金銭感覚

 高校生だった私が、母に「うちは貧乏だ」と言ったことを、あれから数十年たった今でも母は根に持っている。親に言うべき言葉でなかったと反省はしているが、言ってしまった動機くらいは聞いてほしかった。

 私の家は、ごく一般的な中流家庭だった。小・中学生までは地元の公立校に通っていた。巨大な団地に住んでいて、学校の友だちもほとんどが団地住まいだったので、金銭感覚の差を感じたことがなかった。むしろ旅行好きな両親のおかげで、家族で旅行をする機会も多く、中流家庭の中でも上の方だと思っていた。

 しかしそれと同時に、中学時代の私の心の奥底には「私のような人間は、贅沢をしてはいけない」というトラウマも抱えていた。

 小学5年生の夏、私は母に突然中学受験を宣言された。当時は周りに受験をする子はあまりいなかった。しかも下町の団地に住んでいる子どもは、私立中学の存在さえ知らないほどだった。必死に抵抗したが、結局仕方なく受験した。そして落ちた。
 結果発表の日、母は鬼の形相で私を睨んで「この金食い虫」と言った。受験まで1年半分の塾の費用など、受験費用は多額だったに違いない。私は、もっと激しく抵抗するか、もっと前向きに勉強するか、はっきりさせなかった自分を責めた。
 それ以来私は、必要な物でも(下着でさえも)親に買って欲しいと言い出せなくなった。欲しいものは、お小遣いでやり繰りするようになった。

 高校は私立高校に入学した。どういうわけか私の母は私立派で、公立を受験するという考えは持っていなかった。
 私立高校に入学した私は、すぐに周りとの金銭感覚の差を肌で感じた。学校には、団地に住んでいる人も、お小遣いが月5千円の人も見当たらなかった。喫茶店で次々と注文する友人を見て驚いた。私には、甘いものが苦手なコーヒー好きキャラを定着させる必要があった。

 休日の部活動には、誰もがクレージュかレノマのボストンバッグを持って現れた。名もないバッグを持っているのは私だけだった。

 高校2年生の夏、私はソニーウォークマンがどうしても欲しかった。しかし、2万円以上する品を買ったら、いざというときに使うお金がなくなってしまう。しばらく悩んだが、諦めきれない私は母に相談した。

「お母さんのクレジットカードで買って、3回で返済したらいいよ。3回払いなら利子がつかないから」

 母の提案に目からうろこが落ちた。私の知らない分割払いの世界。早速母と店に行き、憧れのピンクボディのソニーウォークマンを手に入れた。初めて手にした高価な物だった。
 当時このウォークマンは大人気で、同じ部活のミキとアユミもまったく同じものを持っていた。というか、2人が持っているのを見て、私も欲しくなったのだ。

 3か月が過ぎ、ついに支払いが終わり、晴れてウォークマンが私の物になったある日のこと。部活終了後、ミキとアユミと一緒に女子更衣室へ向かった。着替えをしようと、3人横並びに置かれた通学バッグを開けた。ちょうどそのときミキとアユミもバッグを開けていて、その直後3人の声が揃った。

ウォークマンがない!」

 部活中、貴重品として財布は預けていたが、ウォークマンが貴重品の部類とは思っていなかった。誰でも入れてしまう更衣室。犯人の見当さえつかなかった。

 このとき私は、盗まれたショックだけでなく、ミキとアユミの会話にもショックを受けた。

「新作のウォークマンが出るからちょうどよかった」

「そうだね。新しいのを買ってもらえるね」

 家に帰り、盗まれたことを母に話すと「あんたが悪い」で終了した。

 度重なる金銭感覚の差にショックを受けて、つい口に出してしまった「うちは貧乏だ」という言葉。一生懸命働いてくれている父には心から申し訳ないと思っている。けれども、ただ怒るのではなく、子どもの置かれている状況を、聞いてくれてもよかったのではないだろうか。

 子どもは経験不足だから、お金の大切さや稼ぎ出す大変さが分かっていないだけなんだ。将来自分の子どもに同じように言われたら「親に対して失礼だ」で済ませずに、お金について、一緒に考えてみたい。
 高校生の私は、そう心に刻み込んだ。

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