【家族の話】父が怒った日②

 まるで歌を歌うように語尾を伸ばし、おどけたしゃべり方をする父。そんな穏やかで優しい父が怒るのを見たのはたったの3回。

 今回は兄に対してだ。

 どこの家でも起こる、兄妹間でのテレビのチャンネル争い。私と兄も頻繁に観たい番組をめぐって喧嘩になった。

 兄が小3、私が幼稚園年長くらいだったと思う。チャンネル争いが絶えないので、兄と私で1日毎にチャンネル権を交代する取り決めとなった。

 何日か平穏に過ぎていったある日、私が取り決めを破った。リモコンなどない時代、兄がテレビ画面右横に付いているチャンネルの取っ手をガチャガチャと回しているとき、画面に私の興味を引く映像が映った。

 取っ手を回し続ける兄。私はテレビに駆け寄り、兄の手を払いのけようとした。テレビ前で小競り合い勃発。

「なんでだよ。今日はお兄ちゃんの日だろ」

「でも、観たいのぉ」

「そんなわがまま通じないぞ」

「いやだ、観る」

 ギャアギャア、ワーワー、小競り合いがどんどん大きくなっていった。

 そのとき、アッと思ったときには、もう兄が吹っ飛んでいた。私は何が何だか分からなかった。兄は床に倒れて、唖然としている。その後、泣きながら頬を押さえた。

(お父さんがお兄ちゃんを殴ったんだ。お父さんが殴るなんて信じられない。凄く痛そうだ。私のせいで、お兄ちゃんがお父さんに殴られた。どうしよう)

 その後のことは、ハッキリ覚えていない。

 一瞬の出来事だったが、父のことは絶対に怒らせてはいけないと、深く私の脳裏に刻まれた。

 

 月日は流れ、ミツキとリオが生まれた。ミツキとリオも同じようにチャンネル争いをする。けれども、小競り合いになることはない。どうしてかというと、話し合いで解決するように常に、私が促しているからだ。

 ミツキとリオもチャンネル権は交代制という大まかなルールはある。わがままはいけない。けれども、ルールにがんじがらめになる必要もない。わがままを通したければ、プレゼンと交渉を駆使して相手を納得させればいい。

 どうしてその番組が観たいのか。どれくらいおもしろい番組なのか。みんなにとってのメリットは何か。などのプレゼン。

 自分も相手もWin-Winの関係になる条件の提示。予めの根回し。などの交渉。

 もちろん、子どもには難しい。だから、私が間に入り、質問形式で答えを引き出す。

 回りくどくて時間がかかるけれど、じっくり話し合えば喧嘩になることなく満場一致で番組を楽しむことが出来た。

 生活を共にしていれば、プレゼンと交渉は、生活のあらゆる場面で必要となる。現在2人は17歳と13歳で、以前のように揉めることはないが、まだまだ口調など精進が必要だ。

 あの日の父も、いきなり兄を殴らずに話し合いの場を持たせた方が良かったと思う。けれども、父を擁護したい気持ちの方もある。

 父は、3人兄弟の長男だった。母親は目が不自由で、父親とは離婚した状況の中で、一家の大黒柱として我慢の多い人生だったと思う。長男として妹と弟に譲ることが多かったはずだ。そして、その自分の経験を美徳として子育てをしていたとしたら、兄が妹にチャンネルを譲らない状況を許せないと思った可能性はある。もちろん、暴力のいいわけにはならないが。

 ちなみに、私が父を怒らせた「ふきの煮物事件」も、食べ物に苦労した父からしたら、とんでもなく許せない行為だったのだろう。

 

 父の一周忌法要の日、母と兄夫婦、そして私の家族で食事をした。そのとき、チャンネル争い事件の話になった。

「あのとき、お父さんは執拗にオレを殴ったんだ。オレが倒れても追い被さって何度も何度も。オレは顔が腫れ上がって、鼻血が出た」

 それはさすがにないと思った。兄は恐怖、衝撃、怒りにより、事実以上の体験として記憶してしまったのだろう。私もハッキリとは覚えていないが、ほんの一瞬の出来事であり、そこまで殴っていた記憶はない。

「オレ、高校のとき、空手部に入っただろ。あれって、今度何かあったらやり返せるように入部したんだ」

 やはり、暴力からは暴力しか生まれない。

 ちなみに、兄は空手部を1年で退部している。理由は、1年時は空手の型練習が主だったが、2年以降は実践が増えて痛いからと言う理由だった。そのくせ、型練習ばかりの時期は「型ばかりではつまらない」と言って、痛がる私を相手に憂さを晴らしていた。

 己の欲せざるところは人に施すことなかれ

 

最後まで読んでくださり

ありがとうございます。

次回も父が怒ったことの話

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