勝手な思い込み

 1980年代前半はどこの公立中学校も荒れていてヤンキーの全盛期だった。「なめ猫ブーム」「積木くずし」など、テレビでも多数取り上げられていた。

 私が中学生になるころにはヤンキーは減りつつあったが、1つ上の学年には誰もが恐れるスケバンがまだ存在していた。長いスカートを遠くに見つけると一目散に逃げた。

 私の学年にも周りから一目置かれた集団があった。男女20人ほどの集団で「あのグループ」と呼ばれていた。今でいうスクールカーストの一軍要素と昔ながらのヤンキー要素を持ち合わせていたように思う。

 中学卒業直前のある日、3年生全員が体育館に集められた。そして、私立高校、公立高校、商業高校、工業高校の列に分かれて並んだ。何のためだったのか忘れてしまったが、「全員高校が決まったのだな」と思ったことだけは覚えている。

 「あのグループ」の人たちの成績事情は聞いたことがないけれど、あまり勉強熱心には見えない人もいた。それでも全員高校が決まったのだから、今どき浪人や就職する人は存在しないものなのだなと思った。もちろん、1学年上のスケバンの先輩も前年に高校生になっていた。

 またあるとき、高校時代のバイト先で、工業高校出身の同じ年の子からこんな話を聞いた。

「入学式の日に校庭を歩いていたら、いきなり3階の教室から椅子が落ちてきたんだよ。先輩はヤンキーだらけだった」

 私は、3階から椅子を落とすような不届き者でも高校に入れるのだなと驚いた。そこから私の勝手な思い込みが始まった。そういうヤンキーは、きっとオール「1」に違いない。

 公立高校の受験校選びの重要な目安として、換算内申というのもがある。「主要5教科の素内申の合計」と「実技4教科の素内申の合計の2倍」の合計数が、換算内申となる。

 ざっと公立高校の換算内申を見ていくと、一番低い高校で「32」だった。ミツキの換算内申は「25」だ。これでは、先生に受験できる高校がないと断言されても仕方ない。

 私はこの事実を、先生に言われる前からネットで調べて知っていた。しかし、そんなはずはないと思いたかった。先生にそう宣告されてもなお、納得できなかった。

 ヤンキーでもない。不登校でもない。どこにでもいる見た目は普通の生徒なのに、受験できる学校がないってどういうこと? ミツキっていったいなんなの? 換算内申は、本当に「32」もないといけないの? 様々な思いが次々止めどなく湧き上がってくる。

 換算内申「32」の内訳とは、どんな成績だろうか。単純に考えて、主要5教科がオール「3」で、実技4教科に「2」が3つと「3」が1つの場合、換算内申は「33」となる。あるいは、主要5教科がオール「2」で、実技4教科に「3」が3つと「2」が1つの場合、換算内申は「32」となる。

 オール「5」に近い生徒がいたり、「1」と「2」ばかりの生徒もいたりする。そして、各々が見合った学力の高校を受験するのだと、私は思っていた。ところが、実際は「2」や「1」があってはダメだった。オール「3」でやっと学校を選ぶことができるのだ。

 そうなると、あのスケバンの先輩も校庭に椅子を落とした不届き者も、[3]がたくさんあったことになる。私はなんという失礼な思い込みをしていたのだろうかと申し訳ない気持ちになった。それと同時に、じゃあミツキはいったいなんなの? という思いが、また込み上げてくる。

 こんなことになるとは、思いもしなかった。高校を選べる立場ではないということは覚悟していたが、受験できる高校がないという事態に陥るとは想像もしていなかったのだ。

 私は丸2日、ひっそりと思う存分泣いた。

 そして、3日目復活。泣いていても何も変わらない。ミツキの成績をオール「3」にする手だてを考えなくては。

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