【家族の話】父が怒った日②

 まるで歌を歌うように語尾を伸ばし、おどけたしゃべり方をする父。そんな穏やかで優しい父が怒るのを見たのはたったの3回。

 そのうち1回は、母に対してだ。

 

 父が外資系の会社から日本の大手企業のドライバーへ転職するのを機に、西麻布のアパートから下町の巨大な団地へと引っ越しをした。私が幼稚園年少のときのことだ。

 私はやっと物心が付いてきたころで、この時期から連続性のある記憶が増え始める。

 団地には、家族4人だけで暮らした。西麻布での記憶はほとんどないので、祖母や叔父といつまで暮らしていたのか、私には分からない。

 まったく記憶のない私は、祖母や叔父はどんな人なのか知りたかった。しかし、日常の会話から、父の親族の話はタブーだと幼い私でも分かっていたので、決して口に出すことはなかった。

 母はどんなに機嫌良くしていても、父の親族を連想させるキーワードが出るだけで、猛烈に怒りまくった。それに対して父は、一切言い返さない。

 祖母と叔父と一緒に暮らしているときに何があったのかは、私は知らない。父は、どっち付かずの曖昧な態度だったのだろう。母は全面的に自分の味方をして欲しかったに違いない。母の辛い思いは想像が付く。

 けれども、もう、別々に暮らしているのだ。付き合いも基本的にはしていない。家族4人の中で母は独裁者としてすべて思い通りに暮らせているのだ。過去を掘り返して、目の前で事件が起きているかのように怒り狂う必要はあるのだろうか。

 疑問も残る。母に落ち度はないのか。好かれる嫁になる努力はしたか。それは独りよがりの努力ではなかったか。

 母の性格を知っているだけに、父の親族が一方的に悪いとは思えないのだ。

 こんな感じで、我が家では数か月に一度の割合で誰かしらが地雷を踏んでは、母による父の親族批判が勃発した。

 

 私が小5の5月31日の朝、またもや批判勃発。朝から母が父に何やらごちゃごちゃ文句を言っているなとは感じていたが、私は自室でダラダラ過ごしていた。

ガシャーン!!!

 ガラスの割れる大きな音がして、私は慌ててリビングに行った。キッチンの奥まったところに食器棚があり、そのガラス戸が割れていた。母は食器棚の前に顔面蒼白のまま立ち尽くしていた。母の方を向いている父の表情は見えない。

 ついに、この日が来た!!!

 父が母に対して怒りを表し、食器棚のガラス戸を割ったのだ。

 母がはらはらと涙を流し、床にしゃがみ込んだ記憶はあるが、その後父がどうしたかの記憶はない。いつの間にか、父はいなくなっていた。

 母が泣いている間、私はガラスを無言で片付けた。

「日曜日だし、今日どこか2人で行こうか」と母。

「……うん」断るわけにはいかない。

 連れて行かれた場所は、また上野恩賜公園。公園では特に何をするわけでもなく、大噴水のある大きな池のベンチにただ黙って座っていた。慰めた方がいいかなとも思ったが、慰める気持ちが一切湧いてこない。仕方ないのでただ五月晴れの美しい空を眺めた。

 この日の母は、傷痍軍人を見ても何も言わなかった。

 我が家では、この日の話題は誰も口にしない。母でさえ、ガラスを破損した父を非難することはなかった。

 

 それから20年ほど後、兄が事の真相を教えてくれた。

「あのころお父さんは、夜釣りにはまっていて、GWも全部夜釣りに行ったんだ。で、あの日お母さんはどこかに行きたかったんだろうな。でも、お父さんは朝方に帰ってきて。それで揉めたんだ。揉めついでにお決まりの親族批判が始まって、お父さんがキレたんだ。だから、お父さんも悪いんだぞ。そもそも、親族批判だって元はと言えば、お父さんがお母さんをもっと守らないのがいけないんだし。おまえはお父さんの味方ばかりしてるけどな」

 事の発端は父が悪いにしても、夜釣りから親族批判にすり替える母も悪い。それに、子どもが小さいなら考えものだけど、もう小5と中2なのだから、夜釣りくらい行っていいと思うのだが……

 母は私に説教するときも無限ループ説教をする。無限ループ説教とは、説教の内容がいつの間にかすり替えられて、何年前の出来事までも引き合いに出される説教のこと。

 母は何かにかこつけては、過去の気に入らないこととすり替えて、無限に怒るのだ。

 母の様々な怒りは、甘えであり、わがままだ。

 父は母に償いをしようと努力をし続けていた。表現は悪いが、母の言いなりだった。何でも母の望むことを快く二つ返事でやった。それがますます母の父へのわがままを増長させたのかもしれない。

 

 父が怒ったのは結局この三回だけだった。私と兄は、もう父に怒られるのはこりごりで、それなりに気をつけていた。母はそんなことお構いなしで父に辛辣な発言をするので、傍から見ていてヒヤヒヤするが、父は怒るそぶりもなかった。

 それが、母に対する懺悔の気持ちからなのか、諦めから来るものなのかは、分からず終いだ。

 

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