キャンプ

 辛い出来事を人に話すとき、不幸オーラを背負って話す人は苦手だ。一応大人なので神妙な面持ちで話を聞くが、本当はそんな話は聞きたくない。私は、辛い話こそ楽しげに話すべきと思っている。

 辛いことが起きたとしても、私はすぐに人に話したりしない。笑い話にできるまで自分の中で熟成させるのだ。
 まずは出来事を一旦心に納める。そして、分析をする。相手の立場になって起きたことを反芻してみる。すると、自分自身にも非があった、または別の方法で切り抜けられたのではないかなどの反省点が出てくる。
 2日間くらいは感情が激しく動くが、大抵の場合3日目くらいから、視点を変えれば今後に生かせるよい経験になったと思えるようになる。そうなればこっちのもので、辛い表情を出さずに笑い話として誰かに話すことができる。そして、一緒に笑ってもらうことによって浄化させられる。

 ミツキは1歳半のころから、常に私の悩みの種だった。4歳年下のリオと比べてもはるかに育てにくい子どもで、悩みは尽きない。発達障害であることは、学校の先生とカウンセラー以外には話したことがない。
 ママ友などにミツキの話をするときは、昔話の吉四六さん話を目指していた。

「ミっちゃんて、本当におもしろい子だよね」と相槌されるとうれしい。ミツキは育てにくいではなくて、ちょっと変わったおもしろい子なのだ。

 そんな思いで過ごしてきたが、4年生から6年生は文句なしの3年間で、辛さを感じることはなかった。

 4年生になったミツキは、友だちとの関わりも良好で、毎日が楽しそうだった。少しずつ勉強も進んでやるようになり、以前のように私が付きっきりになることもなくなった。成績は、可もなく不可もなくといった感じで、学習障害を懸念していた時期からすると、全てが順調だった。朝の新聞取りやゴミ捨ても進んでやってくれるので助かった。

 そんなミツキに私は、サマーキャンプに参加することを提案した。実は以前からキャンプに参加して自立心を芽生えさせたいと思っていたのだ。

 長野県伊那谷こども村でのキャンプ(野外教育研究財団主催)のチラシが学校で配布されたのを機にミツキに話した。まずは無反応。そこで、野島くんを誘ってみたらどうかと持ちかけた。

「うん、まあ。おもしろそうだな」

 渋るかと思いきや、野島くんの名前を出すとすぐに乗り気になった。早速野島くんに打診してみると、即快諾を得られた。話はとんとん拍子に進み、キャンプの参加費を支払った後、私は自分の大きな勘違いに気付いた。

 周辺地区3つの小学校の4年生から6年生の希望者を募るキャンプのお知らせが、学校から配布されたのだ。このキャンプであれば、顔見知りが多数いることになる。実は、私が以前から参加させたいと思っていたキャンプはこちらだったのだ。

 伊那谷子ども村のキャンプは関東と中京から参加者を募っていて、たとえ同じ日に参加しても友だち同士は同じグループになれないとのことだった。私自身だったら正直しんどい。ところが、ミツキも野島くんも「まあ、まったく会えないわけじゃないから大丈夫」というので、その成長ぶりに驚いた。思い起こせば幼稚園に入る前まで、ミツキは子どもだけの活動が大の苦手だったのだ。

 出発当日、新宿都庁地下のバス発着場で、お米や寝袋の入った大きなリュックを背負い、初めて出会った5人の男の子と引率の大学生リーダーとともにバスに乗りこんだ。

 現地での活動は、ホームページで確認することができ、写真も掲載されていた。その写真の中で楽しそうにしているミツキを見つけて一安心した。

 ミツキは基本的に、素直に楽しかったとは言わない。だから、キャンプのあとも「ご飯がおいしくない」とか「寒すぎて夜眠れなかった」とか「露天風呂に入る順番が最後の方だったから汚いし、お湯がほとんどなかった」など、文句ばかりだった。それでも「まあ、それがキャンプってもんか」とひとりで納得し、2か月後に秋のキャンプにも参加したのだから、本当は楽しかったのだろう。

 解散のとき、大学生リーダーにお礼を言いつつ、ミツキの様子も聞いた。

「知識が豊富で、話しもしっかりしていて驚きました。2日目にホームシックになったようで、夜中に起きてきて『東京はどっちの方向ですか』って聞いてきて、すごくかわいかったです。がんばったから、今日はたくさん誉めてあげてくださいね」

 ミツキをたまらなく愛おしく思った。

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