高校合格後

 面接に関しては、何の不安もなかった。中学校の面接練習でも、先生からお墨付きをいただいていた。人当たりがよく、コミュニケーション能力は長けているのだ。

 無事、合格した。

 そして、合格を確認した直後にミツキは体調を崩した。飄々と日々を過ごしているように見えても、それなりに気が張っていたのだろう。

「あらら、気が抜けたんだね」と笑っていた私も、入学金を納めに行った帰り道で、突如悪寒に襲われた。ミツキは、翌日には快復したのに、私はその後1週間も寝込んでしまった。インフルエンザでもないのに、ここまで体調不良になったのは初めてのことだった。

 すっかり元気になるころには、1月も終わっていた。2月の下旬には、合格者の学力試験がある。クラス分けを左右するであろう大事な試験だ。

 12月に単願推薦が確定したことにより、心のゆるみが出ていた。それに加え、私の気持ちも実父のことに傾いていた。更に、追い打ちを掛けるように実父の死、私の体調不良と続いた。約2か月間、ミツキは机には向かっていたが、内容は期待できなかった。

 私との勉強を再開するにあたって、D商業の過去問題を確認すると、しっかり点数は取れるようになっていた。しかし、解き方を理解したというよりも、丸暗記感が否めなかった。そこで、D商業と同等の高校の過去問題をやってみると、悲しいかな40点しか取れなかった。

 H高校の過去問題は売っていない。学校説明会に参加すると、前年度分の問題がもらえる。1年分しかないので不安だったが、内容を見て安心した。驚くほど簡単だったのだ。まず圧倒的に問題数が少ない。数学は基本問題のみ。英語は長文なし。国語はそもそも文字が大きい。1年分しかないことだし、学力試験の数日前にやれば十分だと思っていた。

 しかし、D商業と同等の高校で苦戦する姿を見たら焦りを感じずにはいられない。予定変更して、H高校の試験問題をやることにした。今までやってきたことを考えたら、少なくとも80点は取って欲しかった。しかし、結果は、60点ほどだった。

 英語も数学も、各単元を集中的に解いているときは正解するのに、複合的な問題となると解けないのだ。

 たとえば数学では、一次関数の単元のページの問題を解いているときは、「y=ax+b」でaは変化の割合、bは切片とすぐに分かるのに、全単元からの総合問題になると、どの数字を何の公式に当てはめていいのか分からなくなる。

 英語では、過去進行形、受動態など単元のページは解けても、

  • Mike was (  ) cookies yesterday.   答え(making) 
  • There cookies were (  ) by Mike.   答え(made) 

のように、英文だけだとカッコ内に何を入れていいのか分からなくなる。

 頭の中にさまざまな単元の引出しがあって、各問題に適した引出しを見つけ出し、そこから答えを取り出す。それができるようになるには、どうすればいいのだろうか。

 各単元で何を学んでいるのかを意識してやるようにと、口酸っぱく言ってきたが、効果はなかった。

 一番残念に感じた問題は、英語のアクセント問題だった。入試試験でアクセント問題が出ることはめずらしいと思う。もし出たら、それはチャンス問題だ。ところが、ミツキは全問不正解だった。

「ディクショナリー。ディを強く読むでしょう? アクセントは、単語を読むときに強く発音する部分だよ」

「ディクショナリー。ふーん。ディを強く読んでる気がしないけどな」

「いやいや、ちゃんとディにアクセント付けて言ってるよ」

「そうかなあ。よく分からない」

 何が分からないのか分からない。試しにいろいろな単語のアクセントを確認したが、ことごとく不正解だった。チャンス問題がこれでは、打つ手がない。

 あとは運に任せるしかなかった。

 毎日ミツキと私は苦しみながら勉強をしてきた。そして、改めて痛感した。ミツキは勉強が嫌いで、嫌いなことだから、何が何でも頭に入っていかないということを。
 私も限界だけど、ミツキの限界はもうとっくに過ぎていた。私がその限界を許さなかっただけ。
 これまで反発しながらも、付いてきてくれたミツキにありがとうと言うべきなのかもしれない。

 限界を感じ、時には投げやりな気持ちにながらも実力試験までは諦めずに勉強を続けた。

 H高校に入学後、初めての保護者会に行くと、教室の前の壁に2月に行われた学力試験の結果が貼りだされていた。

 ミツキは、3教科合計228点で学年2位だった。

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