運動会の方が、盛り上がっていた。

 そもそもなぜ中学生が夜外食する必要があるのだろうか。私が夜外食したのは、高校を卒業する直前だった。親に止められるまでもなく、しようという発想もなかった。周りの友だちも夜外食するのを見たことがなかった。ファミレスのような外食産業が、今のように発展していなかったからだろうか。

 苦言を呈したところで、聞く耳を持たないだろう。それどころか、またいつもの「ママの考えは古いんだよ」が発動するに違いない。はいはい、私は古いですよ。
 でも、1クラス40人もいたら、私と同じ考えで子どもを参加させない親は、少なくとも3割から4割はいるはずだ。それ以外の人だって、喜んで子どもを送り出す親はほんの数名のはずだ。ほとんどの親が行かせたくないと思いつつも、みんなが行くなら仕方ないとか、子どもに押し切られて渋々許しているのだと思う。
 それにいつも思うのだけれど、その「みんな」ってクラス全員のことか? 自分の仲の良い「みんな」なのか? 実際のところ人数は何人なんだ?

 「そんなに行きたければ自腹で行け」なんて言おうものなら、またお得意の「みんなのうちは裕福なんだよ」の発動だ。
 確かに我が家は、みんなの家ほど裕福ではない。だが、それが原因でお金を出したくないのではない。ミツキの常日頃の行動にイラつきが止まらない私は、素直に気持ちよくお金を出す気になれないのだ。
 がんばっている姿を見せてくれていたら、まあたまにはいいだろうという気にもなるのだ。それを毎日水をジャージャー使う人間に、なぜ、行かせたくもない夜外食のお金を出す必要があるのか。

 そう言ってやりたいところだが、30分後に集合だと言ってジタバタ騒々しい。今言っても反抗しまくるだろう。いづれ折りをみて言おうと、ひとまず呑み込んだ。

 ただし、条件を付けた。門限は9時。

 ところが、10時半を過ぎても帰ってこなかった。帰りを心配して、一緒に打ち上げに参加していた野島くんのお母さんに連絡すると、同じく心配していた。2人ともスマホは持っていないので連絡手段がなく、ただ待つしかなかった。

 11時過ぎに帰宅したミツキの態度は、最悪だった。「遅くなって何が悪い。もう中学生なのだから遅く帰ってもいいんだ」と完全に勘違いをした態度に辟易した。中学生のこういう勘違いした行動が「中2病」と言われる所以だろう。

 後日、野島くんは「遅くなってごめんなさい」とお母さんに土下座をして謝ったと聞き、ミツキとの違いにショックを受けた。

 今後どうなっていくのだろうか。ミツキの動向を見定めなくてはいけない。

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学習について

 ミツキの5,6年担任の松本先生は、小学生時代の学習の大切さを話すことが多かった。
 小学校の教諭になる前は、定時制高校の講師をしていたらしい。定時制高校で授業をする中で、基礎学力が定着していないことが、高校での学習の妨げになっていると感じたのだそうだ。基礎学力を定着させるには、ただ詰め込むだけの暗記は意味がない。それだけに、松本先生の授業はスライドを使ったり、ディスカッションの時間を多くとったり、とても分かり易く丁寧な授業だった。

 ミツキの通知表は、1年生のころからずっと、全項目が3段階評価の真ん中「良」ばかりだった。1年生で初めて通知表を見たときは「優」がひとつもないことにがっかりした。しかし、通知表の端の方に「学習の記録は、学年の目標に達していれば『良』に○をつけます」と書かれているのを見て安心した。

 私が子どものころの通知表は相対評価だったので、一目でクラスでの自分の学力がどの程度なのかをまざまざと見せつけられるような気がした。だが今は、絶対評価である。学年の基準に達していれば「良」なのだから、これでいいのだと納得した。

 ミツキが1,2年生のころは、宿題や通信教材をするにも大変な苦労を要した。学習障害を心配する時期もあった。しかし、3年生以降は気にするほどではなくなった。通信教材で応用問題が出ると、何度解説しても理解できなかったが、学校で受ける基礎的なテストであれば点数は良かった。だから、通知表の端に書かれた文言通り、納得の「良」だった。

「優」を取るには、授業態度や提出物など学校生活全般で高評価を得る必要がある。積極的に授業に参加しているか。提出物を期限までに提出しているか。提出物の内容も然り。小テストの積み重ねも然り。

