カオス②
山崎先生の話は衝撃的であったが、私の興味を掻きたてた。トリックスターが何なのかよくわからないまでも、プロメテウスと同じと言われれば悪い気はしない。
「トリックスターの存在は世界中の民話に残されていて、こんな話もあるんですよ」
それは、グリム童話の「ガラス瓶の中の悪魔」という話だった。
とても貧乏な木こりの親子がいた。ある日、息子は森の木の根元の小さな穴に、カエルが閉じ込められているガラスビンを見つけた。息子がガラスビンを拾い上げると、中のカエルが息子を見つめて、
「助けてくれー!出してくれー!」と、叫んだ。
『人間の言葉をしゃべるカエルなんて、きっと森の化け物に違いない』そう思った息子は、カエルの入ったガラスビンを再び木の根元の穴に戻そうとした。
「待て!頼む、頼むから穴に戻さないでくれ!お願いだ。出してくれたら、何でも言う事を聞くから」
カエルがあまりにも必死に頼むので、息子は仕方なくガラスビンのフタを開けた。するとビンの中からカエルが跳び出して、ムクムクと大きくなりながら醜い悪魔に姿を変えた。
息子はあわてて逃げようとしたが、悪魔は鋭いツメで、息子の足を切り裂いた。足を切られた息子は、逃げる事が出来ない。
「久しぶりの食事に、お前を食ってやろう」
そう言って大口を開ける悪魔に、息子は言った。
「何でも言う事を聞くと言っただろ!僕を食う前に僕の願いを聞いてくれ!」
「確かに約束をしたな。何が願いだ?助けてくれという願いは聞かんぞ」
「体の大きなお前が、この小さなビンから出てきたことが信じられない。もう一度、この小さなビンに入って、再び出てくる姿を見たいんだ」
「そんな簡単な事か」
悪魔はそう言うと、小さなビンに飛び込んで元のカエルの姿になった。
息子はすかさず、ビンのフタを閉じた。文句を言うカエルに、息子は言った。
「誰にも見つからない様に、大きな穴を掘って埋めてやる」
「もう人は襲わない。それに魔法の布をあげるから、助けてくれ」
「約束は守れよ!」
息子がビンのフタを開けると、悪魔は息子に頭を下げて汚い布を渡した。
「これは魔法の布です。これで体をこすると傷は治り、鉄をこすると鉄は銀に変わります」
そこで悪魔に切り裂かれた自分の足の怪我をその布でこすると足の傷が治った。
家に帰った息子は、魔法の布で鉄の斧をこすると、鉄の斧が銀の斧に変わった。
息子はこの銀の斧を売り、父親にお金を渡し、家を出た。
その後、息子は魔法の布を使って、どんな怪我でも治すお医者さんになった。
「とまあ、いきなり不思議な話になってしまいました。プロメテウスの話がすぐに通じる人はめずらしいもので、つい私も話が脱線してしまいました」
私の頭は混乱した。木こりの息子がトリックスターということなのだろうか?
プロメテウスの話までは、前乗りで山崎先生の話を聞いていた私だったが、グリム童話は分からないことがあり過ぎて、引いてしまった。質問の言葉も見つからないほど、頭の中がカオス状態だった。
私のカオス状態に気付いた山崎先生は、場の空気を換えるべく、ペットボトルのお茶を一口飲んだ。
「結論はさっきも言った通り、昔からトリックスター的存在の人は多くいたということなんです。そういう存在のおかげで、社会が上手く回っているとも言えるんですよ」
帰宅した私は、山崎先生の話を反芻した。トリックスターとは何か、検索もした。しかし、納得のいく回答には辿り着かなかった。
モヤモヤしたまま2週間ほど過ぎたある日、リオの担任の松本先生との面談のため、小学校へ行った。面談終了間際に、松本先生から最近のミツキの様子を尋ねられた。ついでにトリックスターの一連の話をすると
「なんだがよく今はわかりませんが、そのうちこういうことだったのかと思う時が来るのかもしれませんね」と首を捻りつつ言った。
なんだか妙に納得した。