ツナ缶

 ミツキと武庫川くんの初めての千葉遠征は、夏休み直前の短縮授業の日のできごとだった。行動範囲の広くなりつつある子どもに、無駄に時間を与えるとろくなことがない。私は夏休み中のミツキの行動に十分注意し、睨みをきかせた。

 ところが、始まってみるとこの夏休みは、野球の合宿や家族旅行や帰省で忙しかった。家にいる日は宿題などをこなさなくてはならず、遠征どころではなかった。それは野島くんや武庫川くんも同じで、なかなか予定が合わない。

「遊びたいのに遊べない」と嘆くミツキを尻目に、私は胸をなでおろしていた。

 

 夏休みが終わりに近づき、課題をすべてやりきって時間に余裕ができ始めると、ミツキは私のスマホでなにやらコソコソと情報を検索することが多くなった。

「ねえママ、足立区と大田区ってオレ行ったことあったかな」とか「大田区って、大森とか平和島の方だよね。羽田空港があったよね」

などと聞いてくる。

「ミツキ、よく聞いて。遠征はもうしないよ。前にも話したけど、幹線道路は交通量も多いし、猛スピードのトラックも多くてとても危険。イクスピアリまでで小学生は満足して。大人になって知識・常識・体力を備えてから日本縦断とかしてよ。埼玉県や神奈川県は、小学生が自転車で行く距離じゃない。事件に巻き込まれる可能性だってなくはないよ」

 少し前に川崎の中学1年生の男の子や大阪府寝屋川の中学1年生の男女が犠牲になる事件があったばかりだ。歳の近い子どもが犠牲になる事件は、他人事とは思えなかった。

「わかってるよ」と返事はするものの、ミツキの頭の中は、風をきって自転車を走らせる映像が流れ続けているようだった。

 

「あの二人、金曜日にまたイクスピアリに行ったね」

 8月の終わり、武庫川くんのお母さんが教えてくれた。やっぱりと思った。2日ほど前から「イクスピアリの映画館の前のホールはものすごく声が響く」とか「レストランがおしゃれ」などと言い始めた。イクスピアリの情報量が急に増えたので、何かおかしいと感じていた。私に叱られると思って黙っていたが、ダダ漏れてしまったのだろう。

「今度は野島くんも一緒だよ。遠征するっていうから止めたけど、どうせ行くでしょう。だから今回は水筒と携帯は持たせたのよ。こんな暑さじゃ熱中症になっちゃうものね」

 私は、ミツキの帰宅後すぐに尋問した。

「あれー、なんで知ってんの?」

「すぐばれるに決まってるでしょう。どうせばれるんだから、今度からは言ってよ。それから、武庫川くんは、ちゃんと水筒持って行ったんだって。熱中症で倒れるよ」

「大丈夫。オレだってちゃんと200円ばかり持って行ったんだ。それと他にすごい物もね」

「すごい物って何よ?」

「ツナ缶」

「ツナ缶?!」

 バカバカしくて、ものも言えない。なぜツナ缶? 思い当たる節は確かにあった。ツナ缶の数が減っているような気がしたが、気のせいだと思っていたところだった。

 数日後、買い物帰りに野島くんのお母さんとばったり会ったので、遠征の話をした。野島くんも遠征に行くと予めお母さんに話したらしく、しっかりと水筒を持って行った。ミツキがツナ缶を持っていった話をすると。

「大地から聞いたよ。ミツキくんね、現れたときから左のポケットの形がおかしくて、大地もなんだろうとは思っていたんだって。でね、帰りにお腹すいたねって言ったら、ミツキくんがおもむろにポケットからジャーンってツナ缶出して、パッカーンて開けたんだって。みんなで食べて、油も回し飲みしたんだって。塩分が取れて最高だったって」

 得意げにパッカーンとツナ缶を開けるミツキの姿が目に浮かんだ。

 

「今日はタビるぜ」

 いつの間にか、子どもたちの間で「タビる」という言葉が流行っていた。夏休みが明けて学校初日は、短縮授業だった。学校から帰るなり、水筒・500円・ツナ缶を持って意気揚々と出かけて行った。

「神奈川や埼玉はないからね」と念を押す。遠征の事実を知っていながら送り出すのも、親としては辛い。

 6時と6時半に携帯を持っている武庫川くんが、現在地を連絡してきた。イクスピアリと真逆の東雲や辰巳にいると分かり、ピンときた。やはり、神奈川県川崎市に向かおうとしたのだろう。だが、川崎まで30キロはある。諦めて途中のお台場で引き返してきたに違いない。

「今日はお台場に行ったよ。神奈川が遠いってよくわかったよ」

「わかったらもうこれっきりにしてね」

「ママ、こうやって子どものうちに珍しい経験をした人間の方が、将来大物になるんだよ」

「命あっての大物です」

「確かに。ママいいこというね」

 呆れて言葉も出ない。

 

 私は何でも母の言いなりにならざるを得なかった。権力をちらつかせて子どもを押さえつける母の教育に、子どものころの私は反発心を持っていた。押さえつけなくとも、子どもは子どもなりに最善策を見出そうとしているものだ。自分が親になったら、もっと子どもに自由に自分の意見を言えるチャンスを与えたい。

 意見交換をする中で、子どもは自分の気持ちと親の気持ちに折り合いをつけて最善策を選ぶに違いない。

 ところが、私が思い描いていた子育てとは、どうも違う。ままならない。ミツキはなぜこんなにも自由にやり過ぎてしまうのだろうか。

 想像と異なる子育てに憤ると同時に、自由にやり過ぎるミツキをうらやましくも感じるのだった。

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