努力賞

 「緊張するのはいいことだ」の唱和が定着してくると、以前のように変な緊張感が漂わなくなった。打率に大きな変化はないものの、試合を見ていて苦しくなることはなかった。

「誕生日にパワースラッガーが欲しい」

 パワースラッガーとは、素振り用のトレーニング器具だ。バットについたおもりが、遠心力でスライドし先端部にあたる仕掛けで、その衝撃と快音によりインパクトの打球感を疑似体験できる。ひと振りごとにインパクトを体感しながら理想のフォームを体得し、同時に足腰など下半身を中心に全身をバランスよく鍛えるという代物。

 プレゼントというと、前年まではカードゲームやおもちゃだった。自身の向上のための物を欲しがるなんてすばらしい。文句なし!すぐ買っちゃう!

 お茶当番の日、ベンチで練習風景を見ながら、野島さんにパワースラッガーを買ったことを話していた。

「けっこう高かったからさ、飽きずに素振りして欲しいよね」

「わざわざそんなもの買わなくたって、ちゃんと教えられ

た通りに素振りしてたら、打てるようになるんだけどな」

 近くにいたロバートダウニーjr似の蝶野監督が苦笑いをしながら言った。

「ああ、蝶野監督。その通りなんですけどね。教えられた通りって言うのが、ミツキにはどうにも難しいんです。とりあえず買ったんで、1か月待ってもらってもいいですか?」

「葉野さん、おもしろいこと言うね。1か月後、期待してるよ」

 余計なことを言ってしまったと後悔したが、後の祭りだ。

 そして、1か月後。ウソみたいだが、調子が上向きになってきた。

 9月に秋季大会が行われた。この頃のミツキの打順は5番になることが多かった。1回戦目、相手は優勝候補の強豪チーム。先行レッドウィングス。相手ピッチャーは、小学生とは思えない体格で、手も足も出ない。あっという間に1回の裏、相手チームの攻撃。次々と体格のいい選手が打席に立つ。一気に6点取られ、やっとのことで2回表。ミツキが打席に立つ。

「ミツキ、打てるよ」

 ベンチや応援席から声がかかる。ミツキが打ち、塁に出た。沈み切っていたチームが一気に盛り上がった。だがそれも束の間、その後フライと三振が続き、盗塁を試みるも点は入らなかった。

 2回裏、悪夢がやってくる。なんとこの回だけで18点入れられてしまった。投げても投げても一向に回が終わらない。初めのうちは点が入るたびに大歓声が起きていた相手チームでさえ、静まっていった。

 そして、3回表はまたあっという間に終わり、裏で相手チームが1点追加し、3回コールドで負けた。

 監督コーチ陣は、とんでもなく落ち込んでいた。ところが、子どもたちはあっけらかんとしているので、親として申し訳ない気持ちになった。

 悔し泣きしている子がひとりもいないので、意外とみんなそんなものなのかと変に納得してしまった。

 しかし、その中でもミツキは、「あっけらかん」の度合いが強いと思う。試合の度に、帰宅したミツキにパパが勝敗を尋ねるのだが、勝ち敗けは答えられても、いつも点数は答えられなかった。勝因敗因も言えない。反省点もない。言えて「フライが捕れてよかった」か「今日は打てた」程度だった。
 ミツキは、野球のことは球場の中だけで完結男だった。ちなみに、プロ野球も観ない。メジャーリーグも観ない。イチローも大谷も知らないという、世にも珍しい野球少年なのだ。

 1回戦で敗退した秋季大会から1か月後に全試合が終了し、各チームから1人ずつ努力賞受賞者が選出された。

「葉野さん、ミツキが努力賞に選ばれたよ」

 選考に立ち会った総監督が驚きと喜びで黙っていられなかったようで、まだ正式な発表ではないが、こっそり教えてくれた。驚きすぎて、初めは総監督の言っている意味がよく分からなかった。
 努力賞とは秋季大会でのスコアを確認し、各チームから1名健闘した選手に贈られる賞だった。確かにあのとき、塁に出ることができたのはミツキだけだったが、苦しい思いをしながら、それこそ健闘したのは初めに登板したエースと途中で交代したキャプテンの野島くんだ。そう思うと複雑な気持ちになった。

「総監督、ミツキがいただいてしまっていいんでしょうか」

「何言ってんだよ。いいんだよ。ミツキもがんばってるんだから。選考会で決まったことなんだから」

「ありがとうございます。うれしいです」

 ミツキが、公式の表彰状をもらう日がやってくるとは夢にも思わなかった。

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