 ちなみに、リオの成績表は「優」がたくさんある。確かに、リオの学習に私が付きっきりになることはないし、不安を感じることもない。だが、発展問題となると、リオもミツキ同様出来は良くない。業者のカラーテストだけを見たら、ミツキの方が良い点数が多かった。それでも「優」が多いのは、リオのやる気のなせる業だと思う。リオの担任の先生は「リオさんを見ていると思わず応援したくなります」と言った。リオは、常に何事にも前向きに楽しんでチャレンジする子だ。手先も器用で提出物も凝っている。

 通知表とはテストの点数だけではなく、その人となりの総評価ということになる。

 ミツキは、業者のカラーテストさえ良い点を取れていればいいと考えているようで、それ以外は評価に値する行動をしなかった。
 そんなミツキも、5,6年生の成績は上昇傾向にあった。低学年のころから得意な理科と社会に加え、松本先生の丁寧な授業のおかげで参加する意欲が出た他の教科も、通知表には「優」が付くようになった。

 6年間、付きっきりで家庭学習を進めてきた。漢検にもチャレンジしてきた。毎年2月の初めの試験を受けるために、半年前から準備を始めた。
 ミツキの覚え方は、1つの漢字をただノートに何度も書きなぐるだけだった。ノートに書いている間、ミツキの脳は停止していて、勝手に手が動いているだけの状態だ。結果、全く頭に入っていなかった。意味のない作業になってしまうので、次のような学習方法を教えた。

①見開き1ページをテストする

②丸付けをして、間違えた漢字の横に日付を書いておく

③間違えた漢字のみピックアップして、5つずつ声に出し
 ながら暗記→テスト。これを繰り返す。

④もう一度見開き1ページをテストする

⑤①~④を繰り返し完璧にする

⑥数日経ってから、日付の書かれた漢字のみ再テスト

 これを繰り返しやると、サクサク覚えられ、合格した。ただし、すぐに勉強方法を忘れてしまうようで、放っておくと漢字の書きなぐりを平然と繰り返した。
 何度も教え直す必要があり、毎度、まるで初めて聞いたかのように振舞うミツキが不思議でならなかった。

 中学生になったら、自分自身で計画的に学習してほしかった。そのために、小学生のうちに学習習慣と学習方法をしっかりと身に着けさせることを1番の目標に掲げてきた。しかし、一向に身に着かない。何度勉強方法を教えても、元の木阿弥だった。

 

 言い始めると悩みは尽きないが、低学年のころに比べれば格段に楽になったことも確かだ。あれほど悩んだミツキの発達障害のことは、私の記憶の片隅へと追いやられていった。むしろ、個性的で唯一無二のおもしろい魅力的な少年として捉える様になっていった。

 ミツキは、気の合う仲間やたくさんの理解ある人々に囲まれて楽しい小学生生活を送ることができた。不安はまだまだあるが、周りの人への感謝の気持ちを忘れず、これまでの経験をしっかりと生かして欲しい。

 私のできることはすべてやってきた。中学生になったら思春期という新たな壁が立ちはだかるだろう。親の言葉を素直に聞けなくなるだろう。

 これからは、ミツキ自身が能動的に活動することが大切なのだ。

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おごり・おごられ問題

 小遣い帳をしっかりとつけることを条件に、毎月定額の小遣いを小学3年生からミツキに渡し始めた。小遣い帳の約束ごともいくつか作った。

①入出金後すぐに小遣い帳をつけること

②月に1度精査すること

③毎月正しくつけられたら、翌年は金額UP

 ミツキは一向に小遣い帳の付け方を覚えなかった。それどころか、使った金額や使途もはっきりしなかった。何度注意しても、何度教えても、書けなかった。次第に、こんないい加減な人間に小遣いをあげる必要があるのだろうかと思い始めた。

 ある月、小遣いをあげなかった。ミツキは、気づかない。翌月も翌々月も、ずっとミツキは何も言ってこなかった。なぜなら、毎月の少額の小遣いを貰わなくても、定期的に現金を手に入れることができたからだ。
 お年玉・誕生日・お盆の帰省・クリスマス、その他諸々。両家の祖父母や親せきからの小遣いを私が阻止することはできなかった。
 ミツキは、毎月の小遣いをもらう喜びよりも、もらわないことで、お小遣い帳をつける煩わしさを回避する気楽さを選んだのだった。

 ミツキは、お金が入ると何の計画もなく使った。主な使途は、買い食いだった。学校では、お金を持って遊びに出掛けていくことを禁止していたが、6年生の夏過ぎから頻繁にお金を持って出かけるようになった。

