少年ミツキ
2年生に進級すると、ミツキは急速に少年へと成長し始めた。
「ミっちゃんて呼ぶのを止めてくれないか。これからはミツキって呼んでくれ」
いつかそんな日がくるだろうと思ってはいたが、やはりさみしいものだ。少年になろうとしている成長は分かるし、うれしい。でも、別に家でミっちゃんと呼ぶくらいいいじゃないと思ってしまう。丸7年ずっと呼んでいた呼び名を変えるのは至難の業だ。だが、ミツキは、もうミっちゃんでは振り返らなくなってしまった。
さらにある朝、衝撃の一言。
「実は、6月1日から夜寝るときの親指しゃぶりをやめているんだ。1か月以上経った」
生後間もないころから、ミツキは左親指を常にしゃぶっていた。左手にお気に入りのカエル柄のタオルを握りながらの指しゃぶり。
このタオルを「カエルのタージュ」と呼んでいつでもどこにでも持ち歩いた。「タージュ」とは、タオルのことで、まだ上手に発音できないころからそう呼んでいた。カエルのタージュは、洗濯禁止だった。さわるとヌルヌルとまではいかないが、なんだが不思議なさわり心地だった。昼寝をしている合間にこっそり洗うと、きまって「おいしくない」と文句を言った。
ある日、ミツキが体調を崩して病院へ行った帰り、マンションのエントランスで嘔吐した。慌てた私は、嘔吐物を処理するのに、カエルのタージュを使ってしまった。
「カエルのタージュは、ミっちゃんを守るために身代わりになってくれました」
それ以来、他のタオルでは相性が良くないようで、タオルなしのシンプルな指しゃぶりになった。
プレ幼稚園に入ると、人前では指しゃぶりをしなくなった。帰宅後、手洗いうがいをしてからおいしそうに指をしゃぶった。
幼稚園に入ると、日中の指しゃぶりはなくなり、夜寝るときだけになった。
そして、ついに2年生の6月1日、完全に自らの意志でやめたのだ。
指しゃぶりというと、普通の親は何とかやめさせようとするものだが、私は一切ミツキにやめろと言わなかった。
なぜなら、私自身が小学3年生までやめられなかったからだ。頭ではいけないと分かっているのに、気づくとしゃぶっている。だって、おいしいんだもの。初詣の願い事はいつも「指しゃぶりが治りますように」だった。
私より1年も早くやめられたなんて、ミツキはすごいと感動してしまった。
「あともう少し日が過ぎたら、試しにもう一度しゃぶってみるといいよ。指がまずく感じたら指しゃぶりと真の決別といえるよ」
私が先輩風を吹かせて助言すると、ミツキは大きく頷いた。
「もうやってみた。まずかったぜ」
「おめでとう。ミっちゃん」
「ミツキだってば!」
「・・・」
さらに、パパとは手をつないで歩くのに、私の手はかわすようになった。
「あれ、ママのこと嫌いになっちゃった?」
「ママは好きでも嫌いでもなく、普通だ。ガミガミうるさいのは嫌だけどね」
つい最近まで、寝るときは指をしゃぶりながら、全身を私にぴったりと付けて眠っていた。家では私の後をついて回り、とりとめのないおしゃべりをし続けた。「ママ、大好き」といって私に抱きつき、私が素っ気なくすると「ミっちゃんこと嫌いなの」と悲しそうにしていた。誉めるとうれしそうに甘えてきていたのに。
ミツキの体はぜい肉がなく、骨太で、抱っこするには大きすぎて、抱き心地は極めて悪い。ミツキ自身も体制が疲れるようで「もういいや」とすぐに離れようとする。でも、抱っこ法を習ってからは、離さなかった。
この時間を大切に、ゆっくりと進んで欲しいと願っていた矢先の巣立ち宣言。
少年の心は、母親を安全地帯にして出たり入ったりを繰り返して成長していくのだという。普段は強がっているが、ときどきぴたっと寄り添ってくる瞬間があると、ほっとする。
子どもの成長って、うれしいのに、なんだかさみしい。