結果を受け止める①

 発達障害について何も知らないからこんなにも辛いのだ。ならば知ることから始めなければ。くよくよして笹本先生に八つ当たりしている場合ではない。

 私は、発達障害の本を読むことから始めた。このとき、私の中で重要だったことは、発達障害の「原因」という項目は、読まないということだった。今の私に原因究明はいらないと思った。原因を知って何になるだろう。もう結果が出てしまっているのだ。この結果を踏まえて、これからできることを考えていくべきだと思った。

 発達障害の主なタイプである『自閉症スペクトラムASD)』『学習障害(LD)』『注意欠如・多動性障害(ADHD)』のうち、ミツキがどれなのか分からなかったので、手当たり次第読んでいった。

 数冊読んだ本の中で、吉田友子著の『高機能自閉症アスペルガー症候群 「その子らしさ」を生かす子育て(改訂版)』がとても参考になった。

 「はじめに(改訂版によせて)」の中で、「早期発見」について触れている。

自閉症スペクトラムは生まれた時から存在する脳のタイプで、この先も一生その子の持ち味として存在し続けるものです。脳のタイプに早く気付いてあげられれば、子どもが言葉にできない不安や安心・得手や不得手を推測するヒントを手に入れられるのです。

  石倉先生や笹本先生は、これらのヒントを手に入れるために、検査を勧めてくれたのだと理解した。

 そう理解していても、完治するわけでもない「障害」と名のつくレッテルを貼られたような気持ちになっていたが、次の記述内容で払拭することができた。

私たちはレッテルを貼るために評価するのではなありません。成果が上がりにくいことの原因が、子どもの努力不足によるものではなく能力的な不得手であると気付く。努力が成果に結びつきやすい方法を考える。ほかの子どもがしていない苦労や努力をしているという事実を一緒に味わい、手に入れた成果の大きさを一緒に喜ぶ。それが子どもを丸ごと受け止めるということです。それにはまず、能力障害が能力障害と正確に認識されることが大前提です。

 ほかの子どもが何も考えずにただ本能のままに楽しみながら自然と習得していくことでも、ミツキにとっては困難なことが多かった。それまでの私は、なぜできないのだろうと疑問に思うばかりで、ミツキ自身の苦労や努力に目を向けていなかった。私はミツキをまるごと受け止めてはいなかったのだ。

 次の記述で私は更に反省モードとなった。

「障害」と「個性」という二つのとらえ方を二律背反(どちらかであればもう一方でない)のものとしてとらえること自体やめてみましょう。
(中略)
「障害」か「個性」か。その区分はあなたがいま子どもにどんな視線を向けているかを示しているかを示しているにすぎません。

 確かに私は、周りの子から遅れていることに関して、ただ遅れていることには「障害」してとらえ、遅れながらもミツキの行動をユニークと感じたことには「個性」としてとらえていた。つまり、私の気分次第だったということだ。 

 私自身のとらえ方で「障害」と「個性」の両方をうまく使い分けていくことが、不得意な部分をサポートし、得意な部分を伸ばながら育てていくポイントなのだろう。

 ミツキを変えようと思う前に、まずは自分の考え方を変えなくてはいけないと思った。

にほんブログ村 子育てブログへ
にほんブログ村