「放課後遊びに行くのに、お金なんて必要ないんじゃないの?」

 私が苦言を呈するたびに、ミツキはこう言い返してきた。

「ママの考えは、古いんだよ。今どきの親は誰一人、ママみたいな考えの親はいないよ。特にさ、この地域の家庭はうちよりみんな裕福なんだよ。みんなは、お腹がすいたら買って食べろって、お金を持たされているんだ」

 そう文句を言いながらも、ミツキは一応私の言うことを聞き(ただ単にお金がなかったのかもしれないが)、できるだけ手ぶらで出かけた。私は手ぶらで出かかるミツキを、ルールを守る子だなと感心した。だが、ルールを守ることが、必ずしも正しいとは限らないと、後になって思い知らされた。

 12月の終わり、担任の松本先生から電話があった。ミツキが、ある友だちから何度もおごってもらっていて、金額が5千円にまでなっているとのことだった。その保護者から相談を受けたのだそうだ。

 夕方帰宅したミツキにすぐに聞いた。すると、ミツキも金額の大きさに驚いていて、確かにおごってもらったが、3回だけで数百円程度だと言った。

 金額を聞いて少しはホッとしたが、事の本質は回数や金額の問題ではない。そもそも友だちにおごってもらうことが良くないのだ。

 松本先生とその保護者にすぐに連絡をし謝罪した。
 後日、松本先生により保護者と子どもたちが集められ、子どもたちのお金の使い方についての話し合いの場が持たれた。この話し合いで2つのことがわかった。

 ひとつは、ミツキがおごってもらった金額は、ミツキの証言通りだったということ。5千円というのは、その友だちがミツキだけでなく数人におごっていた金額の総額だった。おごってもらったことへの謝罪をし、返金した。

 もうひとつは、これもミツキの言う通り、多くの親がお腹がすいたとき用のお金を子どもに持たせているということだった。おごられる環境を作ったのは、ミツキに買い食いをさせるお金を持たせなかった私だったということになる。

 食べ盛りだ。みんなが何かしら食べたり飲んだりしている中で、我慢するのは辛かったと思う。友だちの方も食べづらかったかもしれない。カップラーメンをすする友だちのそばにいると、一口食べさせてくれたり、時には飲み物をおごってくれたりした。こうしておごり・おごられ問題が起きたのだ。

 ことの顛末を理解し、私は少し考えを柔軟にすべきだったと反省した。

 しかし、どうにも納得はできなかった。私は自分の経験でしかものが計れない。小学生のころの私は、お金を持って遊びに行かなかった。お金を持って行くのは、文房具や本を買うといった明確な理由があるときのみだった。周りの友だちも持っていなかった。買い食いすることは皆無だった。お腹がすいたら家に帰ればいいだけのこと。そもそもお腹がすくまで遊んでいるのがおかしい。こんなにも時代は変わってしまったのか?いやそんなはずはない。学校の指導は、私の考えと同じなのだから。では、私と周囲との金銭感覚の違いということになるのだろうか。

 ところで、ミツキは、おごられっぱなしで、何も感じるものはなかったのだろうか。自分もおごり返そうと思わなかったのか。そこを感じないのは、よくない。おごる、おごられることは、大人でも難しい問題だ。それを自分で稼いでもいない小学生がしているのも、おかしい。これも、私だけの金銭感覚なのか。

 ミツキには悪いけれど、小学生の間はお金を持たせる気にならなかった。だから、遊びに出る前におにぎりなどの重めのおやつを食べさせた。

 話し合いの場が持たれたことにより子どもたちも理解し、このおごり・おごられ問題はひとまずは落ち着いた。だが、金銭感覚の差については、これから先も考えることが多そうだ。

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金銭感覚

 高校生だった私が、母に「うちは貧乏だ」と言ったことを、あれから数十年たった今でも母は根に持っている。親に言うべき言葉でなかったと反省はしているが、言ってしまった動機くらいは聞いてほしかった。

 私の家は、ごく一般的な中流家庭だった。小・中学生までは地元の公立校に通っていた。巨大な団地に住んでいて、学校の友だちもほとんどが団地住まいだったので、金銭感覚の差を感じたことがなかった。むしろ旅行好きな両親のおかげで、家族で旅行をする機会も多く、中流家庭の中でも上の方だと思っていた。

