葉野ミツキの育て方

そんなトリセツ、あったらいいのに

【こぼれ話】どくさいスイッチ

 小学3年生のころの私は、月に1冊ずつ「ドラえもん」の漫画本を購入していた。当時の私のお小遣いは500円で、漫画本は320円だったと思う。

 月の初めに1冊買うと月末まで暇さえあれば何度も読み返した。今月の1冊にさすがに読み飽きると、それまでに買ったものを読み返した。

 何度も同じ場面で笑い、泣き、感動し、教訓として学んだ。私にとってドラえもんは、人生の教科書だった。

 中でも強い衝撃を受けた回は、15巻に収録の『どくさいスイッチ』だ。

 ジャイアンに野球のことで責められたのび太が、ドラえもんに泣きつく。ジャイアンがいなくなればと言うのび太のために、ドラえもんは「どくさいスイッチ」を出す。これは、消えて欲しい人の名前を言って押すとその人の存在がなくなるというものだ。

 のび太はすぐにジャイアンの名前を言ってボタンを押し、ジャイアンを消した。これで安心と外に出ると、ジャイアンのいない世界ではスネ夫に責められてしまう。そこでのび太は、すぐにスネ夫も消した。しかし、その後ものび太を責める人間が現れ、ついにのび太は全ての人間を消してしまい、地球上はのび太1人となった。

 孤独感に打ちひしがれるのび太の背後にドラえもんが現れ、これは独裁者を懲らしめるスイッチだったと教える。

 ドラえもんの「気に入らないからって次々に消していけば、キリがないんだよ」というセリフが、読むたびに私の心に刺さった。

 どくさいスイッチ的なことが、自分自身にも起きていると、ある時ふと思った。

 私は、強く願うと思い通りなることがしばしばあった。よい感情では、会いたいと思った人と偶然会ったり、レアなものが偶然手に入ったり。負の感情では、この人苦手だなと思っていた人が、転校したり、異動したり、退社したり、引っ越したり。

 負の感情は、私の心の中のどくさいスイッチだった。苦手なタイプの相手と物理的に距離を置くことができ、私はホッとした。

 ところが、ホッとするのも束の間。同じタイプの人間が私の前に現れるのだった。

 またこのタイプかと、私はげんなりしつつまた願う。すると、またその人とは距離を置けるが、また同じタイプの人が現れる。これの繰り返しだった。

 子どものころの私は、のび太と同じだったと思う。

 20代半ば。私は少し考え方を変えてみることにした。

 自分はこの人の何が苦手なのだろうか。この人はどういう人なのだろうか。この人と上手く接するにはどうしたら良いのだろうか。そんな風に1つずつ考え、擦り合わせていくうちに、不思議とその人の良い部分が見えてきた。私自身が考え方を変え、譲歩すべき部分が見えてきた。

 気付けば、ほどよい距離感で上手く付き合えるようになっていた。

 学校で、会社で、習い事の場で、子どもが生まれてからは子ども関連の場で、たくさんの出会いがあった。

 苦手なタイプを克服すると、また新種の苦手なタイプが投入された。未熟な私の精神を成長させるための謎の力が働きかけている。いつしか私はそう思うようになった。

 私は思し召しに従い、忘れたころに投入される新タイプを克服していった。

 30代に突入するころには、私は人に恵まれていると思うようになった。

 今となっては、過去の私は自分自身に問題があるにも関わらず、心の中のどくさいスイッチを簡単に押しすぎたと反省するばかりだ。

 人のタイプは十人十色。認め、赦し、譲歩し、擦り合わせることで、何よりも自分が一番楽になる。

 マンガの中では、どくさいスイッチを押すことで孤独になり、人は1人では生きていけないということにフィーチャーしている。

 しかし、もっと深く考えれば、苦手だ嫌いだと人のことばかり責めるのではなく、互いを認め合い譲歩することで苦手と感じるタイプ自体が減るのだから、結局は幸せを感じるのだ。

 ミツキとリオにもたくさんの人と出会い、揉まれながら精進し、良い出会いを育てていって欲しい。

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