葉野ミツキの育て方

そんなトリセツ、あったらいいのに

卒部のスピーチ

 中学校の卒業式から1週間後、野球部の送別試合が行われた。ミツキは、サクッと早起きをして、そそくさと出かけていった。

 毎年恒例の試合で、例年は卒業生対在校生なのだが、ミツキたち卒業生は5人だ。どのように分けるのか気になっていると、前年度の卒業生が4人飛び入り参加をしてくれた。

 始終和気あいあいとした試合で、ミツキはピッチャーをやらせてもらった。お楽しみ試合ではあるが、在校生が負けた場合は、先生の顔色が変わる。前年度はミツキたち在校生が負け、顧問の寺田先生に「ブランクのある卒業生に負けてどうすんだ!」と大目玉。

 そして今年も卒業生チームの勝利。助っ人先輩4人のおかげだろうか。寺田先生は他校に異動となり顧問の先生は代わったが、新しい顧問の先生も在校生を同じように叱っていた。

 試合後お弁当を食べてから卒業生のスピーチや記念品の贈呈を行なうことになっている。ミツキも1,2年生のときに卒業生のスピーチを目の当たりにしてきた。先輩のスピーチがとても素晴らしかったと、帰宅後興奮気味に言っていた。

 部員たちがお弁当を食べている間、卒業生の母は新しい顧問の先生と雑談をしていた。

「食べ終わったら卒業生のスピーチですが、卒業生にスピーチを考えておくように言うのを忘れちゃったんですけど、大丈夫ですかね」

 先生は少し気まずそうに言った。

「毎年のことだから、分かっていると思いますよ」

 私は何も考えずに、サラッと答えた。

「そうですよね」

 先生も大きく頷いた。

 休憩中の大きな円形隊形から、卒業生と在校生が向き合う隊形になったとき、私は突然胸騒ぎを感じた。

 まずい。ミツキがスピーチを考えていない可能性は十分ある。さっき先生に言われたときに、耳打ちしに行くべきだった。

 しかし、時すでに遅し。卒業生がスピーチの順番決めのジャンケンを始めた。せめて、ミツキが2番手以降であることを願う。

「決まったか。はい、じゃあ葉野からかな」

 なんてこった! 顔をこわばらせたミツキがモジモジしながら在校生の前に立った。

「あ、3年間、いや、2年間ありがとうございました。えー、僕は野球でも全然ダメだったんですけど、勉強もうまくいかないで、高校もあまりいいとこ入れなかったので、みなさんもエンジョイしたかったら勉強もがんばった方がいいと思います。終わりです」

 誰もが拍手をためらうほどの短さだ。

「え、それだけ?」先生が驚く。

「いやー、くだらないことなら話せるんですけど、真面目な話はできないんです」

「お母さん泣いちゃうぞ」

(先生、私を引合いに出さないで!)

「ボクのお母さんは、こういうの慣れているので大丈夫です」

(お前が言うんじゃねえ!)

「もう、いつものことなので。ははは」

  私は引きつりながら笑うしかない。

(そう言うしかない私の気持ちみなさんに分かります?)

「あとでもう一度聞くから考えておけよ」

(先生お願いもうやめて!)

 次は、キャッチャーの金田くんだった。金田くんは、おとなしいが芯のある子だ。初めはモジモジしていたが、自主練習について話し、後輩たちへのすてきな助言となった。

 3番手は、お調子者の恭介くん。彼の野球に対する熱い気持ちが伝わってきた。

 4番手は、2年生から入部してきたしっかり者の澤田くん。彼のスピーチは秀逸で、中途入部の自分を快く受け入れてくれたことへの感謝、先生の指導法への感謝、応援してくれた保護者への感謝が盛り込まれていた。

 5番手は、キャプテンの野島くん。野島くんは、キャプテンとしての立場から幅広く部員を見ていて、彼の人柄の溢れるスピーチだった。

「じゃあ、葉野もう一度」

(先生やめてくれー!)

「いや、ホントもう大丈夫です」

(ほらね……)

 卒業式の手紙という前例がありながら、ミツキを野放しにしてしまった自分を呪った。

 これから大人になるにつれ、スピーチを求められることが増えるだろう。短めで気の利いた明るいスピーチができるようになってほしいものだ。

 ミツキは、高校受験で大きな挫折感を味わったのだろう。私の責任でもあり、心が痛い。

 しかし、そこだけを取り上げるではなく、もっと視野を拡げて欲しいのだ。勉強も野球も思ったようにいかなかったかもしれないけれど、先生や友だちに恵まれた3年間だったはずだ。それを言葉にして欲しい。言葉を声に出して言うことで、相手だけでなくミツキ自身の心も温まると思うのだ。

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