葉野ミツキの育て方

そんなトリセツ、あったらいいのに

【こぼれ話】羽化

 ミツキが小学3年生の5月下旬、小学校のプール清掃に伴って行われた「ヤゴ救出作戦」で、ヤゴを14匹もらってきた。

 私が、トンボの幼虫はヤゴであると知ったのは、中学2年生のときだった。矢後先生という女性の先生が近々結婚するというので、なんという名字になるのだろうかと噂をしていると、冗談好きのN先生が「トンボ先生だよ」と笑いながら言った。ぽかんとしている私たちにN先生が、慌てて説明したのだ。

 ミツキが生まれて、虫の世界を題材にした絵本で、かわいらしく描かれたヤゴを目にするようになった。どんなにかわいらしくても、肉食だから赤虫やメダカを食べる。下あごを伸ばして獲物を捕らえるのだから、なかなか凶暴だ。それでも、月夜の晩に枝を登り、羽化する場面は神秘的だった。

 ミツキがヤゴを飼いたいというのを、実は待っていた。しかし、私は敢えて難色を示した。

 私が少しでも手を出すと、たちまち私の仕事になってしまう。夫とミツキとで最後までヤゴの世話をするようにと突き放した。

「ママは絶対に何もやらないんだって。オレたちだけでやるんだから、お前もしっかりと手伝えよ」

「わかったよ。ちゃんとやるよ」

 父子は水槽に砂利を敷きつめ、ホテイアオイを浮かべ、ヤゴを放った。

 実物のヤゴは、目が大きくきょろきょろとしていてかわいかった。下あごもえさをとるとき以外は気になるほど出てはいないようだ。

 14匹のヤゴたちの名前は、体の大きい順に一郎、二郎、三郎……一番小さい十四郎。父子は小さい十四朗を特に応援した。

「14匹全部羽化させるぞ。とうしろう、絶対トンボになれよ!」

 エサは生きている赤虫を釣り具店で買った。1パック50匹ほど入っている赤虫を毎日数匹ずつヤゴに与える。ストックしている赤虫を死なせないようにと、毎朝赤虫専用水槽の水を換えることがミツキの仕事となった。

 ヤゴは夜行性なので、夫は夜に赤虫を与えた。5日間ほどで1パックがなくなる。なかなかの食いつきのようだ。

 一切の世話を断っていたが、平日に赤虫のストックがなくなると、私が買いに行かなくてはならなかった。

 何回か赤虫を買ったある日、ヤゴの水槽を掃除していたミツキが、赤虫が邪魔で水槽の水が換えられないと困っていた。割り箸で砂利を寄せると、次から次へと赤虫が出てきた。ヤゴに食べられているとばかり思っていた赤虫は、水槽に入れられると砂利の下に潜り難を逃れていたのだ。赤虫が百匹以上残っていて、まるで赤虫を飼っていたようなものだ。

 考えた父子は、水槽いっぱいに砂利を敷きつめるのではなく、真ん中にぽっかりと砂利のない空間を作り、そこに赤虫を入れ「レストラン赤虫」と名付けた。これにより赤虫は消費されていった。

 インターネットでヤゴの羽化について調べていた夫が、気になる記事を見つけた。釣り具店で売られている赤虫は、商品価値が落ちないよう、成長抑制剤が使われているという。そこで夫は、メダカを数匹買ってきた。メダカを餌にすることに私が難色を示していると、慌ててミツキが言った。

「ママ、オレは何度もやめとけってパパに言ったんだよ」

 私たちの抵抗も虚しく、水槽にメダカが放たれた。しかし、入れてみるとヤゴよりもメダカの方が少し大きい。我が家のヤゴは赤とんぼで、メダカを食べるのはギンヤンマなどのサイズの大きいヤゴのようなので安心した。

 7月初めのある朝、ベランダからミツキの歓喜の声が聞こえてきた。駆けつけると、水面で羽をバタつかせる一郎の姿があった。まだうまく飛べないのだろうか。ミツキがすくって飛ばすと網戸にとまった。そして、一息つき大空へと飛んで行った。その姿は、想像していた悠々としたものではなく、どこかはかなげだった。

 ヤゴたちは、次々と羽化するために枝に登り始めた。しかし、羽化することはなく、ヤゴの姿のまま体を硬直させた。中には背中はやぶれたものの、羽化の途中で硬直してしまったものもあった。やはり、赤虫の成長抑制剤のせいだろうか。

 羽化の難しさを目の当たりにし、強いものだけが勝ち残る自然の摂理を思い知らされた。

 ミツキは一郎の脱皮した殻をペットボトルのふたに入れて大切に保管し、それ以外のヤゴの死骸は土に埋めた。

 ヤゴのいなくなった水槽ではホテイアオイが茂り、メダカがわがもの顔で泳いでいた。

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