偉人の母
発達障害についての記事を読んでいると「発達障害と思われる歴史上の偉人」というのをよく目にする。アインシュタインやモーツアルト。最近の人だと、スティーブジョブズの名前がよくあがる。そんな偉人たちの幼少時代は、親や周りを巻き込む困ったエピソードが多い。その一方で、興味のあることに深くのめり込み、その道で偉業を成し遂げている。
こちらとしては、藁をもつかむ気持ちでいるので、困ったエピソードに共通点を見つけては、我が子も何かのめり込むことを見つけさえすれば、ミツキにも偉業を成し遂げる未来が待っているのではないかと期待してしまうのだ。
あるときそんな期待感から、「ミツキが偉人になったら、私は偉人の母ということになるのだ」という突飛な考えが浮かんだ。偉人の母は、どんな教育方針だったのだろうかと知りたくなった。幼少期に苦労が多くても、育て方次第で偉人になれるのだとしたら参考にしたい。
「偉人の母」と検索してみたら、小原國芳著『偉人の母』がヒットした。そこに記された十数名の偉人の中には、発達障害であった可能性を指摘されている人物もいた。各家庭の個性豊かな親子関係があり、どれも心温まるものばかりだった。全員分読んで、すべての偉人の母に、以下二つの共通点があることに気付いた。
- 何があっても、周りがなんと言おうとも、子どもの可能性を信じて疑わないということ。
- 子どもを取り巻く人々に感謝していること。
子どもの可能性を信じることは、もっともしてあげたいことであるが、難しいことでもある。何かひとつに特化して、他のことがおろそかになったとしても寛大であり続けるのは、なかなか勇気がいる。なんでもまんべんなくこなすことを良しとしている社会に逆行することになるのだから。
偉人とミツキとの共通点は、やりたくないことはやらない点だ。ミツキの頑なにやりたくないことはやらないというスタンスは、本当に困りものだ。では、もし、偉人レベルで興味深いことがあって、それに没頭して極めるのなら、ミツキも偉人になれるのだろうか。
やりたいことのないミツキに、何か興味を持てることを見つけてあげたいと模索するが、親発信でやっても意味がない。幼いころから、幅広い分野の体験をさせようと奮闘してきた。しかし、いつも「オレ興味ねーし」とばっさり断られた。
ミツキが楽しめそうな場所に連れて行っても、食事と帰宅時間の心配ばかりしていた。心から楽しんでいる姿を見たことがない。
初めから「興味ない」と言ってしまったら、おもしろさを見つけることなどできないだろう。自分に自信がなくて、うまくいかないかもしれないという不安から「興味ない」という言葉を楯にしているのだろうか。失敗してもいいから、毎日をワクワク楽しんでほしい。
いまのところ、ミツキのやりたいことは、寝ること・食べること・遊ぶことだが、これではドラえもんののび太だ。
ワクワク楽しめば、一見つまらなそうなことでも楽しくなる。それをミツキに気付いてほしい。楽しそうだと思えば、楽しくなるということを。やりたくないと思っていたら、おもしろくならないことを。
まず、第一段階としてミツキに必要なのは、何でもおもしろがり、楽しむこと。「興味ない」などのネガティブな言葉、打消しの言葉を封印すること。
第二段階として、没頭できることを見つけて、没頭してみること。
これができたら、ミツキの人生は大きく動き出すと思う。偉人になれと言っているのではない、毎日をワクワク楽しんで過ごしてほしいのだ。それが幸せというものだと思う。
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