【こぼれ話】葉野ペロ

 我が家にペロくんがやってきたのは、ミツキが幼稚園年長の冬のことだった。

 ペロくんとはザリガニの赤ちゃんのことで、名付け親はミツキだ。

 冬休みの直前に幼稚園で産まれたザリガニの赤ちゃんを6匹もらってきた。家には水槽もなければ砂利も餌もない。ザリガニたちは1センチにも満たないので、水槽はプラスチックのコップを代用し、砂利と餌は友人に分けてもらった。

 早速餌を与えてみたが彼らは見向きもしなかった。ザリガニは冬の間は餌を食べないのだと知り、慌てて餌やりをやめた。

 数日後、朝起きてコップの中を覗くと3匹に減っていた。共食いをしたのだ。その翌日には2匹が死んでしまい、ついに1匹だけになってしまった。

「ペロっと食べちゃうからペロくんて名前にしようっと」

 ミツキが皮肉ともいえる名前を付けた。

 ペロくんは無事に冬を越し、餌を食べるようになると、脱皮を繰り返しどんどん大きくなっていった。餌を食べる姿がかわいくて食べ終わるまで眺めた。

 梅雨の蒸し暑い日、大事件が起きた。幼稚園から帰ってきてコップの中を覗くと、ペロくんが砂利にうずくまっていた。コップを揺すってもピクリともしない。ミツキの顔がみるみる青くなり、泣き叫んだ。3日に一度の水の入れ換えを忘れていたので、幼稚園から戻ったらやるつもりでいた。水は朝見たときよりも汚れを増していた。

「泣いてないで。水を換えるよ」

 水の汚れが原因かは分からなかったが、今自分たちにできることはそれしかない。

「ペロくん生き返って。ぺろくん!」

  子どもたちと一緒に何度も声をかけた。すると、まったく動かなかったペロくんの触角が微かに動いたのである。続いて半透明の体の中の心臓部分がピクピクピクと動き出した。

 私たちは抱き合って喜んだ。この事件以来ミツキはペロくんをさらに大切にするようになった。夏の家族旅行の際もペロくんをおいて3泊はできないというので、友人に預かってもらったほどだ。

 ザリガニは産まれて半年ほどで殻が赤くなると聞いていたが、ペロくんは半透明のままだった。体も一般的なザリガニより二回りほど小さかった。入れられた水槽の大きさに合わせて成長するものらしいと聞き、慌ててコップから大きな水槽に代えた。

 ペロくんにもっと快適な暮らしをさせたいと、ミツキが図書室でザリガニの飼い方について書かれた本を借りてきた。それにより、小さな容器に何匹も入れておくと共食いをしてしまうこと、隠れられる場所が必要なこと、脱皮をしたらその皮を食べるので捨ててはいけないことなどが分かり、初めから飼い方を調べるべきだったと大いに反省した。

 さらにオスはハサミが大きく、メスはハサミが小さくてお腹の下に無数の足のようなものが付いていることが分かった。したがってペロくんはメスと判明。実はペロちゃんだったのだ。

 隠れるための貝殻を入れてやるとすぐに入った。餌の時間以外滅多に姿を現さなくなったが、外の様子をよく窺っているようで、辺りが静かになると貝殻から出てきた。

 さらに体が大きくなると巣作りなのかせっせと建設作業をするようになった。両方のハサミで4,5個の砂利を抱えて運んでは大きな山を作った。カタカタと砂利を運ぶ小さな音は我が家の生活音の1つとなった。

 秋も深まったころ、ペロくんの殻の色について家族会議が開かれた。ペロくんの殻は成長とともに通常の赤ではなく青みがかった色になってきていた。山深い日の当たらない場所に住むザリガニは青くなるらしい。確かにペロくんはリビングの一番奥の日の当らない場所にいた。このまま珍しい青ザリガニに育てようという意見と、このままでは長生きできないのではないかという意見に分かれた。

 やはり健康が一番と話しがまとまり、早速ベランダに出した。そして1時間ほどして水槽を覗くとペロくんが完全にひっくり返って死んでいた。

 私とミツキがパニックを起こしていると、夫が水槽の水をかき出して叫んだ。

「直射日光に当てたらだめじゃないか」

 水温がかなり上昇していた。必死でペロくんの名を呼んだが今度はだめだった。数々の無知を悔いたがもう遅かった。

 ミツキはしばらく机の下にもぐって泣いていた。少し気持ちが落ち着いたところで、お墓を作るのだと割り箸を出してきて言った。

「パパ、はのペロって書いて」

 そうだ、ペロくんの名字は葉野だったのだ。私たちの大切な家族。

 ペロくんの亡骸は、ミツキと夫により土手の花壇に葬られた。

アジサイの下にペロくんを埋めたんだ。ミっちゃんの誕生日が来るころアジサイの花が咲くでしょ。そうしたらペロくんはきっとミっちゃんのことを思い出してくれるよね」

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