【家族の話】夜釣り
父は、夜釣りに社用車で行っていた。本当はダメだけど……
私は高級社用車のカーステレオの魅力にはまって以来、なんとか同乗しようと父が出かけるチャンスを狙っていた。
父が釣り用具の手入れを始めると、すかさず頼み込んだ。
釣り場は、家から20分程の海にある堤防で、ハゼ、ボラ、セイゴ、サッパなどが釣れた。
堤防付近に路上駐車する。父のお気に入りの駐車スペースは、堤防の出入口付近で、トイレにも近めの街灯の下だった。
夜釣りの時間は、21時から23時までの約2時間だ。
私は兄のレコードからダビングしたカセットテープを3本持って行った。父が釣り道具一式を抱えて堤防方面に歩き出すと、即、カーステレオのプレイボタンを押す。
父から「知らない人が来ても絶対に窓やドアを開けてはいけない」と口酸っぱく言われた。
ぼんやりとしたトイレの明かりと、車の上の街灯以外周りは真っ暗で、人けも全くない場所。窓もドアもしっかりと閉めた空間の中、大音量で聴く曲はどれも心に響く。世界が自分のためだけに存在しているような気持ちになった。
コンコン……。顔をあげると父がいた。ドアを開け、慌てて音量を下げる。
「何か変わりはないか?」
「うん、何もないよ」
父はトイレに寄りつつ、堤防方面に戻っていく。時計を見ると20分しか経っていない。
ドアをロックし、大音量に戻す。次第にまた自分の世界に入っていく。チャゲ&飛鳥のアルバム『TURNING POINT』の中の『くぐりぬけてみれば』を聴くといつも涙腺崩壊だ。
コンコン……。ゲッ! また戻ってきた。慌てて涙を拭って顔を上げる。
「何か変わりはないか?」
「うん、何もないよ」
父はトイレに寄りつつ、堤防方面に戻っていく。時計を見ると20分しか経っていない。
ドアをロックし、大音量に戻す。次第にまた自分の世界に入っていく。
まーた、20分後にコンコン……。父が戻ってきた。
「何も変わりないか?」
「うん、何もないよ。お父さんよくおトイレに行くね」
「まあ、冷えるからな」
カセットテープの片面は約20分だ。片面が聞き終わるころ、そろそろ父が戻るだろうと音量を下げて待っていた。案の定堤防の出入口から父が現れた。
「何も変わりないか?」
「うん、何もないよ」
2時間の夜釣りで父は6回もトイレに行った。父が帰り支度を進める中、ずっと座りっぱなしだった私も夜風にあたりに車から降りる。
「お父さん、何匹釣れたの?」
冷やかしで聞いてみる。
「今日はダメだった」
「なんかいつも釣れてない気がするな」
「そうか? たまたまだよ」
私が中学・高校時代、父はときどき夜釣りに行っていた。毎回付いていきたかったが、学校の行事や試験や部活で忙しく、なかなか都合がつかなかった。行けた回数は、6年間で5,6回といったところだろうか。
父は毎回「知らない人が来ても絶対に窓やドアを開けてはいけない」と言い、毎回20分に一回トイレに行き、毎回釣果は0だった。
携帯電話もない時代の話。
父が私を心配して釣りに集中できないことを知りながら、私は父に甘えていた。