 しかしそれと同時に、中学時代の私の心の奥底には「私のような人間は、贅沢をしてはいけない」というトラウマも抱えていた。

 小学5年生の夏、私は母に突然中学受験を宣言された。当時は周りに受験をする子はあまりいなかった。しかも下町の団地に住んでいる子どもは、私立中学の存在さえ知らないほどだった。必死に抵抗したが、結局仕方なく受験した。そして落ちた。
 結果発表の日、母は鬼の形相で私を睨んで「この金食い虫」と言った。受験まで1年半分の塾の費用など、受験費用は多額だったに違いない。私は、もっと激しく抵抗するか、もっと前向きに勉強するか、はっきりさせなかった自分を責めた。
 それ以来私は、必要な物でも(下着でさえも)親に買って欲しいと言い出せなくなった。欲しいものは、お小遣いでやり繰りするようになった。

 高校は私立高校に入学した。どういうわけか私の母は私立派で、公立を受験するという考えは持っていなかった。
 私立高校に入学した私は、すぐに周りとの金銭感覚の差を肌で感じた。学校には、団地に住んでいる人も、お小遣いが月5千円の人も見当たらなかった。喫茶店で次々と注文する友人を見て驚いた。私には、甘いものが苦手なコーヒー好きキャラを定着させる必要があった。

 休日の部活動には、誰もがクレージュかレノマのボストンバッグを持って現れた。名もないバッグを持っているのは私だけだった。

 高校2年生の夏、私はソニーウォークマンがどうしても欲しかった。しかし、2万円以上する品を買ったら、いざというときに使うお金がなくなってしまう。しばらく悩んだが、諦めきれない私は母に相談した。

「お母さんのクレジットカードで買って、3回で返済したらいいよ。3回払いなら利子がつかないから」

 母の提案に目からうろこが落ちた。私の知らない分割払いの世界。早速母と店に行き、憧れのピンクボディのソニーウォークマンを手に入れた。初めて手にした高価な物だった。
 当時このウォークマンは大人気で、同じ部活のミキとアユミもまったく同じものを持っていた。というか、2人が持っているのを見て、私も欲しくなったのだ。

 3か月が過ぎ、ついに支払いが終わり、晴れてウォークマンが私の物になったある日のこと。部活終了後、ミキとアユミと一緒に女子更衣室へ向かった。着替えをしようと、3人横並びに置かれた通学バッグを開けた。ちょうどそのときミキとアユミもバッグを開けていて、その直後3人の声が揃った。

ウォークマンがない!」

 部活中、貴重品として財布は預けていたが、ウォークマンが貴重品の部類とは思っていなかった。誰でも入れてしまう更衣室。犯人の見当さえつかなかった。

 このとき私は、盗まれたショックだけでなく、ミキとアユミの会話にもショックを受けた。

「新作のウォークマンが出るからちょうどよかった」

「そうだね。新しいのを買ってもらえるね」

 家に帰り、盗まれたことを母に話すと「あんたが悪い」で終了した。

 度重なる金銭感覚の差にショックを受けて、つい口に出してしまった「うちは貧乏だ」という言葉。一生懸命働いてくれている父には心から申し訳ないと思っている。けれども、ただ怒るのではなく、子どもの置かれている状況を、聞いてくれてもよかったのではないだろうか。

 子どもは経験不足だから、お金の大切さや稼ぎ出す大変さが分かっていないだけなんだ。将来自分の子どもに同じように言われたら「親に対して失礼だ」で済ませずに、お金について、一緒に考えてみたい。
 高校生の私は、そう心に刻み込んだ。

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ツナ缶

 ミツキと武庫川くんの初めての千葉遠征は、夏休み直前の短縮授業の日のできごとだった。行動範囲の広くなりつつある子どもに、無駄に時間を与えるとろくなことがない。私は夏休み中のミツキの行動に十分注意し、睨みをきかせた。

 ところが、始まってみるとこの夏休みは、野球の合宿や家族旅行や帰省で忙しかった。家にいる日は宿題などをこなさなくてはならず、遠征どころではなかった。それは野島くんや武庫川くんも同じで、なかなか予定が合わない。

「遊びたいのに遊べない」と嘆くミツキを尻目に、私は胸をなでおろしていた。

 

 夏休みが終わりに近づき、課題をすべてやりきって時間に余裕ができ始めると、ミツキは私のスマホでなにやらコソコソと情報を検索することが多くなった。

「ねえママ、足立区と大田区ってオレ行ったことあったかな」とか「大田区って、大森とか平和島の方だよね。羽田空港があったよね」

などと聞いてくる。

「ミツキ、よく聞いて。遠征はもうしないよ。前にも話したけど、幹線道路は交通量も多いし、猛スピードのトラックも多くてとても危険。イクスピアリまでで小学生は満足して。大人になって知識・常識・体力を備えてから日本縦断とかしてよ。埼玉県や神奈川県は、小学生が自転車で行く距離じゃない。事件に巻き込まれる可能性だってなくはないよ」

 少し前に川崎の中学1年生の男の子や大阪府寝屋川の中学1年生の男女が犠牲になる事件があったばかりだ。歳の近い子どもが犠牲になる事件は、他人事とは思えなかった。

「わかってるよ」と返事はするものの、ミツキの頭の中は、風をきって自転車を走らせる映像が流れ続けているようだった。

 

「あの二人、金曜日にまたイクスピアリに行ったね」

 8月の終わり、武庫川くんのお母さんが教えてくれた。やっぱりと思った。2日ほど前から「イクスピアリの映画館の前のホールはものすごく声が響く」とか「レストランがおしゃれ」などと言い始めた。イクスピアリの情報量が急に増えたので、何かおかしいと感じていた。私に叱られると思って黙っていたが、ダダ漏れてしまったのだろう。

「今度は野島くんも一緒だよ。遠征するっていうから止めたけど、どうせ行くでしょう。だから今回は水筒と携帯は持たせたのよ。こんな暑さじゃ熱中症になっちゃうものね」

 私は、ミツキの帰宅後すぐに尋問した。

「あれー、なんで知ってんの?」

「すぐばれるに決まってるでしょう。どうせばれるんだから、今度からは言ってよ。それから、武庫川くんは、ちゃんと水筒持って行ったんだって。熱中症で倒れるよ」

「大丈夫。オレだってちゃんと200円ばかり持って行ったんだ。それと他にすごい物もね」

「すごい物って何よ?」

「ツナ缶」

「ツナ缶?!」

 バカバカしくて、ものも言えない。なぜツナ缶? 思い当たる節は確かにあった。ツナ缶の数が減っているような気がしたが、気のせいだと思っていたところだった。

 数日後、買い物帰りに野島くんのお母さんとばったり会ったので、遠征の話をした。野島くんも遠征に行くと予めお母さんに話したらしく、しっかりと水筒を持って行った。ミツキがツナ缶を持っていった話をすると。

「大地から聞いたよ。ミツキくんね、現れたときから左のポケットの形がおかしくて、大地もなんだろうとは思っていたんだって。でね、帰りにお腹すいたねって言ったら、ミツキくんがおもむろにポケットからジャーンってツナ缶出して、パッカーンて開けたんだって。みんなで食べて、油も回し飲みしたんだって。塩分が取れて最高だったって」

 得意げにパッカーンとツナ缶を開けるミツキの姿が目に浮かんだ。

 

「今日はタビるぜ」

 いつの間にか、子どもたちの間で「タビる」という言葉が流行っていた。夏休みが明けて学校初日は、短縮授業だった。学校から帰るなり、水筒・500円・ツナ缶を持って意気揚々と出かけて行った。

「神奈川や埼玉はないからね」と念を押す。遠征の事実を知っていながら送り出すのも、親としては辛い。

 6時と6時半に携帯を持っている武庫川くんが、現在地を連絡してきた。イクスピアリと真逆の東雲や辰巳にいると分かり、ピンときた。やはり、神奈川県川崎市に向かおうとしたのだろう。だが、川崎まで30キロはある。諦めて途中のお台場で引き返してきたに違いない。

「今日はお台場に行ったよ。神奈川が遠いってよくわかったよ」

「わかったらもうこれっきりにしてね」

「ママ、こうやって子どものうちに珍しい経験をした人間の方が、将来大物になるんだよ」

「命あっての大物です」

「確かに。ママいいこというね」

 呆れて言葉も出ない。

 

 私は何でも母の言いなりにならざるを得なかった。権力をちらつかせて子どもを押さえつける母の教育に、子どものころの私は反発心を持っていた。押さえつけなくとも、子どもは子どもなりに最善策を見出そうとしているものだ。自分が親になったら、もっと子どもに自由に自分の意見を言えるチャンスを与えたい。

 意見交換をする中で、子どもは自分の気持ちと親の気持ちに折り合いをつけて最善策を選ぶに違いない。

 ところが、私が思い描いていた子育てとは、どうも違う。ままならない。ミツキはなぜこんなにも自由にやり過ぎてしまうのだろうか。

 想像と異なる子育てに憤ると同時に、自由にやり過ぎるミツキをうらやましくも感じるのだった。

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